2020/11/5

【三井物産】大型投資するヘルスケア事業の未来

Newspicks Studios Senior Editor
VUCA、withコロナ──激動する、正解のない時代。未来をつくるビジネスの萌芽は、どこに眠るのか。世界中でビジネスを展開する三井物産は、「共創」を深化させている。
多彩な「個」が、多様なパートナーとの「化学反応」を生んでいく。その力を活かし、次世代の価値創造に挑む。

アジアでヘルスケアエコシステムを拡大

三井物産が今後の成長の柱として位置付けている「ヘルスケア事業」。その中核を担うのが、アジア最大の民間病院経営グループの「IHH」だ。
経済成長が著しいアジアでは加速的に所得水準が向上。人口増加、高齢化、生活習慣病の増加も伴い、医療費は今後ますます伸びていく。
一方で、病床数や医療従事者の圧倒的な不足というのが、大きな課題となっている。さらに、より質が高く、スピーディーで便利で最適な医療サービスが求められる「医療におけるコンシューマリズム」の動きも顕著になってきている。
この「需給ギャップ」と「医療コンシューマリズムの流れ」が、医療分野での大きなビジネスチャンスを生み出している。三井物産では総合力を活かし、グローバルに医療サービスを展開。病院事業を中心としたヘルスケアエコシステムから予防・未病を含めたウェルネス分野まで、事業を拡大している。
そんな今後の成長が著しい領域において、未来のヘルスケアを支えるために活躍するひとりの人物がいる。

デジタル×ヘルスケアで事業を必ず成長させる

「成功へのブレークスルーは、先頭に立って情熱やオーナーシップをもち、やり遂げること。自然と、簡単には諦めない『粘り強さ』が備わりました。三井物産のDNA『挑戦と創造』が身に染み付いているからかもしれません」
そう笑うのは、IHHのバイスプレジデントとして、イノベーションを牽引する青井祐輔だ。
青井のこれまでのキャリアは、事業会社への出向の繰り返しだった。商社パーソンにとって出向は、現場で多くの経験を培うチャンスである。
青井もさまざまな出向先で、そこでしか経験しえないこと学び、吸収してきた。主にコンシューマーサービスやIT領域を歩んできた青井にとって、大きなキャリアチェンジとなったのが、2012年、社内公募制度でヘルスケア関連部門への異動に手を挙げたことだ。
「10年ほど前、米国で勤務していました。ビッグデータが注目を集め始めていた頃です。
西海岸を中心にあらゆるビジネスが生まれるなかで、IT事業だけでなく、ITと他の産業を掛け合わせる事業にこそ将来の可能性があると考えるようになりました。
なかでも “デジタル×ヘルスケア”は、今後必ず伸びていくことは明確でしたし、興味深い領域。面白そうじゃないか、と」
自分から手を挙げたからには、絶対にヘルスケア事業を大きく成長させる。その強い思いには自信があった。ヘルスケア関連部門に異動して4年、2016年にIHHへ出向。三井物産のヘルスケアの世界戦略の一端をシンガポールから担うようになる。

慎重さ重視の医療業界で、スピード感のある挑戦を

さまざまな現場で吸収した企業文化やビジネスの知見、そして三井物産のDNA「挑戦と創造」をひっさげて、IHHに飛び込んだ青井。
「最初にやったのは、戦略を描いて予算を取り、イノベーションの部署をつくることでした。
本当にゼロの状態からIHHのイノベーションをつくりあげてきました。さまざまなプロジェクトに着手する中で大きな成果を上げた例が、AIを導入した入院費予測システムの構築です」
IHH社傘下のMount Elizabeth Novena病院
 シンガポールでは入院費が高額になるケースが多く、病院は事前に費用の目安を患者に伝える義務がある。しかし入院費予測は精度が悪く、ときには退院時に予測金額の倍になることもあったという。当然、患者からはクレームが寄せられ、病院スタッフにとっても大きなストレスとなっていた。
そこで青井は過去3年分のデータをもとに、より正確な入院費予測を導き出すアルゴリズムの開発に乗り出す。
パートナー企業選定の入札には世界的なIT企業を含む7〜8社が参加。最終的に決定したのは、とあるスタートアップ企業だった。
「入札金額だけでなく、精度の高さ、サポート体制などを総合的に判断しました。医療分野なので、クオリティーを重視しなければなりません。
なぜ、何のためにやるのか。根源の目的に立ち返りながらサービスを構築していきました。
導入は、そこから約2カ月というハイスピードで完了。トップの理解を得るためにあらゆる観点からプレゼンし、決断スピードを落とさぬよう徹底できたことが大きかったと思います」
命を預かる医療分野は当然、どんな国であっても慎重な動きになる。そのなかで、たった2カ月で導入完了しただけでなく、システム自体も高い評価を得ている。
シンガポール政府が企業のAI導入の参考事例として表彰するほど、大成功を収める結果となった。

ニーズのあるところに成功の種がある

入院費予測の成功は、青井のIHHでのイノベーション戦略に大きな自信を与えるものとなった。しかしそれまでの1年弱は、青井にとって試行錯誤の日々だったという。
「IHHに来た当初は、医療オペレーションの実態を理解できていないまま、とにかく新しい技術やソリューションを現場に提案し続けていました。
でも、そもそも現場のニーズがわかっていないので、いくら提案しても噛み合わないのは当然ですよね」
現場は「面白そうだけど…」「わからない」というような、ぼんやりした反応ばかりだった。
「これではダメだな、と思いました。プロダクトアウトではなく、ニーズから考えることが重要であるとは気づいていました。が、そこにフォーカスして、徹底的にニーズドリブンでいくんだ! と決めきるまでにいろいろと試行錯誤をし、1年弱ほどの時間を要してしまった」
現場のニーズを集中的に洗い出す。──そう決めた青井が現場のニーズから拾い上げたもののひとつが、先に紹介した入院費予測システムだ。
「入院費予測のように、現場の声からイノベーションが生まれ、それが大きな成果につながったことは、システムだけでなく企業文化にも大きなメリットをもたらしました。現場との信頼関係が高まり、イノベーションへの具体的な興味が一気に広がったと思います」
2019年5月、イノベーションチャレンジでの様子
こうした実績や成功体験を今後も重ねて、誰もが自然にイノベーション的発想ができるようにしたいと考えた青井は、次の施策として「イノベーションチャレンジ」を企画する。
「イノベーションチャレンジは、現場から広く事業改善や拡大に向けた新しい提案を募り、精査したものを実現するためのイベントです。現場の声を広く吸い上げる機会を持つことで、さらにイノベーションを身近に感じる仕組みをつくりました」
その言葉通り、イノベーションチャレンジへの応募件数は、初回の2018年が150件、2回目の2019年は250件と跳ね上がった。

諦めずにやり続ける。そこに信頼が生まれる

シンガポールを拠点に世界を見据え、医療分野で革新的な成長を進めること。それが青井のミッションだ。
一方、外国という異文化、医療という特殊な世界を前に、信頼関係を築く難しさを痛感することも少なくなかった。
医療分野のトップクラスの経営陣が集まる環境のなか、強いリーダーとしての独断ぶりを持ち合わせるような人物との邂逅もあった。
「要求されるレベルも非常に高く、それに応えるのにとにかく必死という日々が続きました。15秒以上、こちらの話も聞いてもらえないんですよ(笑)。
“見るべきものがない”という一言で、プロジェクトが突然中断することもしょっちゅうでした。厳しい要求を常にクリアして信頼関係をつくるには、どうしたらいいのか。眠れないほど悩んだりしましたね」
青井はひたすら諦めずに挑戦し続けることだけを考えた。ここでもまた、オーナーシップを持つ重要性と、「粘り強さ」の精神が生きてくる。
気がつくと、仲間たちがまるで戦友のように周囲に集まり、お互いをサポートする環境が生まれていたという。
「困難にぶつかっても諦めずにやり続ければ、周囲の見方が変わり、信頼関係もできる。それがプロジェクトを好転させる原動力になる。そういう成功体験をチームで積み重ねることが、強みになっていくと感じます」
周囲を巻き込み、チームが一丸となって勝負するムードを生み出すのが青井のリーダーとしての強みだ。それは、これまで多くの出向先で一から信頼関係をつくってきた経験の積み重ねで身につけたものといえるだろう。

コロナ禍における需要「オンライン診療」

IHHに来て4年。青井はこの先の未来に向け、さらに意欲的に挑戦を続けている。そのひとつが、コロナ禍において実現した「オンライン診療」の導入だ。
「新型コロナへの対応としては、当初からコロナ患者の受け入れを積極的に行い、大規模なPCR検査も実施。
また、コロナで病院に行くのが怖いという人が増えています。そういう方に対して病院として安全確保を徹底すると同時に、オンライン診療での対応を始めました」
新型コロナが深刻化した3月には、オンライン診療の導入を各国に指示し、5月から8カ国で稼働。そのスピードは圧倒的だった。
「アジア各国で、とにかくスピードを重視してオンライン診療を導入しました。
 正規のシステム導入に時間がかかりそうな国は、緊急事態への対応と考えて突貫でもいい、と判断。ほぼ同時に取り組みを共有し、他国の事例などを参考にしながらベストな方法を選べたのが、功を奏しましたね」
一方で、コロナ以前から決定していたのが、オンライン診療を中心にさまざまなサービスを手がけるドクター・エニウェアへの出資だ。この案件は、前述の医療コンシューマリズムのトレンドに合わせ、患者の利便性を追求する目的で前々から準備していたものだった。
「そもそもオンライン診療というのは、単独で成立するものではありません。オンライン診察の前後にはリアルな訪問医療があり、薬の処方や配送もある。そういう一連の医療サービスをシームレスに提供できることが、何よりも重要です。
ドクター・エニウェアという新しいプレーヤーが加わることで、保険会社や雇用主へのネットワークが拡大され、IHHの事業展開がより強固になります」
今後、大きな飛躍が期待されるアジアでのヘルスケア事業。そして、「健康」全般をカバーするウェルネス分野への広がりも期待される。三井物産のDNA「挑戦と創造」を武器にイノベーションをもたらす青井の挑戦は、これからも続いていく。