【想田和弘】日本社会にはびこる「台本至上主義」の陥穽

2016/2/20
異才の思考」第4弾には、映画作家・想田和弘氏が登場する。想田氏は、台本やナレーション、BGMなどを排したドキュメンタリーの手法である「観察映画」を提唱、実践して大きな注目を集めてきた。
2016年2月20日公開の『牡蠣工場』は、岡山県・牛窓を舞台に変わりゆく社会の本質を描いたことで、「想田監督の最高傑作」という声も上がっている。 また、メディア上での舌鋒鋭い政治的な発言でも知られている想田氏。彼のドキュメンタリーにおける手法や発言の「真意」は、どこにあるのだろうか。

ドキュメンタリーへの違和感

──想田監督は、ドキュメンタリーの映画作家として、またさまざまなメディアで日本社会の課題についての発言をすることでも、注目されています。初めに、ドキュメンタリーを撮り始めた経緯から伺えればと思います。
想田 僕は、もともとドキュメンタリーではなくフィクションの映画に関心があって、劇映画の制作を学ぶためにニューヨークの大学に進学しました。最初からドキュメンタリーに興味があったわけではないんです。
ところが、卒業後に入ったニューヨークの制作会社がドキュメンタリー番組を主につくっていたので、ぶっつけ本番で手がけるようになっちゃったんです。
ドキュメンタリーの理論や手法を学んだことはなかったので、番組のつくり方は先輩の見よう見まねです。そこで、NHKなどのドキュメンタリー番組を40~50本つくりました。
結果的に、ドキュメンタリーの面白さに目覚めて、非常に楽しかったのですが、次第にそのつくり方に違和感を覚え始めました。
──たとえば、どのような点ですか。
1つは、僕が「台本至上主義」と呼んでいる問題です。ドキュメンタリー番組の現場では、撮影前にテーマについてリサーチしたり、知識を仕入れたりするだけでなく、取材対象者とも打ち合わせをするのが一般的です。そして、何が撮れて、何が撮れないかを知ったうえで構成台本を書くんです。
その台本には、番組の起承転結を書き、場合によってはナレーションやエンディング案まで用意します。
つまり、事前にストーリーを固めてから取材するわけです。すると、番組は当然その台本に縛られてしまいます。
いざ取材を始めてみると、自分が想定した台本とはまったく違う現実があるのは当たり前で、むしろそっちのほうが面白い。でも、それを撮影して帰るとプロデューサーに怒られてしまう。「なんでおまえは台本通りに撮らないんだ!」と。
ドキュメンタリーの醍醐味(だいごみ)は、つくり手が目の前にある現実から学んで作品をつくりあげるところにあるのに、おかしいですよね。
自分が知っていることだけを予定調和的に撮ろうとする方法は、ドキュメンタリーを飼いならそうとして殺してしまうような行為だと思います。だから、僕はその真逆をやろうと思ったんです。
そして、もう1つは「説明過多」なこと。皆さんもテレビ番組を見ていて、やたらとナレーションが入ったり、悲しいシーンには悲しい音楽が流れたりしているなと感じることがあると思います。
「誰にでも理解できる番組」を合言葉でつくるけれど、視聴者はあんなに説明しなくてもわかるんじゃないか。むしろ、説明すればするほど、自分の目と耳で感じる姿勢が失われて、受け身になってしまうのではないかと思ったんです。
──その傾向は現在も変わりませんし、番組によってはさらに強化されているように思います。
そうですね。そこで僕が参考にしたのは、ナレーションやBGMなどを排して世界を直接的に描く「ダイレクトシネマ」と呼ばれるドキュメンタリー映画の方法です。初めて見たとき、その表現に圧倒され、輝いて見えました。しかも、彼らは1960年代からその手法に取り組んでいたんです。
そこで、代表的な映画作家であるフレデリック・ワイズマンやメイスルズ兄弟をお手本にしながらも、僕なりのアレンジを加えた「観察映画」をつくり始めました。
想田和弘(そうだ・かずひろ)
映画作家
1970年栃木県生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。1993年からニューヨーク在住。監督作品に『選挙』『精神』『Peace』『演劇1』『演劇2』『選挙2』などがあり、国際映画祭での受賞も多数。著書に『観察する男 映画を一本撮るときに、 監督が考えること』(ミシマ社)『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社)、『熱狂なきファシズム』(河出書房新社)など。
──「観察映画」は、どのように制作するのでしょうか。
僕は、モーセの十戒になぞらえて「観察映画の十戒」を掲げています。つくり手として、目の前にある世界に対峙(たいじ)することが大事だと考えています。
観察というと、すごく引いた目線のように思われる方もいますが、距離を取って傍観者になるという意味では使っていません。僕なりの観察の定義は、目の前にある現実をよく見て、よく聞くということ。文化人類学などで知られる「参与観察」にもヒントを得ています。
「観察映画の十戒」
1. 被写体や題材に関するリサーチは行わない。
2. 被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、(待ち合わせの時間と場所など以外は)原則行わない。
3. 台本は書かない。作品のテーマや落としどころも、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。
4. 機動性を高め臨機応変に状況に即応するため。カメラは原則、僕が一人で回し、録音も自分で行う。
5. 必要ないかも?と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。
6. 撮影は「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。
7. 編集作業でも、あらかじめテーマを設定しない。
8. ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。
9. 観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。
10. 製作費は基本的に自社で出す。カネを出したら口も出したくなるのが人情だから、ヒモ付きの投資は一切受けない。作品の内容に干渉しない助成金を受けるのはアリ。

『カメラを持て、町へ出よう──観察映画論』(集英社)より
──これは日本における一般的なドキュメンタリーの手法としては異色ですが、アメリカなどではいかがでしょうか。
日本ほどではありませんが、アメリカでも同じように、台本至上主義的なつくり方は多く見かけます。
たとえば、マイケル・ムーアの映画。彼の『華氏911』は、ブッシュを批判するため、もっと言えば選挙で落とすためにつくられたものです。
その前提に基づいているから、取材中に万が一「ブッシュにも意外と良い面があった」という事実に出会ったとしても描かなかったと思います。そもそも、そんな状況に出会わないつくり方をしているかもしれません。
また、海外では「ピッチングセッション」という、いわゆる提案会議があります。これは公開の場でドキュメンタリーのつくり手がテレビ局のプロデューサーにプレゼンするんですが、そこでも同じ問題があります。
プレゼン者の話を聞いていると、もうこの段階で、頭の中で映画がかなりできあがっているケースがあるんですよ(笑)。それは、おカネを出す側が、どんなストーリーや映像になるのかわからないと、出資を渋るという事情があるからです。
──それに対して、想田監督が撮影を始めたきっかけは、「漁業に関心を持った」という一点だけですね。
はい。舞台となった牛窓は、僕のカミさん(本作のプロデューサー・柏木規与子氏)の母親の故郷という縁があって、よく訪れていました。そこでたまたま漁師の方と知り合う中で、漁師の経済的状況が苦しいとか、後継者不足に悩んでいるという話を耳にして、「水産物の需要はこれからも減らないはずなのに、なんで漁業が衰退するんだろう」という疑問が湧いて、撮影したいと思ったんです。
漁師といえば、船で魚を獲っているイメージだったのですが、ちょうど撮影時期が牡蠣のシーズンだったので、牡蠣工場がテーマになりました。これは、自分としては面食らったところもありますが、それもアクシデントを歓迎する観察映画らしさだと思います。
そして、撮影や編集を進める中で、次第に過疎化、後継者不足、中国人労働者の受け入れ、震災の影響などの課題が浮かび上がってきたんです。
これが最初から「漁業の後継者問題をテーマにするぞ!」という前提で取材を始めていたら、ほかに存在している現実が、こぼれ落ちたままになっているでしょうね。
──本作では、牛窓で生活する人々の様子が丹念に描かれています。
観客には、牛窓の空間や時間の流れを疑似体験してほしいんです。あたかも牡蠣工場の世界に、突然放り込まれたかのように。
だからこそ、ストーリーとして語ると3行ほどで終わってしまう話を、145分かけて描いています。
──その点で言うと、牡蠣工場で働く方々が牡蠣をむくシーンを、長時間映すシーンが印象的です。
僕自身が初めて牡蠣をむく姿を目の当たりにして、撮影中に見入っちゃったんです。これはたぶんテレビの世界では、まっさきにカットされてしまう部分ですけれど、その作業の様子や生活ぶりこそが非常に面白いと思ったんです。

日本にはびこる台本至上主義

──観察映画という手法は、日本社会の課題をも映し出しているように感じられます。その点が、想田監督に注目が集まる理由の一つではないでしょうか。
そうですね。やっぱり日本を見ていると、何事においても台本をつくってそれに従うのが好きなんですよ(笑)。日本人は綿密に予定を組んで、それをこなすことが非常に得意ですから。
だからこそ、台本至上主義がはびこりやすいんだと思います。そのせいで、想定外のことが起こると急にもろくなってしまいます。
こうした結論ありきでつじつまを合わせるのは、ドキュメンタリーの取材者だけでなく、政治、企業、教育、スポーツに至るまで、共通していると思います。
観察映画の手法についてお話しすると、内容だけでなく、手法にも興味を持たれます。自分の仕事や職業と結び付けて考える方が多いですね。
社会が安定していれば、予定調和なやり方でも誤魔化せたかもしれません。でも、現在のような激動期には難しい。そこに対峙するためには、台本にとらわれない、臨機応変な対応が必要になります。
そこで求められるのが、僕の言葉で言えば観察であり、自分の頭で考えることなのだと思います。
──日本では、それが十分に機能していないという問題意識はありますか。
ありますね。観察が足りてないですよ。たとえば僕自身、「想田は左翼だ」とレッテルを貼られることが多いけど、よく観察してもらえれば、左翼じゃないことはわかるはずでしょう。
僕はむしろ政治的には保守的な考え方をしているし、マルクス主義を基本にした社会設計をすべきだとも、革命を起こすべきだとも思っていません。少しずつ世の中を改良していくべきだという主張ですから。
そんなこと一つとってみても、「みんなが左翼と言うから左翼だ」という思考停止状態があるのではないかと考えています。
──さきほどマイケル・ムーア監督の名前が挙がりましたが、映画監督の中には作品と自身の政治的主張が一体化する人もいます。その点はいかがでしょうか。
僕は完全に切り離しています。映画をつくるときに考えていることは、とにかく見応えのある、優れた映画をつくりたいということです。それによって「社会を変えたい」とか「自分のメッセージを伝えたい」という思いはどこにもありません。

1億2000万分の1の責任を果たす

──それでは、近年注目されている政治的な発言はどのような位置付けなのでしょうか。
すごく単純な話で、一市民として、1億2000万分の1の責任を果たしているだけです。
僕は市民である以上、個々の政策や政治的な問題について意見を表明する責任があると思うんですよ。そうしないと、デモクラシーは機能しない。TPP(環太平洋連携協定)にしても原発にしても「賛成と反対、どちらでもない」という答えは本来ありえないし、そこから逃げちゃいけないと思うんです。
「どちらでもない」は、事実上の黙認ですからね。ただ、僕に課せられた責任は、一市民として責任を持って自分の考えを述べるということだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
だから、僕に対して過大な期待をされても困ってしまいます。「そんな発言で社会が変わりますか?」と言われることもあるんですけど、「知りませんよ、そんなの」という話です(笑)。
僕はよく「ゴミ拾い」というたとえをします。今の民主主義が抱えている課題をゴミだとすれば、僕は拾えるものを拾っているという感覚です。
当然、それだけで街がきれいになるわけじゃない。あまりにも大量のゴミがありすぎますし、中には巨大な粗大ごみもある。とても自分一人じゃ動かせない。
でもゴミ拾いをする僕を見て、自分も拾おうとする人もいるかもしれない。いないかもしれないけど。
僕は、デモクラシーを健全に機能させるために観察映画を撮っているわけではありません。「観察する」という手法が、結果的に日本社会に対する批評性を有しているということです。
──以前、テレビ番組でデモに関して「SEALDsに寄りかかってはいけない」と発言されていましたが、あくまで一人ひとりが考えなければいけない、ということでしょうか。
そうですね。誰かに何かを背負わせるのではなく、同じ重みを一人ひとりが引き受ける覚悟を持つことが大事だと思います。そういう自立した個人が、民主主義をつくると考えています。

日常の「さざ波」をとらえたい

──ちなみに、政治的な発言をするようになったきっかけはあったのでしょうか。
東日本大震災が起こって、いてもたってもいられなくなってからですね。それまでは控えていたのですが、発信するようになったんです。今ではツイッターのフォロワーが5万人を超えていますけれど、当時のフォロワーは200~300人程度でした。
ところが、僕の発言に目を付けた新聞記者や編集者の方にインタビューや寄稿をお願いされるようになり、気がつくと論客と呼ばれるようになっていました。そして、左翼と罵倒されるようになったわけですね(笑)。
どんなことにおいても、最初の動きなんてささやかなものです。僕自身、140字のつぶやきが、こんな結果をもたらすなんて、思いもしませんでした。
だからこそ、僕は日常に潜んでいる「変化の歯車が回転する瞬間」にすごく興味があるんです。
──なるほど。想田監督の作品は、大きな事件ではなく、日常や市井の人々を魅力的に描くところに特長がありますね。
僕は、ハリウッド映画のように、ビルが爆発しないと物語にならないとは思いません。日常を丹念に観察すると、実は誰にでもドラマがある。物語って勝手に立ち上がっちゃうんです。その意味で、「つまらない日常はない」「世の中に面白くない人はいない」と考えています。牡蠣工場が世界の縮図であるようにね。
それに、世の中を騒がす大事件は確かに目立つけれど、多くの人にとって、「勝負どころ」は毎日の生活にあるのではないかと思っています。
人生は、毎秒毎秒が選択の連続で、その選択によって、いつのまにか自分がつくりあげられていきます。「今ここで笑うのか、怒るのか」といった振る舞い一つで、人間関係はもちろん、社会との関係も変化して、少しずつ人生が動く。でも、その変化の歯車が音を立てる決定的な瞬間は、目を凝らさないと見過ごしてしまいます。
僕は映画で、そんな日常の中で生まれる「さざ波」を敏感にとらえたい。社会における変化の兆しや物事の本質が、そこにあると考えているからです。
──それでは最後に、牡蠣工場をご覧になる方にメッセージを頂ければと思います。
ドキュメンタリーは体験だと思っているので、ぜひ牛窓の世界を感じ取ってほしいですね。そして、何年か後に「あのシーンはこういうことだったのか」と思い出してもらえたらいいなと思います。
──もしかすると、日本社会がある方向に舵を切る瞬間が収められているかもしれません。それが良いことか悪いことか、という問題はありますけれど。
この映画で描いた世界が、どんな意味を持つのか、今はまだわからないです。ぜひ、観客の皆さん一人ひとりが、じっくりと自分自身で観察してもらえればと思います。
(写真:風間仁一郎)