僕らが「銀行」を使う理由は、まだ残されているのか?

2018/8/20
その出来事は、ついに「臨界点」に達したことをうかがわせた。
2017年11月、日本を代表する巨大銀行グループ3社が、揃いも揃って全国の銀行員を震え上がらせる発表に動いた。大規模な「人員削減計画」である。
「安定した仕事」の代名詞だった銀行神話が、戦後初めて、脆くも崩れ去った瞬間だ。
とはいえ、バブル崩壊以降、「構造不況業種」と言われて久しいのが銀行でもある。
にもかかわらず、楽観的な雰囲気すら漂っていた銀行が、ここにきて喉元に突きつけられたのは、劇的な「環境変化」だった。
民間銀行が日本銀行に預けるお金についていた金利を、マイナスにするという、前代未聞の金融政策。
日銀に預けてのんびりと運用していないで、貸出先をちゃんと見つけて新しい産業を育て、融資にお金を回せ、というメッセージだ。
しかし、「金利をマイナスにする」という政策は、理論上はあり得ても、少なくとも日本では現実には踏み切ることはないと受け止められていた、いわば「非常事態」の政策でもある。
それがいともあっさり導入されたことで、銀行にとって利益の源泉である「利ザヤ」は限りなく縮小し、ついに本業で赤字に陥る銀行が続出したというわけだ。

「歯医者より不快」な銀行サービス

もっとも、日銀のこうした非常事態政策が導入されなくとも、銀行に「危機の足音」はひたひたと迫っていたはずだ。
世界を見渡せば、アメリカではこの10年で普及したスマートフォンによってモバイルバンキングサービスが急拡大し、銀行の支店を訪れる顧客は急減した。
スマホネイティブ世代からすれば、わざわざ銀行のカウンターに並んで送金手続きを行うなど、「歯医者」よりも不快なサービス以外の、なにものでもないわけだ。
米大手銀行は、こうした現実を真正面から受け止め、この数年で一足先に店舗削減というリストラを完了させている。
それだけではない。決済手数料を劇的に引き下げる、露骨な「焦土作戦」に踏み込んでいる。JPモルガン・チェースのリテール部門のカード手数料収入は、決済利用の総額が伸びているのに、2割も落ち込んだ(2016年)。
重要な収入源を犠牲にしてまで“新興企業潰し”にひた走るのは、それほど危機意識が強いことの裏返しでもある。

「金融のUber」が銀行を破壊する

かつてマイクロソフト創業者のビル・ゲイツはそう述べた。1994年のことである。そして、銀行は恐竜のように、時代の変化から取り残されるとも「予言」している。
かくして四半世紀が経った今、それは現実のものとなりつつある。
高度なテクノロジーと資金を持つ新興企業が、ビッグデータを与信審査に応用し、個人や企業へ迅速かつ効率的な融資を実現し始めている。
そして、こうした数あるテクノロジー企業の中でも、なんといっても銀行が恐れている存在は、米アマゾンと中国のアリババだろう。
独自のマーケットプレイスにおいてリアルにモノを動かしている二大巨塔は、そこに紐づくお金の情報を武器に、スピーディーかつ精緻なスコアリングを実現し、融資を拡大してゆく可能性を秘めている。
ゆえにアマゾンの銀行業参入の可能性が議論を呼び、またアリペイという超巨大な決済サービスを率いるアリババの金融業は、時価総額にして16兆円と、すでに邦銀最大手・三菱UFJフィナンシャルグループの約2倍の規模に達している。
2012年から15年にかけて、英銀大手バークレイズのCEOをつとめたアントニー・ジェンキンスは、こう題した講演で、銀行経営者に警鐘を鳴らしている。
Uberという新興企業の登場により、既存のタクシー業界が壊滅的な状況に陥ったように、銀行業界も「非連続的な変化」の途上にいることを自覚すべきだ、と。

「銀行は安心」という神話は続くか

バンキングの歴史は古い。
『THE END OF BANKING(邦題:銀行の終わりと金融の未来)』(ジョナサン・マクミラン著)によれば、バンキングの起源は「支払いサービスの提供」だった。
これは「保管人」と呼ばれ、顧客から「金や硬貨」を預かり、顧客の代わりに支払いを行うという仕事を始めていく。
船を買いたい人は、金庫から金貨をわざわざ持ち出す必要はないし、造船所の所有者も再度、受け取った金貨を預けに足を運ぶ必要もない。
その代わりに、必要な額だけを購入者から引き出したことと、それを造船所の所有者の口座に移したという、たった2つのことを、帳簿に書き込むだけでいい。
これこそが銀行業の起源であり、当時はいたってイノベーティブなサービスだったのだ。
しかし裏を返せば、金融取引とは、ただの「情報」に過ぎない。情報テクノロジーが高度化した今、金融サービスを提供するのに、何万人もの人員や、一等地の高級ビルも必要ない。
考えてみてほしい。そもそも人々はこの先も、銀行のサービスを享受するために、これまでと同じようにお金を預け続けるだろうか?
銀行のアキレス腱は、まさにこの「預金」にこそある。これが流出すれば、銀行はそもそも「金融仲介機能」という本業を全うすることができず、危機的状況に陥るからだ。
特集『銀行は、もう要らない』では、 銀行の「外側」で新たな金融サービスを提供しているプレイヤーたちの顔ぶれと戦略を、改めて紐解いていく。
それと同時に、重い腰をようやく上げ始めた、日本の銀行の「現在地」に迫る。
その前に、あえて第1回では、遠い異国の地アフリカで、ゼロから銀行のしくみを考えて奮闘する、ある日本人起業家の「秘話」をお送りしたい。
そこには、電気もインフラもなく、産業化という歴史を経ていないアフリカの地だからこそ、お金がうまく回る金融システムをゼロから立ち上げてゆく男の、壮大なリアリティがある。
「銀行とは何か」という本質を考える上で、まさに学びの宝庫なのだ。
「Too big to fail(大き過ぎて潰せない)」
危機に陥るたび、銀行という存在は国に守られてきた。だからこそ人々は安心して、預金口座からお金を引き上げることはしなかった。
しかし、これから先も、そうした「物語」が続くとは限らない。国がいかに守ろうが、銀行のサービスを享受し続けるより、もっとはるかに快適な金融サービスに、人々は移りゆくに違いない。
そもそも、給料が銀行口座に振り込まれることさえなければ、大半の人々にとって、銀行を使う理由は、今、残されているのだろうか。
あえて声を大にして、言わせてもらおう。
銀行は、もう要らない。
(執筆:池田光史、デザイン:すなだゆか、バナーデザイン:星野美緒)