【島田太郎】東芝が再び輝く時代がやってくる
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東芝の最高デジタル責任者で、東芝デジタルソリューションズ社長の島田太郎さんの連載を本日からスタートします。
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ドイツの総合テクノロジー企業シーメンスの要職に就き、将来を嘱望されていたにもかかわらず、経営再建の道半ばにある東芝に移籍した島田太郎氏。
最高デジタル責任者としてデジタルトランスフォーメーション(DX)の旗振り役を担うとともに、東芝デジタルソリューションズの社長に任命された。
「なぜか3年ごとに転機が訪れる」というそのキャリアの軌跡と、これからの全産業に共通の、デジタルで生まれる新しい儲け方に迫る。(全7回)
■第1回 東芝が再び輝く時代がやってくる
■第2回 3年集中して突き抜ける、私のキャリア開発
■第3回 日産ルノーを舞台とする「赤壁の戦い」に勝利
■第4回 褒めて乗せるアメリカ人、否定して不安がるドイツ人
■第5回 日本の経営者が決断できない理由
■第6回 長時間労働なんかしていたら、もう生き残れない
■第7回 モノを売って儲ける時代は終わった
注目のコメント
私が尊敬する西堀栄三郎氏はじめ東芝が人材の宝庫ではあるとは思うのですが、若い人はあまり知らないのではないでしょうか。アメリカComputer History Museumに取り上げられている(たしか)唯一の日本人が東芝時代にフラッシュメモリーを開発した舛岡富士雄氏であることも。そうした優秀な人材を顧客あるいは世の中から見た「価値」にどうつなげていくのか、今後の連載が楽しみです。
「Toshiba」から「amazon」へ。
お茶の間で親しまれ続ける国民的番組「サザエさん」のスポンサー変更には、時代の変化を感じました。
経営危機を迎えた東芝は、家電や「レグザ」で知られる液晶テレビを中国企業に、世界初で知られる「ダイナブック」ブランドのノートパソコンはシャープに、そして知る人にとっては優良事業で知られていた医療機器はキヤノン。さらには、射出成型機をはじめ生産機械を手がける有力子会社の東芝機械、世界で初めて事業化したフラッシュメモリ事業も切り出しました。
こうやってなんとか企業は存続したものの、事業を売って売って売りまくり、もはや東芝に残る優良事業はないのでは...そんな時代に、東芝に入社を決めたのが島田太郎さんは、「火中の栗を拾う」とも言われました。
シゴテツのご登場いただくプロピッカーの島田太郎さんは、キャリアの初めは日本の製造業。そして、アメリカのソフトウエア会社の社長になり、もともとは製造業であり今やソフトウエア会社を標榜するドイツを代表する企業シーメンスを経て、東芝へと移ります。
島田さんは、日本とアメリカの仕事の流儀、そしてドイツ流の仕事観までも持ち合わせています。
連載では、島田さんのキャリアと仕事の哲学を通じ、日本企業の強みと課題、日本のビジネスパーソンの働き方のあるべき姿、その双方について示唆の示唆に富む企画になればと思っています。