2023/6/21

「売れる気がしない」 社内で酷評の新ブランドを絶賛した異業界

ライター
大阪府八尾市で、100年前から「釜焚き」で石鹸を作り続けてきた会社があります。木村石鹸工業。

もとは工場や銭湯で使う業務用洗浄剤や家庭用洗剤のOEM(相手先ブランドによる生産)を手がける裏方的な町工場で、一時は、じり貧状態に追い込まれたこともありました。

でも、自社ブランド商品の開発を機に、石鹸をベースにしたヒット商品を次々に生み出すようになりました。

その道のりをたどります。
INDEX
  • 外に知られたら困る「非効率」な存在
  • 洗剤を別業界に持ち込んだら
  • 「継ぐつもりはなかった」のに
木村石鹸の倉庫。石鹸の原材料が所狭しと積み上げられています=同社提供
奈良県との境に屏風のようにそびえる生駒山地のふもと、大阪府八尾市。中小の工場が林立する一角に「木村石鹸」があります。木村祥一郎社長の曽祖父が1924年に創業しました。
工場には、もうもうと湯気があがる五右衛門風呂のような釜があり、真っ白な泡がゆれています。ヤシ油と水酸化ナトリウムなどのアルカリ剤を、職人がつきっきりで色や泡を見ながら約7時間かけて煮るのです。これが「釜焚き」と呼ばれる製造工程で、木村石鹸では創業以来、続けてきました。
熱しすぎても、熱さが足りなくても石鹸になりません。温度や湿度、油の状態は日々変わります。微妙なタイミングを勘で見極め、細かく調整していきます。木村さんの父(先代社長)は「そんなもん、なめたらしまいや!」と、舌のしびれ加減で調整していたそうです。
できあがった液体を乾燥させて粉砕すると粉状の「純石鹸」のできあがり。
石鹸を焚く釜=同社提供

外に知られたら困る「非効率」な存在

今でこそ、木村石鹸の象徴になっている釜焚きの風景ですが、むしろ、少し前までは外に知られたら困る存在でした。
木村石鹸は1960年代、先代社長が開発した銭湯向け洗剤が大ヒット。全国の銭湯に広がり、今も販売している家庭風呂の洗浄剤に受け継がれてきました。
1990年代からは、OEM(相手先ブランドによる生産)も始め、2013年ごろには全売り上げの7割が3社向けのOEMで占められていました。1社でも契約を打ち切られたら会社は行き詰まります。買い取り価格を変えずに、バージョンアップを求められることも。無理をして、先方の要求をのんだこともありました。
そんな状況で利益を出すには、原価をできるだけ抑えるしかありません。自社生産より東南アジアで製造した石鹸を輸入したほうが、よっぽど安くすみます。
矛先は釜焚きに向きました。「釜焚き」をOEM先の会社に知られたら「もっと効率を上げて価格を安くしてくれ」と言われかねません。社内でも「効率の悪い釜焚きはやめよう」という意見もありましたが、「一度やめたら復活できなくなるから小さくても続ける」と先代社長は頑として守ってきました。

洗剤を別業界に持ち込んだら

OEM事業への依存を脱するため、自社ブランドを立ち上げて消費者とつながる方針を打ち出したのが、当時の社長の長男だった木村祥一郎さん(現社長)です。
木村祥一郎さん:1972年生まれ。同志社大学在学中の1995年にベンチャー企業ジャパンサーチエンジン(現イー・エージェンシー)の起業にかかわる。2013年、「木村石鹸工業」に常務取締役として入社。2016年に社長就任。
自社ブランドの候補となる商品は、すでにありました。石鹸がベースの台所用洗剤。品質は抜群でしたが、OEM向けに開発したものの、値段が高くて売れず、廃番になっていた商品です。トイレや風呂、衣類の洗剤もそろえて2015年に自社ブランド「SOMALI」を立ち上げました。
問題は値段でした。大手メーカーの台所用洗剤は300mlでせいぜい300円。「釜焚き」の経費や容器代を考えると、そんな価格では対抗できません。木村さんは商品のデザインを白地のシンプルなものに仕立てて、1本1000円を超える値段をつけました。
「そんな高いもの、だれが買うんや?」
「売れる気が全くしない」
社内の評判はさんざんでした。営業担当が関心を示さなかったので、当初はウェブサイトだけで販売しました。発売した2015年4月の売り上げは2万円、5月は6万円。
その家庭用洗剤を、木村さんは展示会に持ち出します。行き先は東京で開かれた「DESIGN TOKYO」。インテリア、ギフト、アパレルの目利きのバイヤーが集まる、最先端の国際デザイン製品展です。
洗剤の出展は同展初。目を付けたバイヤーたちが群がってきました。
「これ、化粧品? えっ、洗剤なんだ」
「創業90年で、釜焚きで作った石鹸を材料にしています」
「釜で焚く? おもしろい」
「1200円」という価格をつたえると、
「え? やすっ!」
「非効率」「古臭い」と言われていた釜焚きの歴史に耳を傾け、シンプルな洗剤をインテリアに見立ててくれる。最も遠そうに見えた世界の人たちが、その価値を見いだしてくれたのです。
「ロフト」「フランフラン」「イオン」といった有名店との商談が、その場で成立していきました。
びっくりしたのは木村石鹸の営業担当です。1000円を超す洗剤がみとめられる世界があるなんて……。評価を目の当たりにして、がぜん前向きになります。その年の12月の「SOMALI」の月間売り上げは150万円に達しました。
自社ブランドに自信を持った社員たちは、次々に新商品を生み出していきました。2022年の売り上げは、自社ブランドが4割、OEMが4割、業務用が2割。売り上げは2013年の2倍を超す15億9000万円に。自社ブランドで会社の知名度が上がるにつれ、OEMや業務用の顧客も増えていきました。

「継ぐつもりはなかった」のに

木村石鹸の工場の入り口=同社提供
自社ブランドで会社を立て直した木村さんですが、若いころは家業を継ぐつもりなど、これっぽっちもありませんでした。
子どものころ、工場の2階に住み、「釜焚き」のかまどの赤レンガを父と積みました。家のごみはこのかまどで燃やし、その熱で風呂をわかしていました。まさに職住一体の生活。
「おまえは長男やから会社を継ぐんや。4代目やで」
物心ついたときから言われつづけて育ちました。
小学校高学年になると、木村さんは音楽や映画、アートにめざめます。「油まみれで、せせこましい町工場の小さな世界」とは正反対の世界へのあこがれは、強くなる一方でした。中学生になると工場に足を踏み入れなくなりました。
「なんで親が勝手に進路を決めるんや。ぜったい継がへん」
乾燥中の粉石鹸=同社提供
京都の大学に進学して八尾をはなれ、先輩とITのベンチャー企業を起業し、東京で暮らすようになります。
木村さんに後を継いでもらうのをあきらめた父は、元部下を社長に抜擢したり、経営者経験のある人を役員に迎えたりと、後継者を作ろうと試みました。しかし、軋轢や対立が絶えず、心労がたたって倒れたこともありました。
そんな父を気にかけながら、IT企業の役員を続けていた木村さんは、2013年、18年間経営にたずさわってきたIT企業をやめ、常務として木村石鹸に入社しました。
「石鹸のことなんてまったく知らない素人が、製造業をできるとは思っていませんでした。5年ぐらいでけりがついたら、だれかにまかせてITの世界にもどろうと思っていたくらいですから」
木村さんはそう振り返ります。