スタバ、シェイクシャックを日本へ。サザビー創業者のフーテン人生

2015/11/14

スタバとのつながり

スターバックスとサザビーリーグがつながっていることをご存じの方は、あまりいないかもしれません。
「ハワード・シュルツという創業者がぜひ会いたいと言っている」
そのとき、サザビーリーグのカタログとフィロソフィを書いたものを持っていったのですが、それがすごく彼にヒットしたのだと思います。
実際に店を出すまでには、それから1、2年かかり、いろいろと面倒な手続きがありましたが、やはりスピリットが合ったのでしょう。
スターバックスが1000店舗を超えたあたりで、契約を解除しました。これも経緯を話すとシンプルな話です──。

30歳までは働かない

大学を出て就職して家庭を持って……というひとつのパターンに縛られるのは非常に抵抗がありました。
それであるとき石原慎太郎さんが、僕の大学卒業後の進路について聞いてきました。
「お前は普通のサラリーマンにならないんだな」
「なりません」
僕はどの職業をやりたいかが自分でもわかっていない。
その頃は一つの会社に入ったら、定年まで勤め上げるのが当たり前。自分でもよくわからないうちにコミットしてしまい、後悔するのは嫌だから、30歳ぐらいまでは「フーテンの寅」みたいにフーテンしちゃおうと考えました。

センスのいいものを大事に使う

イギリスの人たちの暮らしぶりを見ていて気付いたのは、彼らは贅沢しているわけじゃないけれど、ちょっとセンスのいいものを大事に使いこんでいるということでした。
使っているものも品質がいい。自分の嗜好の中で無理をせずに最大限のアウトプットをしていた。
当時の日本は外から見えるところは豪華にするけど、家の中は「うさぎ小屋」と言われたほど狭くてお粗末でした。
新しいものがいいものだと思い、お金をかけるなら車とか家電。ほかのところにお金をかけても仕方がないという感覚だった。
こんなふうに、その土地に住みながら異文化を肌で感じ取ったのは得難い体験でした──。

生活そのものがファッション

当時、雑誌の取材を受けて、「生活ってファッションなんだ。だからいつも夢を持ちたい」と答えています。
「生活そのものがファッション」という考え方はいまでこそ当たり前ですが、その頃はとても斬新だったのです。
その頃の日本の生活雑貨というのは徹底的に安いか、超高級で夢物語かのどちらかで、中間のニッチがありませんでした。
なおかつ生活雑貨を売るのだったら、実際に使っているところを見せるプレイグラウンドが必要でした。
それはカフェでありインストアベーカリーです。つまり1軒の店の中に飲食スペースと生活雑貨の店を同居させる。この生活雑貨の店で売っている食器を飲食のほうでも使うわけです──。

アニエスベーとの提携

1980年代になってアフタヌーンティーを始めた後、アニエスベーというフランスのアパレルブランドと提携します。
デザイナーのアニエスさんの主張は、「私のファッションに余分なものはいらない」というものでした。
「白いTシャツとリーバイスの501という典型的なジーンズがあれば、私のファッションは完成する」という。
これは時代の変化を敏感に嗅ぎ取っていました。
1980年代はじめというのは、デザイナーがアーティストのようになっていたのです。パリコレやミラノ、ニューヨークでスターのようにメディアに囲まれ、つくるものも洋服というより作品になっていた。
でも僕らからすると、衣服というのはそんなもんじゃない。Tシャツとジーンズだけでいいとは言わないけど、もっと普通のものでしょ、という感じがありました──。

衣食住の“食”に挑戦

生活雑貨の「アフタヌーンティー」が“衣食住”の“住”であり、アパレルの「アニエスベー」が“衣”なら、残るは“食“です。
カフェや食べ物屋のオーナーは「君らの家具を買う代わりに店内のデザインを考えてくれ」と言うことが多かった。
いまだったら企画料とかデザイン料とか目に見えないものにもお金を払うのは当たり前ですが、当時はそういう考え方がありませんでした。
それで、「飲食業の商売というのはちょっと古いな」「もっとほかにやりようがあるな」と思っていました。
熊谷喜八さんはいろんなところから声がかかっただろうけど、彼が「僕と組んでくれますか」と言うので、株式会社キハチアンドエスを設立しました。1986年のことです──。

ファッションビジネスと上場

サザビーリーグが上場したのは1997年です。もともと上場しようなんて思ったこともなかったし、目指したこともありませんでした。
それでJUNの佐々木忠さんに相談したら、「陸さん、ファッションビジネスで上場はないぜ」と言った。佐々木さんは正しかった。ファッションビジネスはすごくいいときもあれば氷河期もある。
でも上場というのは、未来永劫、ずっと成長していきますという話なのです。これは体験して初めてわかったことですが。
2011年にMBOで上場廃止することにしました。上場しなければ自由なことができる、上場したらできない、ということではありません。上場していても、やろうと思えばできる。
ただそれには手続きがいる。その手続きの間に時間が経ってしまって、考えていたことがもう古くなってしまう。それで商機を逃す可能性があるのです──。

今後のサザビー

僕がサザビーの代表権を返上したのが7年前の2008年です。
いま西海岸のスペシャリティストア「ロンハーマン」というブランドが日本でも人気ですが、これもサザビーリーグの仕事です。これは三根という人間がつくったもので、彼から僕のところに電話があったのが、僕がちょうどロスにいたときでした。
「会長、ロンさんがちょっと会いたいと言っています」
僕はあまりしゃしゃり出ないようにしています。あまり出しゃばると老害になるでしょう──。

これからも世界中を旅する

代表を退いてからは、ロンドンに3年、それからニューヨークに4年ぐらい住みました。
いまもフーテンが抜けないんですね。老人性フーテンです。
現在、1年のうち半分ぐらいはロンドン、パリ、ミラノ、ニューヨークを回って過ごします。
会社には、社長をしている森さんというパートナーがいてくれて、彼は実務者だから、運営は彼に任せて僕は旅に出られる。
僕は会社を始めてからずっと、グローバル・ビックシティ・ウォッチングというのをやっていました。大きな街を定期的に見ていると、そのときどきで人の興味の対象が変わっていくのがわかります──。
「陸軍記念日に生まれた三男坊」だから“陸三”。自由でラッキー
(予告編構成:上田真緒、本編聞き手:上田真緒、長山清子、構成:長山清子、撮影:遠藤素子)
30歳まで進路未定。放浪生活で培った審美眼
鈴木陸三(サザビーリーグ会長)
  1. スタバ、シェイクシャックを日本へ。サザビー創業者のフーテン人生
  2. 「陸軍記念日に生まれた三男坊」だから“陸三”。自由でラッキー
  3. 石原慎太郎のヨット仲間になる。大学時代は「好き放題やろう」
  4. 石原裕次郎急病でレースをリタイア。悪ガキ、陸に上がって銀座へ
  5. 「30歳までは働かない」普通のサラリーマンにはなりたくない
  6. 貿易会社を1年で退職。石原慎太郎の選挙で「鞄持ち」になる
  7. 26歳、ロンドンへ。誰も自分を知らないところで再スタート
  8. うさぎ小屋で見栄張る日本人、質素でも豊かに暮らすイギリス人
  9. イギリス行きに反対した父の訃報。異国の地で受け取った手紙に涙
  10. 29歳になったフーテン、欧州から帰国。サザビーを設立
  11. サザビー模索の時代。「生活そのものがファッションだ」
  12. アフタヌーンティー誕生。フランス人のカフェオレボウルが売れる
  13. アニエスベーと提携。人生をクリエイトするパリのデザイナー
  14. 「飲食業は古い」一流シェフ熊谷喜八と組んだレストラン
  15. スターバックスとサザビー提携。日本市場での成功秘話
  16. スターバックスと契約解除、サザビーを上場廃止したワケ
  17. 我が子は会社に入れない。スターなきスター集団であれ
  18. NYで人気のシェイクシャックと提携。11月、日本1号店をオープン