人はなぜ犯人を間違えるのか―冷蔵庫のプリンを食べた犯人の人違い―

2023年10月1日
全体に公開
「お父さん、冷蔵庫にあった私のプリン食べたでしょ!」

誰もが一度は聞いたことや体験したことがあるシチュエーションではないでしょうか。

実は、私も被害者になったことがあります。

本当のことを言うと、私がお父さんのプリンを食べた加害者になったこともあります。

冷蔵庫内のプリンを勝手に食べた場合に成立する犯罪

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例えば、お父さんが冷蔵庫にあった子供のプリンを食べた場合、子供の占有するプリンという財物を窃取しているわけですから、お父さんは「他人の財物を窃取した者」にあたり、窃盗罪(刑法235条)が成立します。

ただ、窃盗罪には親族間の犯罪に関する特例(刑法244条)というものがあり、配偶者、直系血族又は同居の親族との間で窃盗罪を犯した者についてはその刑が免除されることになっています。

このように、刑法や犯罪というのは意外と身近なものです。

冷蔵庫内のプリンを食べたのがお母さんだった場合

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一方、実際にはお父さんではなく、お母さんが間違って食べてしまっていたということもあり得るでしょう。

この場合、お父さんは濡れ衣を着せられてしまったということになります。

『日本国語大辞典第二巻(第二版)』によれば、「冤罪」「罪がないのに疑われ、または罰せられること。無実の罪。ぬれぎぬ。」と定義されていますので、逮捕や処罰がされていなくとも、無実の罪で疑われたお父さんは冤罪の当事者ということになります。

さて、ではなぜ子供はお父さんが犯人だと思ってしまったのでしょうか。次のような事例を考えてみましょう。

子供「前にもお父さんは勝手に冷蔵庫のプリンを食べたことがあったし、お母さんは勝手に食べたりなんてしないから、お父さんが犯人に間違いない。」

このようなケースを我々法律家が見た場合、次の3つの注意点が指摘できます。

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①誰も犯行を目撃していない

この場合、子供は目撃者ではなく、お父さんが犯人かもしれないという推測を述べるものにすぎません。このような供述は、本来は証拠としての価値がありません。

しかし、犯人を見つける捜査の際には、このような推測が先に立つことになります。当事者であり事件のことを一番よく知っている人の推測は、確かに当たっていることも多いのかもしれません。

これに対して、お父さんとしてはこの推測が外れているという証拠を提示することがとても難しいのです。

なぜなら、自分が犯人ではないことという事実の不存在に関する証明は「悪魔の証明」と言われるくらい難しいものだからです。

そして、推測を否定するだけの証拠が提示されないことによって、子供のお父さんに対する疑念は強まっていってしまうことがあります。

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②性格や過去の事実に基づく推測の危険性

2つ目に、前にもお父さんに盗み食いされたといういわゆる前科のような証拠は、「悪性格証拠」と呼ばれ、判断を誤らせる危険があると言われています。

人間は、よく性格から他人の行動を予測します。優しい人であれば電車でお年寄りに席を譲るだろうし、電車でお年寄りに席を譲っている人を見れば優しい人だと考えます。しかし、心理学において、人格尺度が行動を予測したり事後的に説明したりする力は実際には小さいと言われています。確かに、まじめな人でも優しい人でも冷蔵庫のプリンを盗み食いしてしまうことはあるでしょう。

また、過去に盗み食いをした人が再び盗み食いをするとは限りません。過去の盗み食いは丁度お腹が空いていて新しいプリンを買いにいけなかったような事情があったのかもしれませんし、前回女の子に怒られたことで反省して二度と盗み食いはしないかもしれません。

最高裁判所の判例も、「前科証拠を被告人と犯人の同一性の証明に用いる場合についていうならば、前科に係る犯罪事実が顕著な特徴を有し、かつ、それが起訴に係る犯罪事実と相当程度類似することから、それ自体で両者の犯人が同一であることを合理的に推認させるようなものであって、初めて証拠として採用できるものというべきである。」と判示し、悪性格証拠を有罪立証に使うことは厳しく制限されています(最判平成24年9月7日刑集66巻9号907頁)。

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③他の可能性の見落とし

3つ目に、お母さんはそんなことをしないはずだという思考は、犯人がわざとプリンを食べたという故意犯のみを暗に想定しており、間違って食べてしまったという過失犯の可能性を見落としていることです。

お母さんも同じようなプリンを買っていたり、買ったと勘違いして食べてしまったりした可能性もあるのに、お父さんが犯人だという思い込みも相まって、誤ってお母さんを犯人から除外してしまっているのです。

お父さん犯人説に対してお母さん犯人説のような「反対仮説」は、刑事裁判では「アナザーストーリー」と呼ばれています。

そして、思い込みから視野が狭くなってしまう「トンネル・ビジョン」に陥ることで、このアナザーストーリーが見落とされてしまった結果、冤罪が生まれると言われています。

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犯人を間違えてしまう原因と対策

以上より、今回モデルにしたケースでは、

①誰も犯人を目撃していないという証拠がない事件であったこと

②性格や過去の事実に基づく危険な推測によって犯人を特定したこと

③お父さん犯人説以外の可能性を見落としてしまったこと

が原因となって、犯人を間違えてしまったということができるでしょう。

このように、人間の直感的・印象的判断は誤ることが多々あり、それは日常生活にもあふれています。そして、それは実際の刑事事件においても同じです。警察官、検察官のような捜査機関のほか、弁護士も裁判官も、人は誰でも間違える以上、今回の子供と同じように犯人を間違えてしまうことがあるのです。

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間違えをなるべく防ぐために大事なのは、間違える原因を分析し、対策を立てることです。実際の刑事裁判では、上記のような間違える原因に対し、

①単なる推測を述べる証人は証拠として採用しない

②悪性格に関する証拠は採用しない

③アナザーストーリーの合理的疑いが拭えない限り有罪判決を下さない

といった対策をとるように努められています。

私は、冤罪を防ぐためには今回のように原因を分析し、そして対策をとることが必要だと思っています。具体的には、「冤罪を学び、冤罪に学ぶ」という姿勢が重要であり、冤罪に関する世界中の法律や心理学の知識を集約・体系化した『冤罪学』という書籍を出版することになりました。

冤罪学 冤罪に学ぶ原因と再発防止(2023年10月3日発売)

しかし、冤罪は誰でも巻き込まれ得るものであることや、冤罪事件の防止・救済や法改正のためにはたくさんの人々の支援が必要であることから、法律家だけではなく一般の方々に対しても冤罪について発信しなければならないと考えています。

そこで、今日からNewspicksでトピックスを書かせていただくことになりました。

次回は「痴漢冤罪」を取り上げます。フォロワー限定の公開にする予定ですので、トピックスのフォローをよろしくお願いします。

プロフィール

西 愛礼(にし よしゆき)、弁護士・元裁判官

プレサンス元社長冤罪事件、スナック喧嘩犯人誤認事件などの冤罪事件の弁護を担当し、無罪判決を獲得。日本刑法学会、法と心理学会に所属し、刑事法学や心理学を踏まえた冤罪研究を行うとともに、冤罪救済団体イノセンス・プロジェクト・ジャパンの運営に従事。X(Twitter)等で刑事裁判や冤罪に関する情報を発信している(アカウントはこちら)。

今回の記事の参考文献

 『日本国語大辞典第二巻(第二版)』(小学館、2001年)、マイケル・J・サックス、バーバラ・A・スペルマン(高野隆ほか(訳))『証拠法の心理学的基礎』(日本評論社、2022年)、安廣文夫『大コンメンタール刑事訴訟法(第二版)第7巻』河上和雄ほか(編)(青林書院、2012年)、笹倉香奈「冤罪とバイアス」甲南法学58巻3・4号(甲南大学法学会、2018年)。なお、記事タイトルの写真についてGetty Imagesのgerenmeの写真。

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