安倍官邸の大敗。日本の権力中枢「霞が関」を解放せよ

2017/7/3

都議選を前にした「謀反」

「前川さんがヒーローだとは思わないが、官邸に奢りが出ていたのは間違いないし、あの捨て身の“反撃”が、大きな影響を与えたことだけは事実だろう」(内閣府関係者)
7月2日、投開票があった東京都議選。国政で政権与党を担う自民党は、都議会での議席を大幅に減らし、首都決戦で、歴史的な敗北を喫した。
大敗の一つのきっかけに、文部科学省元事務次官の前川喜平氏の“告発”があったのは、間違いないだろう。
【深層】揺らぐ安倍官邸。日本の権力を握る「豪腕官僚」は誰だ
「首相官邸の関与で、行政が歪められた」
加計学園の獣医学部新設をめぐる問題で、こう繰り返した前川氏は、自民党の政治主導を牽引する「官邸」が、公務員として行政を執行する「官僚」に対し、不公正な圧力を与えていることを印象づけるのに、十分過ぎる役目を果たした。
「正直、前川さんは、告発するんなら現職の時にしろよ、とは思うし、改革姿勢も少し古い。だけど、年々官邸からの影響力が強くなる霞が関には、影で共感する向きも多いのは確かです」
ある中堅官僚の一人は、こう打ち明ける。そこには、国家の中枢を担ってきた官僚たちの環境をめぐる大きな変化がある。

バカか、意識が高いのか

「今時、官僚になりたいなんて、何も知らないバカか、全てを知ってもまだやりたい意識高すぎるヤツか、どっちかだけだよ」
ある経済産業省の局長クラスは、こうぶちまける。
日本では、戦後長らく「エリートの王道」としてもてはやされてきたキャリア官僚だが、1990年の「失われた20年」を経るなかで、官僚腐敗や、それ以来続く公務員叩きが慢性化する中で、もはやエリートに成り手がいないと嘆いているのだ。
【完全解説】日本の「国家」を作った官僚たち。150年目の異変
今もまだメディアでは、「エリート官僚」という言葉は踊るが、昔と違って、東京大学でもさらに精鋭たちが、こぞって国家公務員になりたがる時代は過ぎた。
そもそも東大の権威自体も低下する上に、コンサルにIT、起業とさまざまな選択肢がある中で、わざわざ過酷で、給料も低い官僚を目指す層が減っているのは、紛れもない事実だ。また、せっかく手に入れた「キャリア官僚」というポジションを捨て、民間のコンサルやITベンチャーへ新天地を求める動きも加速している。
そして、霞が関からの離脱の理由は、公務員批判だけではない。
「省庁の担当官僚で、政策が決める余地が減ってきた。例えば、今、国交省がANA(全日空)べったりなのは、ANAが官邸にルートを持っているから。国交省の役目はそのつじつま合わせだけになってしまった」(中堅官僚)
戦後経済の成長を支えた「官僚主導」の時代は終わり、この20年で「政治主導」の統治体制が浸透した。それは日本が成熟社会を迎える中で、政治が迅速かつ統一的な判断をする上で重要な流れだったが、官僚が握ってきた権限や権力は剥ぎ取られていった。
「政治と官僚の対決は、政治の勝利で完結した」。ある官僚出身の自民党議員はこう指摘している。

力を奪われた官僚たち

だが、政治主導は必然の流れだったとはいえ、今、そのバランスが大きく崩れてしまったとの指摘は強まっている。
「官邸主導は、時代が変遷する中で、重要な流れだったが、官僚の力が決定的に弱まると同時に、官邸・自民党に緊張感がなくなり、明らかに傲慢になった」
ジャーナリストの田原総一朗氏はこう指摘する。これまで5年間鉄板の守りを誇ってきた官邸の危機対応だが、加計問題はいわずもがな、森友学園、稲田大臣の発言問題でも、その甘い見通しが全て裏目に出始めた。
【田原総一朗】いかに「官僚たち」は力を奪われて来たか
本特集「官僚たちの『逆襲』」では、近年、その存在感が薄まったとはいえ、まだ国家の権力に重要な「官僚たち」の今を取り上げる。
それも、東芝の再建問題や、年金問題、消費税問題で相変わらずの議論を繰り広げる旧来の霞が関の姿というよりは、新たな未来像を模索する若手・中堅官僚たちの「次なる動き」によりフォーカスしていく。
というのも、日本の産業や経済の大きな企業や機関は、霞が関の方式を「コピー」するかのように相似形だらけとなっており、経済や社会の未来には、まだまだ官僚たちの新たな動きが不可欠だからだ。
それは、前川氏のような政権外からの「攻撃」である必要はなく、政権内で、官僚たちが再び主体性を発揮していく意味での”逆襲”にも着目している。
このため、5月からネットを中心に大きな話題になった経済産業省の「若手ペーパー」についても、注目していく。
【若手ペーパー】変われない経産省。新世代官僚たちの「叫び」
政権内部から、誰もが感じている未来の困難な課題に対して、一つの生々しい「問題提起」があったことがインパクトを伴ったのは間違いないからだ。
内容はともかく、やはり、普段影に隠れて暗躍しているイメージさえある官僚たちの姿が、ある種の温度感や親近感を持って伝わったことも、話題が広がった大きな理由だと感じている。
また、足元の投票者に左右される政治家より、未来を見据えた政策を考えられる官僚の奮起はさらに必要となるだろう。

究極系は「解放」だ

「我々は、国家に雇われているのであって、大臣に雇われているわけではない」
これは、通産官僚を題材にした城山三郎の人気小説『官僚たちの夏』で主人公の風越信吾が若手官僚に吹聴するセリフだ。風越は、「国家の経済政策は政財界の思惑や利害に左右されてはならない」を信念に、国家の発展のために突き進む。
この官僚像は、今も官僚たちのあこがれであり続けているが、すでに国家経済の急成長期を過ぎ去った日本には、新たな像が必要かもしれない。
「本当は民間からも『経産省は出入り自由だ』という形になるのが、最大の理想。経産省には、常に官民問わず、意欲的なそれなりのレベルの人間が溜まっている方が本当はいいんです」(経済産業省の菅原郁郎事務次官
もはや給料面でも、働き方の面でも、超一流の人材を霞が関に留め置ける時代ではなくなった。
今後、「国家」の概念が変わっていくにしろ、複雑化する社会経済問題に対応していくには、最高峰の人材が、ある時は民間で力を発揮し、そこで結果を出すと、公のためにプロジェクトベースでも貢献する時代がくるべきではないか。
究極の形は「霞が関の解放」。それも、一つのテーマにして、今回の特集をお読みいただければ幸いだ。
(取材構成:森川潤、デザイン:砂田優花、バナー写真:月岡陽一/アフロ)