ADandMEDIA_田端信太郎_第5回

人間はアルゴリズムにどうすれば勝てるか?

最後は精神論。エゴ、勇気、非合理なこだわりを持て

2014/10/3
テレビ、雑誌、新聞、ウェブメディアで取り上げられれば、モノが自然と売れる――そんな時代は終わりつつある。では、ソーシャル、モバイルの普及により、マーケティングのあり方はどう変わっていくのか。LINE上級執行役員として、広告営業や法人ビジネス全般を統括する田端信太郎氏に、マーケティングとメディアの未来について聞く(全5回)。
第1回 バズワードで荒れる、日本のマーケティング
第2回 バイラルメディアは二重の意味でダサい  
第3回 マーケターは恥をかく覚悟、クビになる覚悟を持て
第4回 ネイティブ広告は当たり前すぎる。なにかおかしい

――ここまでは広告の話を聞いてきましたが、メディアの話に移ります。ざっくりした質問ですが、これからメディアは、新しい情報環境、マーケティング環境にどう対応していけばいいんでしょうか。

僕がメディアに期待したいのは、需要自体を作ること。情報番組がダサいと思うのは、今流行っているトレンドをフォローしているだけで、トレンドをクリエイトしていないから。世の中はこうあるべきだというビジョンがあるわけでなく、世の中はこうなっています、と後追いしている。それだと、とことんコモディティ化してしまい、ツイッターやブログやフェイスブックとの違いがなくなる。

たとえば、NewsPicksにあてはめれば、経済やビジネスはこうあるべきだ、というビジョンを強く打ち出すのもいいと思う。ポジショントークという意味ではなく、あるテーマに対してポジションをとったほうがいい。

今まで、日本のメディアは、「顔があるのにないです」というフリをしてきた。キュレーションの場合、特に人間が選んでいる場合は、意見をはっきり言ったほうがいいと思う。いい意味で、バイアスがかかりまくったほうがいい。

――ある種、ペルソナを明確にしてしまうと。

個人メルマガがなんだかんだ言って面白いと思うのは、バイアスがかかっているからじゃないですか。たとえば、佐々木さんから僕に「田端さん、この本絶対に読んだほうがいいですよ」と超熱く言われるのと、アマゾンのレコメンデーションで出てきたのと、どちらがより読もうと思うかと似ている。アマゾンのレコメンデーションは、あらゆるレコメンデーションの中で一番出来がいいと思うが、それでも人に言われたほうが読む気がするかもしれない。

「アルゴリズムVS人力」論争

――完全にアルゴリズムだけじゃ面白くない。

面白くないです。ただ、逆に言うと、ぎりぎりの個人戦の勝負をしない限りアルゴリズムのほうが良くなってしまうかもしれない。その意味では、切ない感じというか、やや絶望的になる。プロ棋士とコンピューター将棋の戦いみたいなところがある。

――今の状況は、アルゴリズム派と人力派とどちらかに偏りすぎていますよね。答えはその間にあると思うのですが。

アナログ派もアルゴリズム派も、原理主義に陥っているけれども、答えはその間にあるというのは絶対そうだと思う。

――NewsPicksでも、CGM(Consumer Generated Media)的な読者の人気投票で決める部分と、「これを読んでください」と編集部が薦める部分のバランスに悩んでいます。

そこはものすごく難しい。子どもに対してごはんの好き嫌いの意欲を創成しているみたいなもの。放っておいたら、甘いものとかジュースばかり飲みたがるわけじゃないですか。一方で、チョコレートを絶対食べさせないとか、ジャンルごとに一切禁止する、オーガニックな健康意識の高い両親もいるかもしれないが、それも違う気がする。答えはやっぱりあいまい。

――そこでどうバランスをとれるかが、編集の腕の見せ所ですね。

面白さと啓蒙とのバランスとか、短期的なところと長期的なそのバランスとか、もうサジ加減としか言いようがないですよね。

――そうした人間にしかできない、絶妙なバランスをとれる人材は、編集であれマーケティングであれ、新しい市場を切り開けます。

面白いとは思う。ただ、それでもトップ1%に入るくらいの覚悟でやらないときつい。

――ほとんどの人は淘汰されてしまうということですか。他者との差別化のために、どんな能力がカギになりますか。

ある種のエゴとか意外性とか非合理なこだわりだと思う。これだけ話して、オチが精神論でいいのかよという感じだが、最後は精神論になる。コンピューターは精神論をやらないし、アルゴリズムの外に出てしまえるくらいに突き抜ければ、そこはコモディティ化しない。結局は、玉ねぎの皮むきでむいていったとき最後に何が残るのかという、合理性を超えた青臭い話になる。たとえば、勇気とかパッションみたいなもの。

ジャーナリストがいないと困る?知らんがな

――田端さんは、メディア作りとマーケター的な仕事とどっちが好きなんですか?

どっちも好き。必ずしも対立軸で考えていない。もともとコインの裏表のように、表裏一体のものだと思っている。ただ、どちらか究極的に取るのかと言えば、メディアのほうが好きかもしれない。

――今の編集と広告にファイアーウォールが引かれている状態は、編集権の独立という意味では素晴らしいですが、本当は双方が近い方が、新しいイノベーションは生まれやすいのかもしれません。

印刷機が出てきて、国民国家とメディアが表裏一体で、テレビなどのマスメディアが出てきた時というのは、大新聞、大メディアの編集者はやっぱりエリートだったと思う。だからこそのモラルなり責任感なりもあるし、逆に言うと、だからこそ自分の立場を私的に利用して金銭的にメリットを得てはいかん、という当然のモラルもあった。でも今は、そういうノブレス・オブリージュを課されたエリートはもういない。もし現代にそれに類するものがいるとしたら、それはGoogleやAmazonなどのプラットフォームと、その中のアルゴリズムなのだと思う。

GoogleがGoogleの都合の悪い情報でも、検索結果から消したりしないし、AmazonはAmazonの暴露本もしっかり売っている。僕はこれはやっぱりすごいと思う。よくJRが、JRを批判する雑誌を売らなかったりするが、プラットフォーマーとしてあれはダサい。

――その意味では、メディアやジャーナリストの社会における役割を再定義しないといけない気がします。

メディアが一部のリーダーのものだということを前提にするのはドンキホーテな気がするし、メディア人にだけ高いモラルを求めるのも違う気がする。メディアが業界のインサイダーとアウトサイダーを線引きすること自体が難しい。もっとなだらかにグラデーションが広がっているイメージ。

――朝日新聞のスキャンダルを見ていると、古いメディア企業、ジャーナリストの終わりというか、メディアがアイデンティティークライシスに陥っている気がします。

僕はジャーナリズムという言葉はあまり好きではないというか、どちらかと言うと嫌い。ジャーナリストがいないとみなが困ると言われても、誰がどう困るんだっけ、そんなん知らんがなという話になる。世の中の99%の人はジャーナリストではないので、どうぞ勝手にしてという感じだと思う。

例えば、アメリカで地方紙が潰れた都市では、権力の監視機能が弱くなって市役所の公務員や市長はお手盛りで給与をあげていた。だから、ジャーナリズムが必要だと言われても、なんだか居直り強盗というか、脅しのように聞こえる。市長の給与を低くおさえるために、わざわざローカル紙が必要でもないだろうし。

だから要は、メディアが担っていたことを機能ベースで再定義していかないとダメだと思う。監視機能なら監視機能、それを全部アンバンドル化して、1個1個を実現するためにどうしたらいいのかを整理していくべき。そうでないと、どうしても今あるものを守るための組織防衛や保身のための論議に聞こえてしまう。

(撮影:風間仁一郎)