ニューロダイバーシティは発達障害の言い換えではない

2023年8月10日
全体に公開

ニューロダイバーシティという言葉が、日本においても少しずつ使われ始めるようになりきました。ですがまだまだ、この言葉に関する誤解や誤用も多いように思います。今回は頻度No1と呼び声の高い?、「発達障害の言い換えとしてニューロダイバーシティを使用する」誤用について書きたいと思います。

一見いいこと言っているふうだけど…

ニューロダイバーシティに関する誤用や誤解は様々あるのですが、最も多いのは「発達障害を障害と捉えず、脳の多様性(ニューロダイバーシティ)と呼ぼう」というような文脈での使用です。つまり「発達障害」という言葉は印象が悪いしネガティブワードだからニューロダイバーシティと表現するようにしましょう、というメッセージです。これは一見よいことを言っているように見えるかもしれませんが、明らかにニューロダイバーシティという概念を誤解していると言わざるを得ません。単に誤用が発生しているということだけではなく、この方向で誤った認識が拡散されることの弊害は大きいのではないかと、私は危惧しています。

確かに、前回の記事「ニューロダイバーシティの誕生」で、ニューロダイバーシティという言葉が自閉スペクトラムの成人当事者たちによって生み出されたことをお伝えしました。そしてその歴史的事実は、ニューロダイバーシティを語る上で外すことの出来ない重要事項です。ですが彼/彼女たちは、「自閉症を含む発達障害は脳の多様性なので、ニューロダイバーシティと呼んでくだい」なんて言っていません。そもそも、一部の少数派の特性の持ち主だけを「多様性」と呼ぶこと自体が、言葉の意味を考えると使い方として間違っています。

ダイバーシティVSユニバーサリティ

ではどのように言っていたのでしょうか。

私たちの社会がニューロダイバーシティ(神経多様性)をより広く理解するようになれば、私たち(人間)全員が恩恵を受けることになると思います。ニューロユニバーサリティ(神経普遍性)の仮定は、エスノセントリック(自民族中心主義)の一形態によく似ています。
Jane Meyerding 1998

これは今でもインターネット上で読むことが出来るニューロダイバーシティに関する最古の記述とされているエッセイの一部です。そしてこの短い文章の中に、とても重要なことがたくさんつまっています。

まず重要なことは、ニューロダイバーシティの対義語としてニューロユニバーサリティ(神経普遍性)という言葉が、この言葉の誕生初期の頃から提示されているということです。ニューロユニバーサリティという言葉を、もう少しかみ砕いて言うなら「人間同士なんだから、お互いに似てて当たり前だよね」という人間観のことです。そしてニューロダイバーシティは「人間同士は似ていなくて当たり前だよね」ということになります。つまり、ニューロダイバーシティという言葉は最初から「人類全体」を視座に入れた、人間理解の眼差しの話として提示されていたのです。決してある特定の少数派をリフレーミングするための言葉ではありません。

当然のことながらそれは、現代社会があまりにも「ニューロユニバーサリティ」な価値観の元に営まれていることへのアンチテーゼです。それは発達障害とカテゴライズされる少数派たちの生きづらさの大きな背景要因です。ですがそれだけではありません。別記事で様々お伝えしてきましたが、「早寝早起き」が全員一律に推奨され、「男性脳」「女性脳」を根拠に誤った理解に基づくジェンダー役割が正当化され続けている…。多数派とされる人たちだって、ニューロユニバーサリティな価値観とは無縁ではいられません。だからこそ、エッセイの著者であるJaneさんは人類全体が恩恵を受けるはずだと書いたのです。ニューロダイバーシティは、「人間同士なんだから基本的には同じでしょ、似ているでしょ」という、人の脳の多様性、つまり実際は存在している個人差の大きさを無視し続けてきた現代社会を変えていこう、という声なのです。

先ほどのエッセイでは、ニューロユニバーサリティな認識の弊害を表現する方法として、エスノセントリック(自民族中心主義的)という言葉が使われていました。事実に反して人間同士が似ている存在だと考えることが、なぜ問題なのか、そのあたりは次回にお伝えしたいと思います。

トップ画像:Pixabay

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