【スノーピーク】時代に左右されない、進化するブランドの作り方

2017/11/30
戦後、東京への一極集中が加速した日本。しかし最近では、東京で働き続けることよりも、地方でよりダイナミックに活躍する選択肢を視野に入れるビジネスパーソンが増えている。「脱・東京、Localが放つ可能性」シリーズ第3回は、新潟県三条市に本社を構える総合アウトドア企業・スノーピークにフォーカス。

燕三条駅から車で約30分、5万坪のキャンプ場を併設した本社があるスノーピーク。見渡す限り広がる大自然を眺められる社屋から、革新的な新製品が次々と生まれている。高品質なものづくりを支えているのは、「ユーザーである自分たちが本当に欲しいものだけをつくる」という、創業以来変わらない信念だ。燕三条に江戸時代から伝わる金属加工技術や文化資源を活用したものづくりの情熱について、山井氏に話をうかがった。
山登りを禁じられた、怖いもの知らずの挑戦者
「おしゃれで快適なキャンプスタイルを提案したい」。創業者である父のもとで、新規事業としてキャンプ事業を始め、高品質で革新的な製品を創り出すことになった原点には、キャンプへのゆるぎない理想像がありました。
スノーピークの前身は、父が創業したヤマコウという会社です。金物問屋として創業しましたが、大好きだったロッククライミング(登山)道具に不満を持ち、自ら開発するうちに製造業に変わっていきました。
時間を見つけては山に行く父に育てられ、私も野遊びが大好きな子どもに育ちました。しかし、10歳のときに突然、父から山登り禁止令が出ます。「お前みたいなやつが山に登ったらすぐに死んでしまう」と。わんぱくだったんですね(笑)。
憧れていた登山は禁じられましたが、キャンプにはよく連れて行ってくれました。こんな道具があったらいいのに…というアイデアの源泉は、子どもの頃からのキャンプ経験の蓄積があったからかもしれません。
「人間性の回復」を求めて燕三条にUターン
東京の大学を卒業後、外資系商社で働いて3年が経ったとき、父から2度目の突然の指令が下されます。「3年経ったら地元に帰ってくる約束だっただろう」、と。身に覚えのない約束でしたが(笑)、生き方を考え直すいい機会かもしれないと、燕三条に戻ることにしました。
スノーピークの使命は、自然と人、人と人がつながることによる「人間性の回復」ですが、当時の私がまさに「人間性の回復」を必要としている状態でした。
満員電車に揺られ、人が大勢いるのに一言も話さずに通勤し、ハードワークを続ける日々に疑問を抱きながら心身を疲弊させていく。そんな時期だったからこそ、「地元に帰ろう」と素直に思えたのかもしれません。
ヤマコウの前身、山井商店の看板。1971年に組織変更している。
一度、離れたから気づいた、燕三条の魅力
燕三条に戻って感じたこと。それは、「作りたいものを形にできる、夢のようなまちだ」ということでした。
まちのいたるところに職人がいて、製造設備も技術もそろっている。自分に製造手段がなくてもデザイナーとして作りたいものを企画できれば、形になると確信しました。
子どもの頃から近所の鍛冶屋に出入りし、職人たちの、まるで魔法のような手仕事を間近に見てきました。東京で働き、燕三条を離れたからこそ、ここにしかない技術力の高さにあらためて気づかされたのです。
一方で、高い人件費に値する職人たちが高品質なものを作っているものにもかかわらず、とても安い金額で売られていることに、強い違和感を覚えました。
そこで、「自分で作るものは、機能性と耐久性が高く、デザインも申し分なく、価格もそれに見合ったものにしよう」と心に決めたのでした。
「自然の中で豊かに過ごす」新たなスタイルが誕生
1986年にヤマコウ(現・スノーピーク)に入社し、すぐに取り組んだのが、現在のオートキャンプの原型である「ドームテント」や「タープ」、アウトドアで良質なリビング、キッチン空間をレイアウトできる「SLS(スノーピークレイアウトシステム)」の開発でした。
キャンプをより快適なものにするため、100商品ほど企画しましたが、なかでもテントには強いこだわりがありました。
80年代当時、キャンプは「宿泊代を浮かせるための手段」という考えが一般的で、ラグジュアリーな過ごし方ではなく、どちらかといえば安価なサバイバル。
テントは9800円ほどで購入できましたが、雨が降ればすぐ雨漏りするものばかり。「おしゃれで快適な野遊びがしたい」という私の理想からは程遠いものでした。
そこで、無いならば作ればいいと、強度やデザインにこだわり抜いた16万8000円のテントを開発。メーカーが製品に対して責任を持つのは当然だと、永久保証をつけることも決めました。
キャンプを「自然の中でゆったりと過ごす価値ある時間」と捉えれば、統一感のある美しいデザインのアイテムに囲まれたいというニーズはあるはずだと考えたのです。
ただ、販売に至るまで、父には10回プレゼンをして10回すべて突っぱねられました。そこで、小売店やバイヤーをまわり、商品はまだないものの事前注文を取りつけて、右手に納品書、ポケットに退職願をしのばせて11回目のプレゼンに挑むことに。
すると、納品書を見た父が「なんで早くやらないんだ」と一言(笑)。ここから、ハイエンド向けのアウトドアビジネスがスタートしました。
徹底したユーザー視点を持つための「スノーピークウェイ」
90年代前半まで、キャンプブームの流れに乗って業績はぐんぐんと伸びていきました。しかしブームは下火になり、私が社長に就任し、社名がスノーピークとなった96年には、小売店や卸売業者から「キャンプ用品は売れないから、スノーピークは営業に来なくていい」と言われ、会社の存在意義を見失うところまで落ち込みました。
そこで98年に始めたのが、ユーザーの皆さんと一緒にキャンプをするイベント「スノーピークウェイ」です。
会社の原点である、「自らもユーザーであるという立場で考え、お互いが感動できるモノやサービスを提供する」ことへ立ち戻る意味を込めて、ミッションステートメントと同じ名称「スノーピークウェイ」をイベント名にしました。
集まった30組のユーザーとたき火を囲みながら、スノーピークへの意見を聞くと「価格が高すぎる」「品ぞろえが悪い」という厳しい声を全員からいただくことに。
開発においては「徹底的なユーザー目線」を実現させてきた自負がありましたが、販売にその視点が足りなかったと猛省。それまでの問屋経由での販売をやめ、価格を見直したことで、少しずつ業績も回復していきました。
あのキャンプの夜がなければ、今のスノーピークはありません。ユーザーが本当に欲しいものを作る会社であるために、ユーザーの生の声を聞くことが大切だと痛感した出来事でした。
キャンプ場を併設した本社。広大な自然に囲まれている。
1人の社員が、企画からデザイン、開発、販売まで行う
スノーピークのものづくりには大きな特徴があります。それは、1人の社員がプロダクトマネージャーとして、企画からデザイン、素材の選定、協力工場との連携、販売戦略立案まで一気通貫して行うこと。
なぜなら、商品はどれも高価なので、お客さまに感動してもらわなければ絶対に売れないから。開発担当者が「誰よりも自分が欲しい」と思う商品への情熱が不可欠なのです。
社員は皆、大のキャンプ好きなので、高いユーザー視点を持っています。そこに、「こんな商品があればかっこいい」というデザイナー視点と、燕三条の職人さんと直接技術の話ができる開発知識が必要です。
とはいえ、若いスタッフが開発知識を最初から持ち合わせているわけではありません。
1人で開発から製造ラインに乗せる全工程を担当することで、「そんなものは作れない。勉強しなおしてこい」とおやじたちから怒られながら、ものづくりのイロハを学んでいく。そうして、スノーピークの商品は誕生します。
一気通貫でやるのは大変だと思うかもしれませんが、スノーピークは大のアウトドア好きが集まった会社です。
現在、グローバルで約300人の社員がいますが、地元出身者は30人程度。それだけ、自分が欲しいものを作りたい人で構成されているからこそ、ユーザーに支持を得られる商品を開発できるのだと思っています。
ユーザーに面と向かって認められるやりがい
完成した商品には個性が出るため、ユーザーから「この商品を作ったのは○○さんだよね?」と言われることが多くあります。たとえば、キャンプイベント「スノーピークウェイ」で、直接ユーザーから商品の感想や要望を伝えられている社員をよく見ます。
また、「最近買ったこの商品は、本当に使い勝手がよくて気に入っています」という声を聞けば、すぐに担当を呼び「○○が作ったんですよ」と紹介。
自分が思いを込めて作った商品を目の前で使っていただき、さらに「こんな商品が欲しかった」と言っていただける。担当者にとってこれ以上のやりがいはありません。うれしくて号泣する社員もいます。
もちろん、デザインや機能性に苦言を呈されることもあり、面と向かって言われると落ち込みますが、もっといい商品が作れるはずだと奮起する社員ばかりです。
「スノーピークウェイ」は毎年欠かさず開催し、のべ10万人以上のユーザーと商品について語り合ってきました。私自身、ユーザーとはキャンパー同士として付き合ってきた自負がありますし、上限に達しているフェイスブックの友達のうち8割はユーザーです。
新商品がリリースされ、使い勝手やデザインに少しでも不満が出ようものなら、瞬く間にユーザーからメッセージが殺到(笑)。
最終製品を作っているブランドだからこそ、徹底的にユーザー視点にこだわる。そして、商品への声がすべて本人にフィードバックされる仕組みがあるから、スノーピークは進化を続けているのだと思います。
土地との縁を大事にした、スノーピークの実績を全国へ
現在、スノーピークは、キャンパー向けビジネス以外にもアパレルやアーバンアウトドア、地方創生事業など非キャンパー向けビジネスにも着手しています。
アウトドアカンパニーから、自然と人、人と人をつなげ、「人間性の回復」を実現させる企業になること。それが私たちの考えるスノーピークの使命です。
地方創生事業では、北海道から九州まで約30地域で、キャンプ場経営などアウトドアをキーとした地域復興のコンサルティングを行っています。
地域への思いが強いのは、私自身が燕三条という土地との縁に支えられ、この地にスノーピークが生まれたことは必然だと感じているから。
実は、アウトドアビジネスを始めようと決めた80年代に、燕三条から約600年前の鋳物鍋の遺跡が発掘されました。それも、非常に美しい形状のもので、私にはダッチオーブンにしか見えなかった。
当時、ダッチオーブンは海外で流行りだしていましたが、燕三条では作れないと職人さんから言われていたのです。それでも、遺跡が発掘されたということは、燕三条にはもともとこの技術があるということ。
この土地なら、質にこだわり抜いたものづくりができると確信しましたね。私がスノーピークに入社した当時は、製品の3分の1を自社工場で作っていましたが、燕三条の工場や職人さんという素晴らしい地域資源を生かさない手はありません。
JCやYEGそして商工会議所など地域の活動に積極的に参加しながら役職も引き受け、この土地でしか築けない人間関係を一つひとつ大切にしてきて、今があります。スノーピークの協力会社の社長の多くは、中学高校の先輩・後輩や、地域の組合などでお世話になった人たちばかりなんです。
日本には、まだまだ眠っている、「その土地にしかない宝」がたくさんあります。
スノーピークで、その宝を高品質な商品化へとつなげた実績やアウトドアパーソンとしての視点があるからこそ、私がほかの地域へアドバイスできることがあるかもしれない。スノーピークの新たな挑戦は始まっています。
(取材:田村朋美、文:田中瑠子、写真:岡村大輔)