【中村佑介】もっとメジャーに、もっと大衆的に

2015/12/10

絵を描いているときは楽しくない

──続いて、中村さんの創作について伺えればと思います。絵を描いているときは、どのようなことを考えているのでしょうか。
中村 僕は、絵を描くこと自体には喜びや快楽を感じていないんです。描いていて楽しいと感じたことは一度もありません。
自分の絵がミュージシャンや作家、出版社やレコード会社、ファンの方に喜んでもらったときに初めて充実感を覚えます。
頭の中では、常に「この絵で一人でも多くの人を喜ばせるためにはどうすればいいか」ということだけを考えています。
たとえば、本の表紙が20万円の仕事だったとします。その場合、まずはどんなことがあっても金額に見合う仕事をしないといけない。
そのうえで、期待をどこまで上回れるか。きっと、どんな仕事であっても、与えられた条件の中でどれだけのパフォーマンスを発揮できたかが「楽しみ」ではないでしょうか。そのためには悩みますよね。
──絵を描くことは楽しくはないというお話は、意外に感じられます。
たとえば、子どもを産んだお母さんの中で、「出産そのものが楽しい」っていう人はいないと思いますが、おなかの中で育てて生んだことに対する充実感はありますよね。それに近いかもしれません。
僕は女の子の絵に関して、自分の趣味嗜好(しこう)をできるだけ排除しています。絵を描いていると自然とそこに近づくことがあると思うんですけれど、僕はそれを意識的に避けています。
それは、僕の描いた女の子が、いかに多くの人にとって感情移入できる装置として生きられるかを考えているからです。そこに僕の好みは必要ありません。
──では、どのようなキャラクターを目指したのでしょうか。
僕が目指したのは『ドラえもん』の野比のび太か『タッチ』の上杉達也の女の子版をつくろうということ。藤子・F・不二雄先生は、できるだけ多くの子どもが感情移入できるようにと、特徴を排除して行ってあの主人公の造形になった。
『ドラえもん』のキャラクターの中で、主人公なのに、のび太の似顔絵が一番描かれることが少ないでしょう。それは、特徴がないから。『キテレツ大百科』のキテレツなども、のび太と顔がとても似ていますよね。
あだち充先生の上杉達也もそうですよね。『H2』の国見比呂も『クロスゲーム』の樹多村光も同じ顔。たとえば『ドラゴンボール』の孫悟空のように、髪型を似せただけでも似顔絵が成立するキャラクターとは全然違います。
僕は、女の子でそういうキャラクターがいないなと思ったんです。そこで、たくさんの人に感情移入してもらえるように、日本人の平均的なバランスで描こうと考えました。目の大きさ、鼻の高さ、口、胸の大きさ、足の太さ、すべて計算しています。
だから、同じ構図で同じ顔の女の子を描いているといわれますけれど、意図してやっているんです。そこにキャラクターを持たせたくないですから。
その意味では、ジブリ作品に登場する女の子にイメージが一番近いかもしれません。彼女たちも特徴が抑えられていますよね。

作品のエネルギーは伝わる

──非常にロジカルにキャラクターをつくられているんですね。
そうですね。ここまではロジカル、この先は少しスピリチュアルな話でインタビューではカットされてしまうのですが、お話ししますね(笑)。
僕は、どんなものでも作品に込められたエネルギーって伝わると考えています。こういうインタビューが活字になったときにも、この場のテンションや雰囲気が出るように、人のエネルギーってどうしても伝わってしまうものなんですよ。それは、生命力やパワーと言ってもいい。
だから、僕は無機質な装置としての女の子を描いているからこそ、そこにエネルギーを込めないといけないと思っています。そうしないと女の子が人形、もっと言うと死体になってしまう。
そのため、本当に人間を生み出すような思いで描いているんです。僕は鼻筋を描くだけで「ああ、生まれてきた」という感覚があります。そこで、初めての子育てのように、丁寧に丁寧に線を引いて育てていく。
そして、描きながら「この子は人間なのだ」と僕自身の脳を錯覚させてゆく。構図や色彩を超えた熱量のようなものを込めていく。
この子はどういう服を着るだろう。どんな部屋に住んでいて、どんなものを集めているんだろう。笑ったらどういうリアクションをするだろう。そんなことを考えながら、指先まで神経が伝わるように描いていく。
だから女性のキャラクターを描くのは大変です。僕の絵はすっきりした線なので、さらっと描いているように見えると思いますが、女性キャラ1人に15時間から20時間かけています。背景はその2~3倍。全体で60時間かけている。パッと見、そうは見えないですよね。
さだまさし『天晴〜オールタイム・ベスト〜』(ユーキャン)
でもそういうエネルギーが人の心を動かして、本当の意味で感情移入できるのだと思います。だって、紙に描かれた線が「かわいい女の子だ」と思う時点で、脳がだまされているわけですから。
僕の絵は、一見無機質なんだけれど、何か引っかかるという方は、そこに秘密があるんだと思います。
絵を買ってもらうことは、お客さんに「この女の子を本屋さんに置き去りにしたくない」「所有したい」と思わせること。
一人でも多くの方にそう思ってもらえるように、感覚やセンスといったあいまいな要素を入れていないか、絵が好きな人だけに描いていないか、これまで応援してくれたファンに甘えていないかと、常に自問しています。
日々この繰り返しなので、絵を描くことは……やっぱり楽しくない(笑)。大変なんですよね。
東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』(小学館)

もっと大衆化して、俗っぽく

──中村さんは、イラストをもっと大衆化したいと話されていて、近年は特にメジャーな作品を手がけられています。その思いについて聞かせてください。
小説『謎解きはディナーのあとで』、AKB48・柏木由紀さんとのコラボやさだまさしさんのジャケット、果汁グミのCMなどを手がけたことは、とてもうれしかったですね。自分の絵に触れたことがない人にも、きちんと理解されて伝わったという実感を持つことができたからです。
一方で、こうしたメジャーな作品を手がけることは、内向的なファンの人からすると嫌だったりして、その気持ちもわかります。自分だけのものだと思っていたのに、俗な世界に取られてしまうような感覚。インディーズバンドがメジャーデビューしたら、何とか理由を見つけて、離れていく心理です。
でも、僕自身はより大衆化して俗っぽくなるべきだと考えています。大人から子どもまで、より多くの人にイラストを楽しんでもらいたい。
絵を描かない人の役に立ってこそ、イラストの文化が盛り上がり、自分たちのためにもなる。日本のイラストレーション文化の小ささで、メジャーになることを恐れる余裕なんて、今はまだないんですよ。
AKB48・柏木由紀×中村佑介
『週刊ビッグコミックスピリッツ』2014年36号(小学館)
それで言うと、『ビックリマンシール』の絵は一つの目標です。イラストの力で、年間4億個売れて、子どもたちが奪い合いになった。本当にうらやましい。
この前、シールのイラストを手がけた米澤稔さんと兵藤聡司さんにお話を聞きに行ったんです。そこで、「どうすれば、子どもにも伝わる絵になりますか」と質問したところ、「子どもを子どもと思ってバカにしないことだよ。子どもって結構大人だから。言葉足らずのところはあるけれど、感覚は大人と同じものが身についている。大人に出すものと同じように、丁寧につくったらすごく喜んでくれる」とおっしゃったんです。
やっぱりそこなんですよ。これまでイラストの教則本や専門書はキャラの書き方やうまく見せる方法にフォーカスされがちですが、きちんとした技術でもって、エネルギーを込めて描くべきなんです。
──もっとイラストのメジャー化が進めば、文化としても盛り上がりますね。
はい。まだマーケットは小さく、イラスト業界の手塚治虫は出ていません。だからこそ可能性があるとも言えます。日本でメジャーになるまでは、50年以上の長い時間が必要かもしれませんけれど、そのためにできることは何でもやっていきたいです。
いつの日か、イラストが日本の文化になって、絵を描いている子どもたちが野球部やサッカー部よりもカッコいいと思われるようになったらいいですね。
かつての自分のような子どもが、運動部の子たちに「お前らダッセーな!」と言えるほどの逆転現象が生まれたとしたら、僕は天国でガッツポーズしますよ(笑)。