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誰が東京を殺すのか

猪瀬直樹が語る「東京のガン」

2016/7/13
明日14日、東京都知事選の告示日を迎える。7月31日に実施される選挙の争点は何か。現在の東京都の行政が抱える問題とは何か。次期都知事に求められる素養、リーダシップとは何か。元東京都知事の猪瀬直樹氏にじっくり話を聞いた。(聞き手:佐々木紀彦NewsPicks編集長)

内田氏を怒らせた事件

──先日、都知事選に関連する猪瀬さんのNewsPicks上でのコメントが大きな話題になり、3000を超える「Like」が付きました。特に、都議会のドンとも言われる内田茂・自民党東京都連幹事長についてのコメントが痛烈でした。今回は、その内容をより詳しく聞いていきたいと思います。

最初に、私と都庁の関係を時系列に整理すると、2007年に副知事になったのが始まりです。

石原(慎太郎)さんに頭を下げられて「ぜひ副知事をやってくれ」と頼まれました。

あまり乗り気ではなかったですが、当時、地方分権改革推進委員会の委員になったばかりだったので、東京に足場があるのはいいと思いました。しかも、石原さんが「作家を続けながらでいい」と言ってくれました。道路公団民営化の仕事もちょうど片付いたところだったので、引き受けることにしたのです。

ただし、副知事の就任には、都議会の承認が必要です。しかし、道路公団民営化で既得権益に斬り込んだ実績が警戒され、都議会は猛反対でした。

最終的には、2007年6月に議会に承認されたのですが、条件をつけられました。

それは、「ラインの仕事は渡さない、あなたがやることは国との戦いとその他、知事の特命事項」という条件です。私以外の3人の副知事がラインを押さえている状態で、知事の特命事項のみを扱う4人目の副知事として承認されたのです。

これはいわば、松下電器の副社長になったのに、自分が管轄する事業本部がなくて、副社長室があるだけというようなもの。あるのは肩書と秘書だけという状態です。

ならばと開き直って、独自のプロジェクトチームをつくることにしました。ラインから優秀な人を集めて、いろんな改革を進めていったのです。権限がない分野でも、知事の特命事項だからOKですよね、ということでプロジェクトを進めていきました。
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そして、副知事になった直後の2007年秋に行ったのが、参議院の議員宿舎建設の中止です。森をつぶして、宿舎を建設するというので、それはおかしいと主張しました。

石原さんを説得して、建設予定地の現場に来てもらって、テレビのカメラも連れて行って、メディアでもこの問題を訴えました。それがうまくいって、宿舎の建設計画は消えました。

これに怒ったのが、内田茂・都議会議員です。

宿舎建設を予定していた千代田区は、内田氏の本拠地なので、計画中止でメンツが丸つぶれになった。内田氏からすると「猪瀬、この野郎」ということになったのです。

当時の私は、内田氏がそんなに権力を持っていることも、東京都の権力の構造も知りませんでした。

実は、石原さんでさえ、内田氏には頭を下げていました。妥協しないと政治は成立しませんから。私も、頭を下げないつもりではなくて、話し合いをしているつもりだったのですが、まず問題解決をするということに必死だったのです。

国会議員より偉い

──そもそも、なぜ内田氏の東京都連幹事長というポストはそれほど権力があるのですか。

まず、自民党の都知事の公認候補は、自民党本部ではなく、東京都連が決めます。東京都連の会長は石原伸晃氏ですが、しょせんは帽子です。実際の公認権を持っているのは幹事長の内田氏です。

そして、東京都議会議員はもちろん、東京都選出の国会議員の公認権も、幹事長である内田氏が持っています。だから、内田氏は国会議員より偉いわけです。

結局、国会議員というのは、都議会議員の足で選挙してもらうので、都議会議員が動かなければ当選できません。だからこそ、内田氏には絶大な権力が集まるのです。

しかも、内田氏は、幹事長のポストに2005年以来、10年以上も居座り続けて、勢力を広げてきています。都知事が交代したとしても、内田氏はずっと居座り続けるわけですよ。

役人も記者も内田氏に逆らわない

──特定の個人が、説明責任もなしに、それほど長期にわたり強大な権力を持ち続けるのは、ガバナンスとして問題です。

10年も幹事長をやると、権力はすさまじいものになります。だから、都知事の石原さんでさえ、気をつけながら接していました。それでも、石原さんは厳しくやっていたほうです。

前任の青島幸男知事は、何もわからないから都政にタッチしておらず、役人と都議会ですべてを決めていました。青島知事の前は、鈴木都政で役人都政なので、議会となあなあでやっていればよかった。

その後、石原さんが知事になって、議会との対立が生まれて、さらにそこに私が現れて、いきなり議員宿舎の話をつぶしたものだから、大変なことになったのです。

最初は、計画中止について、石原さんも「えー」という顔をして戸惑っていたのですが、「ぜひやりましょう」と説得したら、わかってくれた。当時の私は、スーパー官僚みたいなもので、選挙に出るつもりはないので、遠慮する必要がなかったのです。ただし、この計画中止によって、内田氏に恨まれてしまいました。

猪瀬直樹(いのせ・なおき) 1946年長野県生まれ。1987年『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『日本国の研究』で1996年度文藝春秋読者賞受賞。以降、特殊法人等の廃止・民営化に取り組み、2002年、小泉純一郎首相から道路公団民営化推進委員に任命される。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授などを歴任。2007年東京都副知事。2012年から2013年、東京都知事。2015年から日本文明研究所所長、大阪府市特別顧問。最新刊に『正義について考えよう』(東浩紀との共著・扶桑社)と『民警』(扶桑社)がある

猪瀬直樹(いのせ・なおき)
1946年長野県生まれ。1987年『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『日本国の研究』で1996年度文藝春秋読者賞受賞。以降、特殊法人等の廃止・民営化に取り組み、2002年、小泉純一郎首相から道路公団民営化推進委員に任命される。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授などを歴任。2007年東京都副知事。2012年から2013年、東京都知事。2015年から日本文明研究所所長、大阪府市特別顧問。最新刊に『正義について考えよう』(東浩紀との共著・扶桑社)と『民警』(扶桑社)がある

──幹事長とはいえ、なぜ内田氏個人がこれほど絶大な権力を持てるのですか。

幹事長のポストを10年以上も続けているからです。そこが大きい。

彼が公認権を持つようになって、権力が肥大化していって、いろんな利権も彼を通さないと話が進まないようになってきたのでしょう。

役人も彼の意向を伺わないといけないし、記者クラブも彼のところにいけば、情報がとれるという構造になっています。都庁の記者クラブにいる記者は、20代後半ぐらいの、政治のことをよく知らない社会部の記者も多い。永田町の政治部には、年上の記者もいるのでまだバランスがとれていますが、都庁はバランスが悪い。

ある議員の自殺

──内田氏の権力基盤は盤石なのですか。ほころびは見えないのですか。

彼も失敗はしています。

たとえば、2015年の世田谷区長選では、自らが推す候補が、無所属の保坂展人氏に敗れています。

2013年の千代田区長選でも敗北しています。現役の石川雅己区長が、内田氏の言うことをきかないので、内田氏は現役の副区長を立てて、石川区長にぶつけた。しかし、接戦で敗北。そのときに、私は、現職の区長のほうを応援したので、そのことでも内田氏の恨みをかってしまいました。

さらに、内田氏は、2013年の都議選の告示前に、選挙区内でビール券を配ったとして、公職選挙法違反の疑いで告発されています。ただ、金額が大きくないといった理由で、起訴猶予で終わっています。

こうした失敗もありながらも、内田氏はしぶとく生き残ってきているわけです。

──内田氏の権力の肥大化を問題視して、行動に移した人はいないのでしょうか。

実は、樺山卓司さんという都議会議員が、内田氏に反旗を翻そうとしました。樺山さんは、初代台湾総督の樺山資紀のひ孫です。私も、副知事の時代に、羽田空港国際化の第一便で台北に一緒に行ったことがあります。

しかし、樺山さんは、2011年7月1日に自殺してしまいました。

その原因は内田氏にあります。先日、樺山さんの娘さんから「父は憤死した」との連絡をもらって、樺山さんの遺書を見せてもらったのですが、そこには以下のような言葉がつづられていました。

「これは全マスコミに発表して下さい。内田を許さない!!人間性のひとかけらもない内田茂。来世では必ず報復します。御覚悟!!自民党の皆さん。旧い自民党を破壊して下さい」

ちょうど樺山さんが死んだ夜に、樺山さんは「反内田」の仲間たちと飲んでいて、23時半ごろに帰宅し、3時ごろに自殺しているのを奥さまが発見したそうです。

具体的に、内田氏に何をされたかというと、学校のいじめのようなことがあったそうです。都議会議員の集まりの中で嫌がらせ的に罵倒されたり、議長になれたのにならせてもらえなかったり、ギリギリといじめ抜かれた。きっと、内田氏としても「反内田」のグループが大きくなるのを恐れたのだと思います。

「反内田」の声を上げると粛清されてしまう──そんな世界が都議会にはあるわけです。いわば、キムジョンイル支配のような世界です。

樺山さんの「旧い自民党を破壊して下さい」という言葉は重い。すごくまっとうなことを言っている。これは樺山さんのひとつのメッセージだと思います。

炎上と人民裁判

──猪瀬さんは、都知事として、一連の問題点を解決することはできなかったのでしょうか。

よくテレビなどで「都知事には膨大な権限がある」と言われますが、そんなことは必ずしもありません。

たとえば、内閣総理大臣は与党から選ばれるので、予算が通りやすい。その点、都は二元代表制で議会が強いため、予算を通すのは簡単ではありません。

しかも、米国の大統領みたいに、10人、20人と補佐官を入れることもできない。都知事の任命権があるのは、特別秘書の2名だけです。局長の人事権は都知事が握っていますが、副知事は議会の承認案件ですから、自由には選べません。大統領が副大統領を選べるのとは違います。
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それでも、都知事として改革に取り組もうと動いていましたが、2013年11月22日の朝日新聞による「徳洲会から5000万円の資金提供」という報道からすべてが変わってしまいました。

都知事選挙は、2、3週間の短期プロジェクトなので、急いで準備しなければいけません。

自民党都連の内田幹事長は協力を拒否していましたし、こちらも推薦を断りましたので、自民党には頼れない。そこで、徳洲会に相談したら、お金を貸してくれることになったので、5000万円を借りたのです。

しかし、その後、連合がポスター貼りを手伝ってくれることになったので、徳洲会から借りたお金は必要なくなりました。そのため、この5000万円は銀行の貸金庫に保管していたのです。

そのお金は、選挙に使ったのであれば選挙資金になりますが、実際には手を付けていませんので、あくまで個人の借金だという位置付けです。

それなのに、メディアでは収賄だと報道されてしまった。しかも、徳洲会との借用書が偽物ではないかとメディアで報道された。本物の借用書なのにもかかわらずです。

その後は、完全に炎上して、人民裁判が始まりました。

選挙期間中に、選挙の資金として借りた可能性も否定できないということで、都議会の総務委員会で10時間ぐらい追及されました。かばんの中に、札束に擬した発泡スチロールの立方体を入れようとしても入らないというようなこともやらされた。

その後、皮肉なことに、検察の調査によって、収賄の疑いは完全に消えました。任意で携帯、PCを提出したのですが、通話やメールの記録から、徳洲会から働きかけがなかったことがわかったからです。

最終的に、検察も何もしないわけにはいかないので、略式起訴になりました。略式起訴の名前は、収支報告書の記載漏れです。

──後ろめたいことがないのにもかかわらず、なぜ都知事を辞めたのですか?

私にまったく非がなかったかと言えばそうではありません。

お金を借りたのは、副知事の最後の日でした。そのとき、都内に徳洲会病院があることを知らなかったのですが、実際には八王子にありました。それを知らなかったのは、私の過ちです。そこで、私として一応責任をとるために、徳洲会からお金を借りたこと自体が問題だったということで、責任をとることにしたのです。

──責任のとり方として、辞職まで必要だったのでしょうか。

辞職しないとどうしようもなかったのです。

味方がまったくいない状況で、都議会と全メディアが敵になってしまっているわけですから。メディアは一体化して収賄だと決めつけて、いくら弁明してもわかってくれない。しかも10時間立ちっぱなし、これは、人民裁判という言う他ないという状況でした。

加えて、予算の時期だったので、このままでは予算編成ができなくなるという状況でした。議会が承認してくれませんから。都政の停滞を避けるためにも、辞職するほかなかったのです。

森氏との戦い

──東京都にとって、最大のテーマのひとつは、東京オリンピックです。なぜ五輪をめぐって、こんなに問題が噴出し始めたのですか。

組織委員会に問題があるからです。

招致に成功して、招致委員会を解散した後、組織委員会を立ち上げることになり、誰を会長にするかが大きなテーマになりました。

そのとき、森喜朗さんが、安倍首相のところに駆け込んで「俺を会長にしろ」と言ったのです。

しかし私は、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恆和さんとともに「民間人の会長のほうがいい。トヨタの張富士夫さんがいい」と提案しました。

すると、森さんがその案をつぶしにかかってきたのです。

そこで、私はすぐに官邸に行って、菅官房長官に「五輪は東京都とJOCが決める事項です。オリンピックが東京に決まった時にサインしたのは、JOC会長と都知事ですよ。ワールドカップは国ですが、オリンピックは都市が中心となるものです」と話しました。菅さんは、私の話を理解してくれました。

ただし、そうした私の動きが、「森外しをしている」という話につながって、そこから、森さんからの猛烈な攻撃が始まりました。

2013年11月号の文藝春秋に森さんの長い寄稿が掲載されて、その中では、私への批判がつづられていました。森さんは、オリンピックの利権も握っていますから、反撃に必死になっていたのです。

そして、私が12月に都知事を辞職したことにより、森さんが会長に就任することになってしまいました。

そして去年の12月には、副会長を務めていたトヨタの豊田章男さんも組織委員会から退きました。これも森さんとやることにいたたまれなくなったというのが真相です。

とにかく無責任

五輪関連組織の幹部は、森さんの息の掛かったメンバーで占められています。

五輪担当大臣の遠藤利明氏は森さんのラグビー仲間の後輩ですし、森氏に近い河野一郎氏がスポーツ振興センター理事長を最近まで務めていました。河野氏は、新国立競技場問題の責任をとって理事長は退きましたが、今も組織委員会の副会長には残っています。

今の森体制の問題点が噴出したのが、まさに新国立競技場の話です。森さんが「3000億円でもいい」と言ってしまったところから、混乱が始まったのです。

かわいそうなのは、建築家のザハ・ハディッドさんです。3000億円のコストがかかるのは彼女の責任ではありません。彼女はあくまで建築デザイナーであって、もし1500億円という予算であれば、それにあわせて設計を見直すこともできたはずです。問題は施主側にあるのです。

それなのに、マスコミはザハさんをいっせいにたたいた。彼女の死の背景には、新国立競技場関連のストレスもあったのではないかと思います。

最終的に、安倍さんのトップダウンで、建築コストは1500億円にまで下がりましたが、コストを下げたことで、クーラーを設置できなくなってしまいました。

以前、フジテレビの「新報道2001」に出演したときに、遠藤大臣に「クーラーをなぜとったのですか」と質問したら、「いやー」と言って困っていたので、放送後に「本気でどうするのですか、高齢者や身体が不自由な人が死ぬかもしれませんよ」と言ったら、「僕も気にしているんです」と言っていました。とにかく無責任なんですよ。

東京の24時間化

──最後に、猪瀬さんが思う、今回の都知事選挙のポイントを教えてください。

まずは都議会の正常化。ガンを切除しないとダメです。

利権の構造をきちんと解明しないといけませんが、構造はすべてが明らかになっているわけではありません。都市整備局など、いろんな部局がからんでいて、都知事でもわからないくらい複雑なのです。細かいところは、利権を仕切る議員と担当部署が手がけているので、ブラックボックスなのです。

そして、東京からニッポンを変えるというビジョンが必要です。

東京都は国から交付税をもらっていないので、国と対等に動けます。霞が関が縦割りで意思決定が遅いのに対して、東京都はその気になれば、トップダウンで改革を行うことができます。

たとえば、石原さんは条例でディーゼル車の規制を行って、それが全国に広がっていきました。ほかに、羽田空港の国際化も石原さんから引き継ぎ、さらに発展させました。地下鉄の一元化は私が手がけていましたが、道半ばでした。

私自身がやったのは、ケア付き住宅。厚労省と国交省の縦割りでできなかったこの取り組みを、東京都から始めたのです。その後、東京都の動きに触発されて、国はサービス付き住宅を始めました。東京都の政策で国が動くことも多いのです。
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東京都が動くことは、日本の経済のためにもとても重要です。

今のアベノミクスは、金融緩和以外は実体がありません。経済の実体を変えるためには、もっとライフスタイルを変えるような取り組みが必要です。

その切り札として私が官邸に提案したのが、標準時間の2時間前倒しです。そうすれば、東京、ロンドン、ニューヨークと市場がスムーズにつながります。

しかも、夜でも明るくなるので、新しいライフスタイルが生まれます。今もロンドンに行くと、22時でも明るいので夜にテニスをプレーしていたりします。

夜が明るくなると、東京のアフターファイブが変わり、新しい消費も盛り上がるはずです。今の構造のままでは、夜の消費は、ビールと焼き鳥で終わってしまいます。

もうひとつ大事なのが、都市の24時間化です。パリもロンドンもニューヨークもバスは24時間走っていますし、ニューヨークの地下鉄は複々線なので、24時間運行しています。

以前、銀座の三ツ星レストランで、外国人のお客さんが「24時で閉店です」と言われて怒ったことがあるそうですが、24時で閉店せざるを得ないのも、従業員を終電までに帰さないといけないからです。24時間化すれば、もっと営業時間を自由にできます。

つまり、24時間都市にして、みんなの勤める時間も柔軟にして、リモートワークも一般的にすればいい。ラッシュアワーの時間だけ地下鉄や高速の値段を高くして、交通量を分散させればいい。

こうした取り組みによって、もっと消費活動を活性化させるようにライフスタイルを変える取り組みが必要なのです。人生観を変えないとダメ。私が2020年の東京オリンピックをきっかけにやりたかったことは、スポーツの活性化を含めてこういうことだったのです。

小池氏への期待

──今の東京には、ビジョンが見えません。

舛添さんは何もビジョンがなかった。内田氏の傀儡(かいらい)政権でした。

そもそも目的がないから、外遊にもぞろぞろ人を連れて行くことになるわけです。外遊の目的が明確であれば、その担当部隊だけを連れて行けばいいので、自然と少数精鋭になって、お金もかからないはずです。
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──ガバナンス面では、議会の権限を抑えることも必要ですか?

議会は強くてもいいのです。ただ、一部の人に握られている議会というのが問題なのです。議会の政務調査費などももう一度しっかり調べないといけません。舛添さんをあれだけ調べるのであれば、議会も調べる必要があるでしょう。

そして、来年の都議選で内田支配をストップさせる議員を多数当選させることが大事だと思います。つまり、都議会の既得権益のボス支配をやめさせるということです。

それに加えて、オリンピックの組織委員会の在り方を再検討する必要があります。そもそもオリンピックは都市のものであり、東京の担当なのに、国に主導権を奪われてしまいました。その大きな理由は、森会長の存在と舛添さんが消極的だったことにあります。

東京への招致までは、私が国に協力をお願いしましたが、それはチームニッポンをつくって情報を共有するためでした。しかし招致に成功したとたん、チームニッポンが解体されてしまった。そして、みなが勝手なことを言い始めて、新国立競技場の問題なども出てきた。森さんが、だじゃればっかり言っておかしなことになっていった。

今、何よりも大事なのは、既得権益に切り込んでいくことです。候補者を見極める際にも、そうした視点で見ないといけません。

──改革派か守旧派かをしっかり見極めるということですか。

そうです。

──石原さんは守旧派だったのですか。

改革派です。やっぱり一本筋が通っているし、作家の直観がある。そもそも、僕のようなところに頼みに来ませんよ。

──現在の候補者の中で、改革派と言われる小池百合子さんは、改革できますか?

期待したい。選択肢がほかにない。小池さんは、内田都連幹事長、森組織委員会会長に対して、しっかり照準を合わせています。

(撮影:後藤麻由香)