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注目のコメント
文士という、この、世に無用と思われた数万の青年たちは近代日本の新しい階層でした。彼らは福沢諭吉の示した高等教育修了者のライフスタイル、官僚や技術者、軍人として近代国家建設に進むことに飽き足りませんでした。何も日本特有ではなく、近代化に伴い世界中に現れた青年たちで、例えばドストエフスキーの『罪と罰』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』に出てくる青年たちも文士かその亜種です。ドストエフスキー自身もまた文士にほかならず、「批評家」というこれまた新しい職業の人物に見出されて世に出ることに成功しました。
ドストエフスキー自身は何の行政能力も無い人でしたが、革命運動に連座してシベリアに流刑されました。文士は革命家予備軍であり、野党勢力の核となりうる階層でした。日本でも、東京大学の学生をはじめ、多くの文士階層が共産党の指導者となりました。しかしながら、彼らもドストエフスキーのようなもので、レーニンやトロツキーになれる素質はありませんでした。
はたから見ると高等遊民にしか見えないレーニンやトロツキーのような人間がロシアに現れたこと、あるいは中国の放浪学生の中から毛沢東が現れたことは、これらの国の20世紀を大いに特徴づけました。日本の文士には太宰治や小林多喜二、そしてせいぜいほかならぬ共産党委員長の宮本顕治くらいしか現れなかったことは、日本の20世紀に大いに意味のあることでした。文士は単に富裕層の文化的あだ花というだけではなく、文化が政治に転化する際の着火役でもありえます。何も日本だけではないですが、日本では文士が政治に着火することはついに無かった、といえます。「カントリー」から「ネーション」へ、日本列島が近代国家という天井の高い空間へ変容するなかで、日本の作家は「公」と「私」、「家長」と「放蕩息子」と股裂状態になっていきます。
三鷹の禅林寺に、たまたま森鷗外と太宰治の墓が向き合っています。6月の桜桃忌には、太宰ファンの文学青年風・文学少女風がわがもの顔で墓地を闊歩する。花をたむけ、桜桃の缶詰を置き、ウィスキーをかけ、記念写真を撮る場合はてごろな台座を躊躇なくみつける。その台座に利用されるのがや斜め向かいの住人森鷗外なのである。時代によって、若者のエネルギーは集まる先が変わる。
いまなら、Youtuberであり、SNSであり、あるいは起業なのでしょう。
「文学青年2万人とは、いまならストリートミュージシャンやパフォーマーのようにすぐに就職しない人びとを指していた。あるいはお笑い芸人を目指して吉本興業へ入る若者たちだ。成功すればテレビに出演するスターになれるのだから」