番外編ー④ 「株主優待の是非を考えてみた」
実は私、日本の資本市場に関してずっとモヤモヤしていたことがあります。それは「株主優待」の存在です。
ほぼ株主優待で生活をしている著名個人投資家さんもいらっしゃるし(笑)、書店に行けば、どこの企業の優待がイケているかという本がところ狭しと並んでいる。確かに個人投資家からすると、応援したい企業の製品やサービスが割引されるメリットがあって魅力的なのですが、海外の機関投資家は優待を受け取れなかったり、受け取ったところで扱いに困るので手間をかけて換金処分するケースがあります。どういう角度で見るかによって見え方が違ってくる玉虫色の存在が株主優待というものであり、これに関してなかなか自分の考えを整理して言語化することが出来ていませんでした。私の理解が正しいかどうかはさて置き、今の時点の私の考え方を一度まとめてみようと思い立ちましたので、今日は筆を取らせていただきます。
株主平等の原則はどこへ行った?
とある海外投資家さんと話をしていると、株主優待がある企業への投資に関して「株主優待の存在で株価が無駄に高いので、投資出来ない」という声を聞くことがありました。個人投資家にとっては、自分がお気に入りの企業の製品やサービスの割引を受けられるメリットがある為、通常の株式の評価に対してプラス・アルファがある。そうすると以下の図のような感じで、海外投資家が考えている企業価値と、個人投資家が考える企業価値に乖離が出てくるのです。海外投資家からすると、自分たちが適正だと思う値段まで株価が下がってきませんので、その企業に投資をすることが出来ないという訳です。
でもこれって、本当に許されることなのでしょうか?日本の会社法には「株主平等の原則」という考え方があって、全ての株主を平等に扱わなければなりません。上記のような状況は、この原則に反していると言われても仕方のないことですし、私は株主優待に関してずっと懐疑的な考え方を持っていました。
でも最近思っているのが、「株主平等の原則自体を見直すべきタイミング」なのではないかということです。どういうことでしょうか。
株主平等の原則って、今の時代には合っていない?
我々は株式会社という制度を発明し、経営と所有の分離をすることによって大規模な事業を手掛けられるようになりました。もしかすると、資本主義社会における一番大きな発明が株式会社なのかもしれません。しかし、私の著書「資本主義の中心で、資本主義を変える」の中でも書いたように、我々は資本主義そのものを見直さねばならないステージに差し掛かっています。資本主義を見直さねばならないのであれば、株式会社の在り方も見直すべきであり、会社法で規定される「株主平等の原則」の見直しも選択肢に入ってくるはずなのです。
株主至上主義とも言われるこれまでの資本主義社会において、資本家が大きな力を持つことによって実体経済を無視した時間軸の短期化や成長の目的化が起こり、そして貧富の差が拡大しました。そうすると、株主に偏り過ぎた権力を労働者や消費者に取り戻すということが、我々の取るべき道筋となるのではないでしょうか。株主、労働者、消費者の間で誰かに権力が偏り過ぎることのないように、相互牽制が効くようにそれぞれの目線を上手く合わせることが重要になってくるのです。
トマ・ピケティは「r>g」と言いましたが、資本の増殖の方が実体経済の成長よりも早いため、放っておくと資本家と労働者の貧富の差は拡大していくことになります。しかし、労働者はある程度の自社株を保有して資本家としての側面を持つことで、この格差を是正してお互いの目線を合わせることが出来ます。たとえ株主が企業にプレッシャーをかけて労働分配率を削り給料が下がっても、労働者が自社株を持っていれば株主としてメリットを享受できるといった具合です。
では、消費者はどうでしょうか?もちろん、製品やサービスがお気に入りの企業の株式を買うことは出来ますが、それはそんなに強い結びつきではない。でも、ここに株主優待が存在すれば、株主と消費者の結びつきが強くなり株主と消費者の目線を合わせることが出来るようになるはず。株主に権力が寄りがちな現在の資本主義を是正するためには、一時的には有効な手段であるように見受けられるのです。
このように考えてみると、株主に権力が寄り過ぎた現在の資本主義を是正するためには、株主優待にも一定の合理性があるような気がするのです(これはまだ、自分でも確信が持てている訳ではないので、あくまで現時点の見解です)。さすがに会社法を変えるというのは結構ハードルが高いので、時代の流れに応じて株主優待を上手く使うというのは、もしかしたらアリなのかもしれませんね。
どちらにしても言えるのは、株主優待は現在の株主至上主義を是正するための一時的な施策であって、永久に存続することを前提にすべきではないということでしょうか。株主優待の個人に守られて、厳しい事を言ってくれる機関投資家を遠ざけてしまうというのは、資本主義の機能不全をもたらしかねませんので。
種類株と株主優待
日本ではあまり見かけませんが、世の中には種類株というものが存在します。たとえば日本ではサイバーダインという企業が種類株を発行していまして、ロボット技術が軍事転用されてしまわないように、山海社長が議決権の大きな株式(通常の10倍)を持っています。アメリカでは多くの種類株が存在し、たとえばメタのザッカーバーグも議決権の大きな種類株を保有しています。またフランスでは種類株ではありませんが、フロランジュ法という法律があり、2年以上株式を保有していたら議決権が2倍になるといった取り扱いをしています。
これらはどれも、株主に偏りがちな権力を経営者に取り戻したり、時間軸の短期化を補正しようとする試みです。このように法律や種類株の発行により株主に偏りがちな権力を分散させ時間軸の適正化を図るというのは、株主優待と同じ効用を期待している部分もあるのです。株主優待はあまり世界に類を見ない制度ではありますが、資本主義を上手く使いこなしていくためのツールとして、シッカリとその存在意義を議論すべき時なのかも知れませんね。(単なる安定株主確保のための株主優待は厳に戒めるべきですが!!)
ちなみに私がこの記事を書こうと思ったのは、昨年開催した「資本主義をアップデートする」アドベント・カレンダーにて、入山章栄先生が「協同組合」モデルを提唱されていたことに着想を得ています。
こちらのアドカレは、「資本主義の使いこなし方」に関して本当にイロイロな気付きが得られるのでお勧めです!
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