【新教養】理系の視点から「親ガチャ」の真相を探ってみよう
- 人生に「ハズレくじ」はない
- 「遺伝」と「個性」は結びつくけど...
- 「優生学」と「遺伝学」は全然違う
- 遺伝はタブーではない
- 本当の「フェアな社会」とは?
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まず、最近いわれている「親ガチャ」で問題にされているのは生物的な遺伝の格差ではなく、資産の格差ですね。
資産の格差が親次第で決まる、というのは大昔からあったことですが、19世紀に教育次第や起業で立身出世ができる時代が来て、一度格差が縮まりました。
最近、再び格差が開いてきているのは、主に金融市場がグローバル化されて、資産運用の選択肢が増えたためです。
それはそれとして、遺伝学や優生学というのは、19世紀に発達して、それが産業革命や植民地統治の時代、そして「人種」が強烈に意識される時代と重なっていたために、地獄の釜のフタを開けてしまいました。
遺伝学や優生学は、欧米人のアジア、アフリカとの接触が急増する時代にあって、初めから格差を肯定し、格差を拡大固定するために利用されてきました。別に科学的検証の結果ではなく、政治的、経済的な動機からです。
さらに、悪いことには技術の力で社会を改造できるという社会工学が隆盛した時代が来たため、遺伝学を使って人間社会を改良しようという構想が出現しました。
これが優生学ですが、今の日本政府にしても科学的エビデンスに基づいた政策決定などできないでいるように、政治は科学に則って動いたりはしません。実際に起きたのは、「人種」思想のニセ科学的政策化でした。ドイツに限らず、米国でも、19世紀と20世紀の世界で広く見られたことです。
これはもう1つの社会工学思想、共産主義でも同様でした。
遺伝学は、この、いわば原罪があるため、「親ガチャ」などという言葉にも敏感にならざるをえません。
科学は方法であり、政策を決めるのはあくまで政治である、というのは、それはそうです。
科学は検証のための方法に過ぎないので、理想の社会のあり方を描いたりはしません。
欧米も含め、科学についての勘違い、あるいは意図的な誤用が、社会のあり方について考えることをサボらせ、あげく何千万人をも死に追いやった、という悲惨な時代がありました。
そこから試行錯誤を経て人間がより賢明な選択をするようになったかというと、別の錯誤に陥りつつあるようにも見えます。20世紀のニセ科学の時代から、21世紀のニセ科学の時代になったかもしれません。
「遺伝子」「科学」と聞くだけで、万年理科5段階で2という私のような人間はこの手の本を読む気がなくなるのですが、「親ガチャ」というバズワードを挟みながら社会学やデータが絡んでくると、不思議なことに俄然読みやすくなります。
イメージだけで語られがちな「親ガチャ」「平等」「遺伝」、そして遺伝子を扱う学問でタブー視されがちな「優生学」とは何が違うのかを、翻訳家の青木薫さんに語っていただきました。
「主な翻訳書に「フェルマーの最終定理」をはじめサイモン・シンの全著作」
いいねボタンを100回連打しても物足りないのですが一体どうしたらよいのでせうか。青木先生翻訳のサイモン・シンであれば「暗号解読」がもう最高。歴史好きにはたまらない内容で、しかも公開鍵暗号などの現在のITに不可欠の知識の解説も素晴らしい。
この本は未読なのですが、優生学の負の歴史に端を発する「ゲノムブラインド」を越えて社会における遺伝学のあり方を問い直す本については以前にPickした「能力はどのように遺伝するのか」(安藤 寿康)もあります。
https://newspicks.com/news/8677731
この本から感じたのは、遺伝子よって個々人の能力や個性に差が出るのも養老孟司風に言うところの「自然」そのものであるということ。ただその剥き出しの自然を前にして概念や建前で成り立っている社会が困惑しているのも事実で、安藤先生の本は「もはや不可知論に安住することはできない」と、問いのボールをこちらに投げて考えさせる本です。
青木先生が翻訳されたこの本もKindle版をポチったので、どんなボールが飛んでくるのか週末読んでみて色々考えてみます。
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