2023/10/20

【橋本栄莉】私たちはみな「呪われし共同体のメンバー」である

立教大学 文学部 准教授
人生の「探求者」たちのエピソードから、自分らしく、しなやかに生きるヒントを探る連載「Life Quest(ライフクエスト)」。

今回は、文化人類学者で、立教大学文学部准教授を務める橋本栄莉(はしもと・えり)さんの人生を深掘り。

橋本氏が研究を続けるヌエル族では、私たちは何かを自分の意思で決めているのではなく、自分以外のよく分からない存在に、そうさせられていると考えるそうだ。

日本だと、「こうあるべき」や「普通はこうだよね」という信念が生み出す空気が、まるで神のようにその場を支配する点で、ヌエル族と構造的には同じだと言える。

つまり我々人間は、自己を超えた何かに支配されながら、すなわち呪われながら生きる存在なのだ。

最終話、「人間とは何か」を問い続ける橋本氏の核心に迫る。(第5話/全5回

INDEX
  • 「神」が全てを決める世界
  • 「空気という神」とどう向き合うか
  • 私たちは「呪われし共同体のメンバー」
  • 「分からない」を追い続けたい
🔗 前回までを読む➡️ 📍連載第1話|📍第2話|📍第3話|📍第4話

「神」が全てを決める世界

前にも言いましたが、私が南スーダンに行って思ったのは、コミュニケーションのとり方が全然日本と違うので、かえってラクだということ。
日本では、相手の思っていることがなんとなく想像できて、それが当然みたいな空気がある。
だから「こんなこと言って変だと思われないかな」とか、「相手はどう思っているのかな」と、常に探り探りコミュニケーションをとるのが当たり前です。
でも私の研究するヌエル族の人たちは、私の経験上、あまり顔色を探りながら話すということはなく、裏で陰湿に人を呪うようなこともありません。そもそもあまり呪いの文化が発達していないのですが。
必ずしもすべての民族に当てはまるわけではないですが、アフリカでは割と農耕民に「呪い」が多いという指摘があります。
農耕というのは長い間定住してみんなで一緒に作業をするので、人間関係がすごく近くなってドロドロが発生しやすい。
しかも天候や地形の条件によっては、ある人はすごく豊作だったのに、こっちの人は不作だった、というような格差が生まれる。