世界一多くのスタートアップを生み出したアクセラレーター「StartX」の天才

2023年7月14日
全体に公開

先週の記事では、InSITE Fellowsという素晴らしいプラットフォームの話をしました。InSITEは、20年前に、ニューヨークで起業家を支援する仕組みが不足していることに不満を抱いたコロンビア大学のMBAの学生によって設立されました。そして、InSITE はニューヨークがその後、活況を呈する「シリコン・アレー(Silicon Alley)」へと発展する大きなきっかけとなりました。これは、日本にとっても、貴重な学びとなるでしょう。当時のニューヨークは今の日本と同じようにスタートアップの領域が未熟でしたが、多様で洗練された経済がありました。ニューヨークはその強みを生かしてスタートアップ分野でも躍進することができたのです。

今週はもう一つ、大学を基盤とするプラットフォームを紹介します。このプラットフォームも、やはり起業家への支援が足りないことに不満をもっている学生によって設立されました。今回ご紹介するのは、スタンフォード大学で構築されたStartXです。第三者はスタンフォード大学ならば、起業家に必要な助けや育成のためのあらゆる仕組みがすでに整っていたのではないかと思うかもしれません。しかし、StartXが登場するまでは、それほど整っていませんでした。StartXによって、スタンフォードは全く新しいレベルのインパクトを出せるようになったのです。

StartXは2009年にスタンフォードのコミュニティ(全学生、教員、卒業生)を対象としたアクセラレーターとして設立されました。そして現在では世界で最も力のあるイノベーションのけん引役となっています。すでに1000以上のスタートアップを輩出し、そのうち800社はVCの支援を受けています。また、17社はユニコーン企業となっています。過去10年の間にStartXで設立されたスタートアップのうち93%は成長を続けており、85人のテニュア教員(訳注:大学での終身雇用資格のある教員)がStartXを通じて起業し、会社をスピンアウトさせています。

ほとんどの人はStartXが「世界で最も革新的な大学が主導し、素晴らしい戦略でつくられたものだ!」と思うでしょう。しかし、それは間違った認識です。実際は、キャメロン・テイトルマンという経営工学科の3年生によって、当初はスタンフォード大学からの恩恵を得ることなく、学外で創設されました。

子どもの頃から反骨精神にあふれていたキャメロンは、ロサンゼルスで育ち、子どもの頃から大学の学費を稼ぐために子役として活躍していました。最初はテレビCMに出演していましたが、10歳でブロードウェイの『レ・ミゼラブル』の主役を勝ち取りました。彼は、役者の仕事によって、起業家となるための貴重な学びが得られたと言っています。

「子役として演技するのは、売り込みをするのと同じです。長い台本を頭に叩き込まなければなりませんでした。ストーリーを覚え、重要なポイントや感情をかき立てる部分を箇条書きにし、いくつものストーリーを演じることを通じて、頭の中にあるストーリーをつなぎ合わせるための力が身に付きました。」(このキャメロンの洞察は、わたしがスタンフォード大学で教えている起業家向けの授業の柱にもなっています。イノベーションや未来の創出は、魅力的な個人の物語の上に築かれます。ユニークで感情に訴えるストーリーは、創業チームや新規採用者の熱意を引き出し、パートナーや、最も肝心ともいえる顧客の心を動かします。)

スタートアップには、ブロードウェイの舞台のような素晴らしいストーリーが必要なのです。そして、ブロードウェイの舞台もスタートアップと同じようにストーリーを売り込む必要があります。キャメロンが言うには、スタートアップも役者も同じように、ストーリーを成功裏に終わらせるために、台本に従い、物語の重要な転換点あるいは布石の流れに沿ってストーリーを展開させていきます。そこで目指している成功とは、スタンディング・オベーションだったり、重要な顧客あるいは人材の獲得だったりするでしょう。

その後、キャメロンの起業家としての学びはさらに奇妙なものとなりましたが、それまでと同様に実り多いものとなりました。中学時代にレスリングに熱中し、高校時代の終わりには、スポーツ奨学金でスタンフォード大学に入学できるほどの実績を残しました。

ここでも、彼はスタートアップとの共通点を見出しています。「まず、高いレベルでスポーツを行うには、非常に高い自己規律が求められます。まるで自分がコーチであるかのように、自分自身と肉体を管理するための仕組み、習慣作り、記録、トレーニング、食事療法を行わなければなりません。自分の体をシステムとして捉える必要があります…」。これはすべての素晴らしい起業家にも求められることです。

わたしはスタンフォード大学の授業で、「スタートアップは生きた生命体、育むものであり、予測可能な生命の段階を追うものである」と教えています。キャメロンに生物学のパターンと彼が支援するスタートアップがどのように関連づけできるかを聞いてみました。「生物と同じように組織の生命を維持するための仕組みがあることが非常に重要です。心臓の鼓動のように、価値を高めるための規則的なプロセスがあり、繰り返し顧客について学び、フィードバックを循環させることが大切です。これは、顧客を理解し、素早く継続的な進歩をするための、非常に規律のあるアプローチなのです。」

これが大変な労力に感じたとすると、その通りです。スタートアップは「きらびやか」で「かっこいい」ものと考えられがちですが、わたしの教えているスタンフォード大学や早稲田大学、また世界中の授業で、わたしはその考えに疑問を投げかけます。

一握りの大成功を収めたスタートアップの創業者がNASDAQで上場を果たし、鐘を鳴らしているときは、きらびやかに聞こえるかもしれませんが 、その会社のここまでの歩みとこの先たどる道のりは、キャメロンが言う通り「レスリングも苦痛だが、会社をつくるのも苦痛」なのです。

「とても辛いことをたくさん乗り越えなければなりません。創業者にとって起業は精神的にも肉体的にも多大な負担をかける可能性があります。そのため、適切な自己管理をしながら苦難を乗り越えることがとても重要です」。その他にレスリングから学んだ有用な教訓があるかを尋ねると、競争や交渉についての話になり、彼は笑顔でこう言いました。「そうですね、わたしは戦うことを恐れません…。」

その他に彼を形作った経験は、高校時代とスタンフォード大学に入学した初期の頃の起業経験でした。彼はスタンフォード大学の支援が不足していることに驚きました。ビジネススクールの教授のチャック・イーズリーは、当時までにスタンフォード大学で成功した7万社ものスタートアップのデータを集めていましたが、2000年代はスタートアップのための構造化された支援の仕組みがありませんでした。そのときの認識は「素晴らしい創業者は、素晴らしい投資家に見出され、魔法のように素晴らしい企業がつくられる」というものでした。

集められたデータはこの「自由放任主義」を正しいと裏付けるものでした。しかし、キャメロンは優秀な役者やアスリートとして磨いてきた自己規律や創造性、あるいはスタンフォード大学で学んでいた組織行動論の研究のおかげで、より科学的で予測可能な、より良い方法があるはずだと考えました。彼はどうすればスタートアップにとって最高なプラットフォームを構築できるのかを考えました。

まずキャメロンはいかにしてスタンフォードの卒業生のスタートアップが総計して世界第11位の経済規模にまでなったのかを解明しようとしました。このような成功をもたらした、再現可能な要因や共通のパターンを探りました。創業した何百人ものスタンフォード大学卒業生にインタビューを行ったところ、明確なパターンが浮かび上がりました。「大成功を収めた人たちは、非常に意図的に自分を支える人的ネットワークや支援の仕組みを形成し、育んでいました。まるで第二の仕事のように、膨大な時間と努力を費やしていました。このようなグループや人間関係を構築し、食事をしたり、スプレッドシートを作成したりすることを通じて、つながり合い、そのことに非常に意図的に投資をしていました。」

キャメロンは、創業者の意見の食い違いや退任によってスタートアップの半分(研究者によっては70%という人もいる)が失敗するということを知っていました。そこで、創業者たちをサポートするグループをつくるというアイデアを試行し、チームで課題を共有し、リソースの獲得を支援し合えるようにしました。当初はわずか8グループしかありませんでしたが、数年をかけて250以上にまで増やしました。そうした支援のエコシステムはどのようなものでしょうか?「わたしたちは人々が自分のニーズに合わせて適切な人脈を築くためのさまざまな仕組みをデザインしました。人と人をマッチングするための巨大なシステムをつくったのです。わたしがいる間に17,000組もの人を引き合わせ、合計1000回、年間300回のイベントを行いました。それらすべてをとても意図的に計画しました。」

これがStartXの土台となりました。彼は長期にわたってスタートアップのニーズを満たす、チーム、文化、人材のエコシステムを構築することに注力しました。(StartXでは創業者に株を請求するのではなく、将来的に、新しくStartXのメンバーになる人々のために、時間、エネルギー、知識、ネットワークを再投資してもらうようにインフォーマルに取り決めました。その「契約」によって2000人以上もの専門家のネットワークができました。)

わたしは、支援し合う文化やネットワークを重視するカウフマン・フェローズから来たので、思わず笑みがこぼれました。オープンさ、惜しみない助け合い、スピード感のあるエコシステムは、研修医、電気技師といった熟練労働者の間で見られる、見習い制度のようなネットワークになります。日本が世界におけるイノベーションのハブとして、正当な地位を占めるにはこのようなエコシステムを構築しなければなりません。

キャメロンはまた、素晴らしいワインメーカーが高品質のブドウを知っているのと同じように、最高のプロダクトは最高の材料からしか作れないことを学びました。StartXはスタンフォードのコミュニティからの応募しか選考対象にしておらず、さらにそのうち8%しか受け入れません。

キャメロンは、この選別こそがStartXの成功の鍵であると言います。これは、カウフマン・フェローズやEndeavor(訳注:支援起業家コミュニティ)などの成功したプログラム、トップクラスのベンチャー企業などでも見られるモデルです。わたしはキャメロンに、素晴らしい創業者をかぎ分けるためのプロセスがあるのか、見ればわかるのかと聞いてみました。彼はそれを笑い飛ばしました。「StartXに入るには、8~10分の面接を3回実施します。面接を行うボランティアや投資家で構成された80人程のチームがあります。重要なのは、面接を行う人たちが何を評価するのが得意なのかを見極めることです。多くの人、多くのプログラムが、『この人は良い投資家だから、評価もできる』という勘違いをしてしまいます。そうではないのです。多くの投資家は失敗しますし、仮に運よく成功した人であっても『目を見れば、誰に投資すべきか判断できる』というのは完全なでたらめです。」

このプロセスでStartXが何をしているのか理解することは非常に重要です。彼らは厳選に厳選を重ねますが、さらに重要なのはその選考を「誰が」行うかが科学的であるということです。80人の面接実施者のうち、誰がどの要素(たとえば、市場、技術、チーム心理等)を評価するのが得意かを検証します。

「わたしたちは幸運にも700もの企業と仕事をする立場にあるので、さまざまな分野を代表する人がたくさんいます。わたしたちは何が創業者の成功の可能性を高める事柄やパターンなのかを抽出します。また創業者の成功の可能性を下げるものも探ります。それから、それらの要素を裏付けるためのデータを得るプロセスがあります。わたしたちは実際にそれらの要素を評価するのが得意だとわかっている特定の人に依頼し、情報を引き出します。それらの情報を統合することで、尖った人たちを見つけ出します。」

わたしはキャメロンがカウフマン・フェローズに応募した12年以上前から彼のことを知っています。そして、StartXの大ファンにもなりました。わたしはStartXの成し遂げたことだけでなく、そのやり方も素晴らしいと思っています。StartXの事例は日本にとっても、いくつかの重要な洞察をもたらします。StartXはキャメロンの非常に個人的なアイデアが元となっており、彼の子ども時代の体験がいかにそのデザインに影響を与えたかがわかるでしょう。

彼はユニークな個性をもち、スタンフォード大学は彼を順応させようと強いるのではなく、創造性を発揮するように許容しました。StartXは、深い信頼関係を築くことと、ネットワーク内でスタートアップとアドバイザーの双方向のやり取りがなされることを重視しています。たくさんの参加者は必要ありませんが、StartXに参加している人は、率直であり、惜しみなくアドバイスやリソースを提供する人でなければなりませんでした。キャメロンは、自分の状況に完璧に当てはまるいいアイデアは存在しないと教えます。だからこそ、常にエコシステムの中に良いアイデアがないか探し、見つけたアイデアを自分なりの方法で自分のスタートアップに適応しなければなりません。

新しいアイデアを試して検証し、素早くフィードバックを得て、アイデアをさらに磨くのです。そして、最も重要なステップは、体系的な方法で最高の人材を見極め、その人材に組織のリソースを投入することです。

ここで大きく学ぶべきことは、スタンフォード大学はもともと主要なテクノロジー分野での成功者を数多く生み出してきた実績がありましたが、StartXとキャメロンの先見性のあるリーダーシップの発揮を通じて、さらに他のどの大学よりも尽力していることです。その努力は報われています。

2008年から2018年にかけてスタンフォード大学のスタートアップの数は、1位のマサチューセッツ工科大学(MIT)、それに続くコロンビア大学、パーデュー大学、ユタ大学に次いで5位でした。しかし2022年には世界一になり、今ではMITよりおよそ50%も多くのスタートアップが設立されています。

このような勤勉な仕事観はさまざまな分野で見られます。イチローは、午後1時からストレッチや練習を行っているのに、シアトル・マリナーズのチームメートが午後5時に球場に到着することに常に困惑していました。アメリカのトークショーの司会をしているパット・マカフィーは、人気歌手のテイラー・スウィフトについて次のように話しています。「多くのファンが知らないのは、彼女の仕事に対する姿勢と、歌に込められている情熱です。彼女は並外れています…すごく働き者なのです。」

日本に知ってほしいのは、日本にあってしかるべき、望ましいスタートアップのエコシステムを構築するには、ほんのわずかな要素があれば良いということです。

  • 素晴らしいイノベーターを見つけ出し、支援すること
  • 彼らを見極める際には、体系的に厳選すること
  • 必ず小さな実験から始めること
  • 完璧にしてから、素早く拡大すること
  • 本当の結果が得られるには12~15年かかると想定すること。政治家ではなく生物学者のように考えること
  • 彼らが競争相手よりも力を尽くし、良い仕事ができるように支援すること

ここから得られる教訓は、イノベーションの科学や未来を創り出すことにおいても基本的な考え方です。「尖った才能」をもつ個人を称え、彼らが成功にこだわって注力できるようにすることなのです。

(監訳:中村幸一郎(Sozo Ventures)、翻訳:長沢恵美)   
(図版クレジット:Unsplash/Jeremy Huang)

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