2024/5/11

わかりにくい「墨」の魅力を伝える、日本一小さな墨工房

NewsPicks+d コンテンツプロデューサー
「奈良墨」とは、奈良県奈良市で生産されている墨。その製法は、約1300年にわたり、職人の手によって代々受け継がれてきました。

現在も日本国内で使用されている固形墨の9割以上がこの奈良墨であり、書におこしたときの漆黒の艶やかさはまさに伝統工芸品の極みと言えるでしょう。

しかしながら、書道人口・固形墨を使用する人口の減少に伴い、墨の需要は70年前に比べて約30分の1にまで減少しました。

原材料や道具をつくる職人も激減しています。こうした現状を憂い、墨の魅力の啓蒙に全力を注いでいるのが、墨工房「錦光園(きんこうえん)」の7代目、長野睦(あつし)さん

自らを「伝える墨屋」と称し、全国を飛び回る長野さんの挑戦とは──。(第1回/全3回)
INDEX
  • 「書く・見る・香る」という三位一体が墨の魅力
  • 奈良で墨づくりが盛んになった理由とは
  • 業界全体の高齢化と後継者不足を打破するために

「書く・見る・香る」という三位一体が墨の魅力

JR奈良駅から徒歩4分。閑静な住宅街の路地を1本入り、「墨」と書かれた暖簾を目印に引き戸を開けると、すがすがしく懐かしい香りがしました。
そう、墨です。香りの記憶というのはすさまじく、一瞬にしてやわらかな日差しの差し込む小学校の教室や、小さな手で墨を懸命にすった思い出がよみがえりました。
墨屋は全国に9軒あり、そのうちの8軒が奈良市に集中しています。「錦光園」はその8軒のうちの1軒。
江戸時代から代々墨職人を務めた家系であり、明治時代に独立・創業したのち、昔ながらの製法と伝統を守りつつ、書道や絵で使われる手づくりの固形墨を100年以上つくり続けています。
出迎えてくれた7代目の長野睦さんに小学生時代の記憶がよみがえったことを伝えると、「墨は、書く・見る・香るという三位一体が魅力なんですよ」と笑顔で答えてくれました。
長野「まず『書く』ですが、すり方によって粒子の大きさを変えられるので、文字を濃くして重厚感を出したり、淡くして立体感を出したりすることが可能なんですね。『墨に五彩あり』と言われるほど、墨はたくさんの色味をもっているんです。
さらに使用する水の量でも濃淡の幅が増えますし、にじみ、かすれなども自由自在。ボールペンや万年筆、シャープペンシルなどよりずっと表現の幅が広い筆記材なんですよ」
2番目の「見る」は、美術工芸品としての見た目。3番目の「香る」は、もちろん懐かしいと感じたあの独特の香りを指します。
長野「墨の表面に施されたきめ細かい模様は木型をつくる職人の手作業によるもので、大陸由来の漢詩や文字、人物画や空想上の動物画が描かれることが多いです。
かぐわしい香りのもととなるのは、原材料として投入される龍脳(りゅうのう)と呼ばれる東南アジア由来の香料。これはもともと膠(にかわ)のにおいを抑えるために加えられるのですが、心を落ち着かせる絶妙なエッセンスとなっています。
もうひとつ、墨をするという行為そのものも4つ目の魅力と言ってよいのではないかと思います。マインドフルネスやメディテーション(瞑想)などが盛んな時代において、墨をする時間は気持ちを静めて精神を統一できる特別な時間になりますから」
写真提供:錦光園
ところがそんな墨の生産量は70年前から約30分の1まで減少。日本に生まれれば学校教育などで必ず触れる機会がありますが、それ以降は部活動をしたり書道教室に通ったりしないかぎり、体験することがほぼありません。
書道人口が減少し、手軽な墨汁が増加するに従い、伝統工芸品である奈良墨は衰退の一途をたどっているのです。
長野「1300年の歴史をもつ日本古来の筆記材にもかかわらず、使う場所が圧倒的に少ないんですよね。
特に墨汁という液状の墨だけで書道をした人は、いまだに固形墨の存在を知らなかったり、それを目にしたところで“すって書く”という使い方が想像できなかったり。形式だけがなんとなくイメージで残ってきた、すごく奇妙で不思議な筆記材でもあるんです」

奈良で墨づくりが盛んになった理由とは

墨は、煤(すす)と膠と香料という3つの原材料からつくられています。炭素の粉末である煤は水に溶けないので、そのままでは紙に定着しません。煤の粒子を膠の皮膜が包み込むことによって、水に溶けることを可能にし、液体の墨になり得るのです。
そんな墨で書かれた文字は、消えることなく、1000年残ります。実際、奈良の正倉院には1000年以上前に書かれた木簡(字句などを書き記した木の札)や和紙が残り、その文字はいまも色あせることがありません。
さて、日本国内で使用されている固形墨の9割以上は、奈良で生産された奈良墨だということですが、なぜ長い間奈良で墨づくりが盛んだったのでしょうか。
長野さんは「奈良には神社仏閣が多く、お寺では写経など使用用途が多々あったこと」「都があった奈良では役所があり、後世に残すための記録材として必須となったこと」のふたつを理由として挙げました。
墨の起源は中国の殷の時代。現在の墨の原型ができたのは漢の時代といわれています。「日本書紀」によれば、飛鳥時代の610年、高句麗(朝鮮)の僧である曇徴(どんちょう)によって日本に伝えられたとされます。
その後、朝廷のあった飛鳥の地で墨づくりが始まり、聖徳太子も松煙(しょうえん)墨を用いて「法華経義疎」を書かれたそうです。
赤松の木を燃やして採取する煤から製造した固形墨が松煙墨となる(写真提供:錦光園)
推古天皇の時代には、中国の仏教文化の影響から日本でも写経が盛んに行われるようになり、寺社が多くあった奈良では主に僧を中心に多くの墨がつくられました。
室町時代初期には、興福寺二諦坊(にたいぼう)の灯明の煤を集めてつくられた国内初の油煙(ゆえん)墨が誕生。主流であった松煙墨と比較するとつくり方がたやすく、「南都油煙」と呼ばれて墨の代名詞になりました。これが奈良墨の起源です。
江戸時代に入り、幕府指導のもとに形成された奈良町には約30軒の墨屋が存在したと伝えられます。
彼らは松煙墨の製法を改良し、土佐灰・讃岐灰・日向灰三州灰・越後灰など各地の松煙を買い入れるなどの工夫や努力をほどこすことで、油煙墨と松煙墨それぞれで奈良墨というブランドを確立させたのです。
しかし、昭和に入って液体墨が登場し、固形墨の需要は大きく低下。そんななか、奈良墨というブランドだけは愛好家によって支えられ、2018年には国の伝統工芸品に指定されました。
長野「昔は奈良だけでなく、京都や兵庫、和歌山など、近畿地方のいろんなところで墨がつくられていたんです。それこそ和歌山は松煙墨の原材料となる赤松の産地で、紀伊国藤代という地名から名づけられた藤代墨は奈良墨と同じくらい上等な墨だった。
結局、いろんな条件が重なって、最終的に残ったのが奈良だったというだけの話なのでしょう」

業界全体の高齢化と後継者不足を打破するために

墨の製造は他の伝統工芸に多く見られる分業制。もともと、奈良の墨屋は記録に残っているだけでも40軒近くあり、墨職人は200人以上いました。
現在は8軒に減り、一通りの仕事のできる職人は10人足らず。奈良の墨業界全体の高齢化と後継者不足に、長野さんは大きな危機を感じています。
長野「そもそも存続させていくためには、道具や材料、職人が不可欠ですよね。
でも、例えば墨づくりに欠かせない専用の木型を製作する専門の墨型彫刻師は、いま日本に1人しかいない。日本最古の墨『松煙墨』の原料のひとつ、赤松の煤を製造する職人さんも、同じく日本で1人しかいない。当然、後継ぎもいないわけです」
なぜ後継ぎがいないかと言えば、そもそも需要がないから。使う人が減れば、それをつくる生業の人も減るのがこの世の摂理です。
長野「これは墨に限りませんが、日本の伝統工芸・伝統文化は誰もが大事だと言ってくださるし、いろんな媒体で取り上げてくださるのですが、買ってくれないと意味がない。お金にならないと、自分たちが食べていけないし、その仕事を続けていけないわけですね」
「そのために必要なものは、間違いなく“需要”の一言」と長野さんは訴えます。
長野「墨の需要そのものを上げなくてはいけない。需要を生むために何をすべきか、考えなければいけない。一般の消費者の方に対してアプローチする努力というものを、僕らもとことんすべきだと思うんです」
そこで長野さんは墨に関する情報発信を始めました。
生の墨を手で握ってつくる「にぎり墨体験」をはじめ、オンライン墨づくり体験「奈良墨職人」、自宅に墨の現物サンプルを送るサービス「試し墨(ためしずみ)」、学校向けオンライン授業や出張授業、1日1組限定で墨に関する質問・相談を受ける「墨の相談室」、無償の講演会など、できることは何でも積極的に取り組んだのです。
また、自ら職人を取材し、自社サイトに読み物「奈良墨のひと」も掲載しています。第1回は、中村雅峯(がほう)さん。前述の日本に1人しかいない墨型彫刻師です。この記事はテレビ局の目に留まり、番組で特集されました。
2021年には「『奈良墨』の危機  1000年以上続く文化と伝統を守りたい!」と銘打ったクラウドファンディングを実施。こちらもSNSで大きな話題となり、454人の支援者から286万2000円を集めています。
長野「お金にならないことばかりやっていますが、そうやって伝えていくなかで、それを見た人、聞いた人が、こうして取材してくださったり、友人や知人に奈良墨の話をしてくださったり、新しくOEMの注文をくださったりしています」
「いまのところ手応えがあるのは、唯一そこだけじゃないかな」と苦笑する長野さん。とはいえ、がむしゃらな活動は、少しずつ共感、応援の輪を広げているように見えます。
長野「自分の代で潰していい、つくるだけでいい、べつに買ってもらわなくていいと言うのであれば、わざわざ『伝える墨屋』なんてやらなくていいんです。
実際のところ、周りに認知してもらうスピードと業界が沈んでいくスピードを比べたら、後者のほうが圧倒的に速い。
それでも、とにかく自分がやるべきことを信じて、ブレずに続けていけば、いつか道が開けるのではないかと考えています」
錦光園の理念は「墨守(ぼくしゅ)」。自社サイトにはこう書かれていました。
墨を守るとは
伝統を守る
製法を守る
技術を守る
産地を守る
産地で働く人を守る
書道文化を守る
家を守る
家族を守る
つまり、目指す方向は「奈良墨の底上げ」。他の墨屋とともに活動し、産地がまとまれば、自社の未来、家族の未来も守られる。引いては伝統や文化も守られる。長野さんはそう心から信じているのです。(Vol.2へ続く)