2020/12/8

【島田太郎】日産ルノーを舞台とする「赤壁の戦い」に勝利

株式会社 東芝 代表執行役社長 CEO
ドイツの総合テクノロジー企業シーメンスの要職に就き、将来を嘱望されていたにもかかわらず、経営再建の道半ばにある東芝に移籍した島田太郎氏。

最高デジタル責任者としてデジタルトランスフォーメーション(DX)の旗振り役を担うとともに、東芝デジタルソリューションズの社長に任命された。

「なぜか3年ごとに転機が訪れる」というそのキャリアの軌跡と、これからの全産業に共通の、デジタルで生まれる新しい儲け方に迫る。(全7回)

アメリカのソフト会社に転職

若かった僕は勝手に航空機業界の将来を悲観し、転職を決めたのですが、当時は新卒で入った会社を辞める人はそれほど多くありませんでした。1990年代の終わりごろの話です。
ほかの日本の会社に転職する選択肢もあまりなかった。だからもう海外に行こうと決めて、基本的にアメリカの会社だけを探していました。
島田太郎(しまだ・たろう)/東芝 執行役上席常務 最高デジタル責任者、東芝デジタルソリューションズ 社長
1990年に新明和工業に入社し、航空機開発に10年間従事。1999年にアメリカのソフトウエア会社であるSDRC(のちにUGSと合併)に入社し、2010年に日本法人社長に就任。同社がドイツの総合テクノロジー企業シーメンスに買収された後、ドイツ本社駐在を経て、2015年シーメンス日本法人の専務執行役員に就任。2018年10月、東芝に入社。2019年執行役常務、最高デジタル責任者、2020年4月に東芝デジタルソリューションズの社長に就任。
そのころ家内は発売されたばかりのiMacを手に入れて、一般家庭でも使えるようになったばかりのインターネットを使って、勝手に僕の転職の登録をしていました。
「英語しゃべれます。飛行機の設計できます。アメリカに住んだ経験あります」
と書いたところ、それなりにオファーが来た。その中に海外への転職をコンサルしてくれる人がいて、一回だけ会ったその人が、僕にこう言ったのです。
「島田さん、いきなりアメリカに行くのは大変や。ビザの問題もあるし、いったん外資系の会社に入りなさい。そこでビザを用意してもらってアメリカに行くとか、そういう手段のほうが現実的じゃないか」
そうかと思って、設計をするためのソフトウエアの会社に入社しました。
転職したのは後にドイツのシーメンスという会社に買収されることになる、アメリカのSDRC(のちにUGSと合併)という会社の日本法人です。
これから伸びるであろうソフトウエア会社だし、設計をやっていたという経験がそのまま生きるし、申し分のない会社だと思いました。
SDRCのあるシンシナティの街並み(写真:Leonid Andronov/iStock)
それにSDRC(のちにUGSと合併)のつくっているソフトウエアは、僕が飛行機の設計をしていたときに使っていたもの。「ああ、このソフトウエアなら、これから絶対に伸びるな」と思って、その会社に入ったのです。
そうしたら、その年にリストラがあった。外資系なのでリストラがあるのも珍しくないのですが、当時はそんなことはまったく想像できなかった。
僕は対象ではありませんでしたが、ものすごい恐怖心を感じて、「なんてことをしてしまったんだ」と後悔しました。

デトロイトには住めない