プレミアム会員限定の記事です
今すぐ無料トライアルで続きを読もう。
オリジナル記事 7,500本以上が読み放題
オリジナル動画 350本以上が見放題
The Wall Street Journal 日本版が読み放題
JobPicks すべての職業経験談が読み放題
コメント
注目のコメント
天才・島清、賀川豊彦、菊池寛、横光利一、大宅壮一、そして円本ブームの広告塔となり「クルシイクルシイヘトヘトダ」と嘆いて自殺した芥川龍之介。作家は時代のセンサーとしての役割を果たすのだが…。
次回 「放蕩息子」の代表格となった太宰治が登場して、時代は現代に近づいていく。
太宰治が玉川上水で心中自殺したのは、僕が1歳半のときです。僕の記憶が始まるのは2歳半からですが、あの時代の街の風景は共有しています。雑誌というメディアがなぜ急拡大したのか(そして今なぜ終焉を迎えようとしているのか)考える時、当初、人々にとってどんなに新鮮であったのか、期待を抱かせるものであったのか想像する必要があります。
人々に生き方を教えるメディアとしては、論語や仏教の経典があり、それらをわかりやすく噛みくだいたメディアも江戸時代にはありました。落語や講談、浄瑠璃や歌舞伎もそうです。しかし、明治になり、大正になると、それらのメディアに自分の求める生き方を期待できないのではないかと考える人が増えました。今、新聞や雑誌に生き方を教えてもらおうという人が減ったのと同じでしょう。
福沢諭吉は数々のベストセラーや大学、そして新聞社を創設して大いに人々の期待に応えました。しかし、それらは全ての日本人に全面的なライフスタイルを示すものではありませんでした。ここに、上京した学生や文士の雑誌『中央公論』『文藝春秋』や大衆誌『キング』『平凡』が爆発的に売り上げを増やしていくマーケットがありました。これは、欧米社会についていわれる近代メディアの成立、コーヒーハウスの知識人たちから始まった公共圏の発展と重なる部分も異なる部分もあるでしょう。大学へ進学できるものは一握りでしかない時代、社会問題に興味を抱いても勉強する機会がない。学歴がなくても『社会問題講座』を読めば大学の講義を受けたも同然である。予約者は5万人に達した。シリーズもののベストセラーの始まりだった。
大正15年(1926年)12月、大宅壮一が『新潮』に「文壇ギルドの解体期 大正15年に於ける我が国ジャーナリズムの一断面」という評論を発表した。
文士は文壇ギルドという徒弟制度の世界の住人であった。だが作品が面白いか面白くないか決めるのは読者であり、文壇で親方に褒められるよりも、読者にどれだけ評価されたか、どれだけ売れたか、いまや市場が判断する時代だと主張した。