『「アート」を知れば「世界」が読める』シリーズ②フランスの政教分離

2024年4月21日
全体に公開

「政治と宗教が相互に介入してはいけない」という政教分離は、日本をはじめ世界の憲法で制定されていますが、フランスほど徹底している例はおないと思われます。

フランス革命後、「新たな国家では、聖職者の介入で政治が歪む過ちを繰り返してはならない」としたためで、「キリスト教的な国こそ理想である」というアメリカとはある意味、対照的です。

アメリカの大統領宣誓式では、今も聖書が使われていますが、「もしもキリスト教徒でない人が大統領に当選して、キリスト教の聖書以外の聖典を使ったらどんな国民の反応になるのか?」と思うのは私だけではないでしょう。

2022年、イギリスではヒンドゥー教徒(公式の発表はないようです)のスナク首相が誕生し、特に違和感なく受け止められています。しかし、これがアメリカだったらどうでしょう。

 「現時点では、キリスト教徒以外の大統領は想定していない」というのがホワイトハウスの公式見解――かどうかはともかく、「黒人大統領はありでも、非キリスト教大統領は難しい」というのが一般の認識ではないでしょうか。

 父親がイスラム教徒であるオバマ大統領は、大統領選挙の際に「オバマ本人もイスラム教徒ではないか」とネガティブキャンペーンを張られたことから、キリスト教徒以外の大統領就任は社会的反発も想定されそうです。

それだけアメリカは宗教的国家であり、フランスは対極とも言える政教分離国家、イギリスはその中間といったところでしょうか。

フランスの政教分離の徹底ぶりは、近年の「スカーフ問題」に象徴されます。行政機関や公立学校などでムスリムの女性がスカーフ(ヘジャブ)を被ることは、「宗教が公共の場で影響力を行使している。イスラム色を強める」と見なされ、禁じられました。

しかし敬虔なムスリムにとっては、女性が髪を覆い隠すのは当然で、「ヘジャブなしなんて下着姿で歩くのと同じ!」と感じるほど、宗教的タブーでもあります。

「風俗を乱すわけでもないのに、スカーフを禁じるのは個人の自由の侵害ではないか」

ムスリムばかりかキリスト教徒からもこうした反論が出るなど、公の場でのスカーフ着用の可否は、常に政治的・宗教的な争いの種となっています。

この問題とつながるアートは、ルイ・ダヴィッドの【ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠】です。

1799年、フランス統治者となったナポレオンは、自らの手で王冠を戴いたことで知られています。歴代の王はフランス・カトリックを象徴するパリのノートルダム大聖堂で、神の代理人であるローマ教皇から冠を戴くのが伝統であり、絶対のルール。ちなみに2023年のイギリスのチャールズ国王の戴冠式も、イギリス国教会のカンタベリー大司教によるものでした。

しかしこの作品では、ノートルダム大聖堂のナポレオンはローマ教皇の前に出て、最初の妻であるジョセフィーヌに冠を授けています。つまり「革命を経たフランスでは、政治は宗教と完全に切り離されている。聖職者には治世者以上の権力も権威もない」と象徴する作品で、ナポレオンの権力のみならず、政教分離のドグマが現れています。

歴史的な名場面を描いた大作から、政治、宗教、フランスの民族性ばかりか、現代の社会問題まで論じられるのがアートの面白さだと思います。

(出典)『「アート」を知れば 「世界」が読める』(幻冬舎新書)

 

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