【ここまでやった】台湾「技術立国」の知恵から日本が学ぶこと
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お話はワタシの持つ台湾の印象と大きく変わらないのですが、一つ加えると、国内での機会増加に伴い、台湾からの留学生が減っている事ですかねぇ 例えば、ワタシがいた頃MITはmade in taiwanなんて言われてましたが、ここ20年で全く変わりました 一世代前の海亀(台湾ではそうい呼ばないのかな?)が作り上げた経済的繁栄が今後プラトーを迎えた時、その影響がどう出るかに興味をもっていますよ
1960年代までは、台湾はフィリピンと並び、農産物が主な輸出品目の国でした。
米国の同盟国である、エリートは米国に留学する、しかし農業国であるため、米国で教育を受けたエリートは米国でそのまま働きたがる、という、フィリピンと似たような国でした。
1980年代から、台湾もフィリピンも、半導体などエレクトロニクスの外国企業が進出してきて、製造拠点を提供する国になっていきました。
東芝や富士通、NECが製造拠点を置いたことでも、両国は共通していました。
その後の両国の行方を分けたのは、外資に対する規制の有無、下請けに徹する時期にどれだけ下請け企業が技術を蓄積したか、でした。
フィリピンは、既存の財閥が、外資の進出や新産業の台頭を嫌いました。
台湾、シンガポール、イスラエルは、かなり似たところのある国です。もちろん、違いもあります。
台湾も、蒋経国総統時代の1970年代、80年代は、開発独裁の性格が強く、政府が重点的にインフラなどを整備したことが、その後の発展の基礎となりました。
その後、1990年代以降により自由主義的な経済政策に移行し、五加二産業と呼ばれるようなイノベーション産業、スタートアップを経済成長の牽引役にしていく制度と環境をつくれたことで、現在の隆盛に至っています。
「我が国にもシリコンバレーを」というのは、日本のみならずアジアの国の多くがいうことでしたが、それを一番達成できたのが台湾でした。
ポーター教授の名言の1つに「差別化とは、他社と違うことをやるか、同じことを違うやり方でやることだ」があります。同じ土俵で戦おうとすると遠からずレッドオーシャン化する。これは企業レベルでも国レベルでもいえることだと思います。
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