【ミニ教養】エリート大学の「入試」がイカれている
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今は日本の大学でもGPAでの評価が大部分ですが、学生の成績を低くつけてGPAを下げても、教員は何も得はしないのですよね。
やる気のない学生が次の年にまた同じ授業を受けに来てもありがたくはないし、学生のGPAが低いことで就職や大学院への進学に失敗したとしても、教員は別に得にはならないです。
下手をすると留年したり就職に失敗すると、教員を撃ちに来るような学生も米国にはいます。日本でも、教員が刺された事件があります。
このあたりの仕組みは、米国でもどこの国でも同じでしょう。日本の企業はそれほどGPAは見ませんが。
学力テストは格差を固定するのはそうです。
それでは、面接や自己アピールのプレゼンテーションで合否を決めるとなると、育ちがよさそうで、人に悪意を持つ必要がなく生きてきたような男女が合格します。教員も、そういう若者と授業をやった方が楽しいですから。
何なら実家が非常に太くて、寄付をしてくれそうな受験者であれば、なおさら合格しやすいです。
こうやってさらに格差が固定されます。アメリカ時代「このクラスでBが取れないと卒業できない」と泣いて来る学生と遭遇する場合が何度かあって、「良い成績を与えることは誰も損しない」「だからこそ、自分の基準がないとどこかで間違う」と強く感じたことを思い出しました。下着のサイズならいいんでしょうが。
ちなみに親ガチャは昔から間違いなくあって、スポーツ推薦の裏口は論外として(数年前に大きなスキャンダルがありました)、親が教育熱心なアジア系は楽器を習い、ボランティアをし、もちろんSATはほぼ満点、というパターンを良く見ましたし、ハーバードの先生すら「自分のコネは全て使う」とKBSでのセミナーで言い切っていました。GPAだけでなく、会社でも
「相対評価指標は、基準値より1点上につけろ。部下のモチベーションも保てるし、それに伴う給与の増分なんて微々たるものだから」なんてことが言われます。
学校も会社も、運営側にとっては、それが楽なんですよ。「なぜ私のgradeはこんなに低いのか?」「なぜ、私はこんなに売り上げたのに評価されないのか?」そう突っかかってくる学生や社員に対して、論理的に、相手が納得できるように説明するのは難しいでしょう。そして、相手を納得させることができても、その学生・社員のモチベーションは、決して回復してないはずです。下がったモチベーションは、明日からの学校・会社でのパフォーマンスにとって、プラスに働くことはありません。
「低い評価をつけても、誰も得しない」のです。「人からの評価」は、このような原理で動いていることを理解し、人の評価に一喜一憂することなく、自分のやりたいことをやりましょう。自分の生きたい人生を生きましょう。