漫画家・芦原妃名子さんが死亡 「セクシー田中さん」など連載
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注目のコメント
衝撃のニュースとしか言いようがない。「セクシー田中さん」は、ベリーダンスの素晴らしさが広まるきっかけとして、とても大切な作品。そして、登場人物が抱える人間らしい行動や悩みは、現代社会の、ごく普通の私たちの縮図のようなもので、深い共感を感じていました。テレビ化前から本作品に親しみ、先日、京都に行った時に滞在したマンガ喫茶で、単行本を再度、一気読みをしました。
世代の近い方でもあり、私の出身地の栃木県を拠点とされていた。残念でなりません。
なんらか原作がある場合は、その原作そのものと、原作者に対する、深い、深い敬意を持ち、対話を重ねなければいけない。
追記 テレビ局によるコメント。制作過程が引き金になったということを意識しているからのコメント。つまりは尊重して合意したので問題はない、という立場か。
https://www.ntv.co.jp/tanakasan/本件を他のメディア(ここを含めて)がどう報じるのか、メディアとしての真価が問われます。日テレは当事者ですので、自身を擁護する形で報道するのは、ある意味当然のことです(それでいいとは到底思いません)。
問題は、日テレ以外のメディアです。
表現や創作で仕事をしている(広い意味で)同業者を最悪の結果に追いやった同じメディアに対し、いつもどおりの身内意識でろくに批判もしないのであれば、もはやメディアとして体を成していないと言わざるを得ません。議論を整理する意味で。
1、まず、著作権というのは大変強い権利です。この場合著作権は芦原さんにあって、ドラマは二次著作になり、著作権者は芦原さんになります。なので、気に入らないということになれば、変更を要求する権利があり、また自分がやったほうが早い、ということであれば、9話:、10話のように芦原さん自身が書くというのは、日本テレビ側は拒否できないわけです。
2、1について双方理解したうえで、版元も、原作者も、手を離して、ドラマ制作者側の翻案を信じる、そして本も売ろうという場合もある、ということなんです。
1についての意識が薄い場合に、えてしてトラブルになります。今回はその最悪のケースですね。
著作権を軽視して、脚本家の創意をみとめないのはおかしい、とか、テレビは視聴率をあげなくてはならない、とか、そういう趣旨のことを言っている人がいます。
しかし、著作権が軽視されれば、そもそも最初の作品を作ろうとする人がいなくなる。
そのことをよく考えてほしいと思います。
芦原さんのご冥福を心からお祈りもうしあげます。