2023/6/7

「和菓子じゃない」「のれんに傷」...和菓子の常識をぶっ壊す

フリーランス記者
広島県東部の福山市。この地で400年以上の歴史を持つ和菓子店「虎屋本舗」には、まんじゅうなど伝統的な和菓子のほか、ちょっと変わった看板商品があります。たこ焼きのようなシュークリーム、そしてお好み焼きのようなケーキ……。なぜそのような商品が生まれたのでしょうか。そこには、何もわからないまま30代で経営を引き継ぐことになり、巨額の借金まで背負った先代の、起死回生をかけた奮闘がありました。(全4回の第2話)
INDEX
  • 和菓子店らしからぬ「そっくりスイーツ」
  • 地域で売り上げ一番のはずが...
  • 1.5億円の借金。「1000年でも返せない」
  • 「お菓子の神様が降りてきた」和洋ミックス
  • 本屋で立ち読み、磨いたビジネスセンス
  • 跡取り息子はビジネススクールへ
  • お客さんからは見えない部分の改善
  • 機械化で省力、定年も75歳に延長

和菓子店らしからぬ「そっくりスイーツ」

広島県福山市にある創業403年の和菓子店「虎屋本舗」。2022年6月にリニューアルオープンした神辺店の冷蔵ショーケースには、和菓子店らしからぬ商品が並んだ一角があります。
たこ焼き、お好み焼き、餃子、コロッケ……。いったいなぜ?
虎屋神辺店のショーケースに並ぶ「そっくりスイーツ」
実はこれ、「そっくりスイーツ」といわれる商品群で、一番古い「たこ焼きにしか見えないシュークリーム」は2003年にデビューしたものです。
シュークリームの上に、ソースに見立てたチョコレートソースがかかり、抹茶のそぼろの青のり、チョコのスライスで作ったかつおぶしがかかっています。シュー生地のしわを含めて、見た目はまるでたこ焼きそのもの。
ほかにも、「コロッケそっくりなレアチーズケーキ」「ざるそばそっくりなモンブラン」「うな重そっくりなミルフィーユ」など。見た目と味のギャップが楽しい奇抜な商品群は、新商品が出るたびに話題となってきました。
広島県産レモン餡のわらび餅をベースに、自家製の白あんや練り切り、タピオカなどを使って作った「てまり寿司」は、2015年に「おみやげグランプリ」を受賞しました。
そっくりスイーツの「てまり寿司」=提供

地域で売り上げ一番のはずが...

先代社長の高田信吾会長(60)に考案の背景を聞くと、こんな答えが返ってきました。
信吾「ピンチはチャンス、結局はそういうことなんよね」
「40代ぐらいまでは好きなことをして生きなさい」と言っていた15代当主の父に末期がんが見つかり、1990年に27歳で未知なる和菓子の世界に入ることになった信吾さん。幼い時からずっと、祖父や父が働く現場である「虎屋」は地域で売り上げ一番のブランド和菓子だと思ってきましたが、「戻ってみると、全然さえなかった」。
戻って初日、洋菓子のラインに放り込まれ、粉まみれとなる洗礼をいきなり受けました。古い職人とは衝突するばかり。
「そりゃそうですよね、ボンボン息子が突然帰ってきて、エラそうにしとったら」
2013年ごろの高田信吾さん(虎屋本舗提供)

1.5億円の借金。「1000年でも返せない」

売り上げは右肩下がり、財務内容もめちゃくちゃ。どこから手をつければいいのやら、と悩んでいた社長就任の直後、重たすぎる荷物を背負わされることになりました。
祖父がだまされ、膨大な額の借金を背負うことになったのです。その額、なんと1億5000万円でした。
祖父の名義だった本社は差し押さえられ、銀行からは融資も受けられません。取引銀行の行員からは屈辱的な言葉を吐かれました。
「虎屋さんには400年もの歴史があるけれど、借金は1000年かかっても返してもらえませんね」

「お菓子の神様が降りてきた」和洋ミックス

周りに助けを請いながらの自転車操業となります。「経営を立て直すためにも、何か、新機軸となる商品を作らなければ」と悶々とする日々が続いていた、社長就任から10年目のころのことでした。
商品開発会議の休憩時間、夜食用に調達してきたたこ焼きを食べようと、つまようじを刺した瞬間、「お菓子の神様が降りてきた」のです。
「このたこ焼きとそっくりなスイーツを作ってみるというのはどうだろう」
たこ焼きにしか見えないシュークリーム(虎屋本舗提供)
工場長に頼んで、翌日には試作品づくりに着手。「これは、いける!」という直感を得て、その場で商品化を決定しました。
しかし、社内からは大ブーイングが起きました。
「こんなものは和菓子じゃない」「のれんに傷がつく」
ただ、信吾さんの決意は揺らぎませんでした。「社長なのに、商品のおうかがいをいちいち立てたって、彼らは責任とるわけじゃない。責任をとるのは自分。それが経営だ」
あるイベントで販売すると、たちまち売り切れの大好評に。立て続けにシリーズ展開すると、そのユニークさに注目したメディアがこぞって取り上げ、生産が追いつかないほどの大ヒット商品になりました。
起死回生ともいえる新作から、ちょっとずつ返してきた借金も晴れて完済に至りました。
信吾「いい加減な発想で作った商品がヒットしたんですよ。僕、やっぱり自分の武器って嗅覚だと思う。和と洋をミックスしたら変わったふうに見える。僕が当時やっていたのはそれだけ」
高田信吾(たかた・しんご) 1963年、広島県生まれ。虎屋本舗16代当主。国学院大学経済学部卒業後、大阪のアパレルメーカーに勤務し、先代の危篤をきっかけに福山へ戻り、1990年に株式会社虎屋本舗に入社。4年後に社長に就任。2003年、大ヒット商品の「たこ焼きにしか見えないシュークリーム」を考案した。2021年から会長。

本屋で立ち読み、磨いたビジネスセンス

そうやってケラケラ笑いながら語る信吾さんですが、彼の直感や嗅覚は、圧倒的な読書量に裏付けされているのです。
何をやってもうまくいかない時期、近くの本屋に通って本を読みあさっていました。
ある日、店長から声をかけられ、立ち読みを怒られると思ったら「好きに読んでいってください」。申し訳なさを抱えつつ、菓子折りを持って通い続け、しまいには店長室が読書部屋に。「そっくりスイーツ」のヒットを心から喜んでくれたそうです。
信吾さんは明かします。
「そっくりスイーツはね、結局は孫子なんですよ」
「凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ」(およそ戦闘というのは、正攻法で敵と対峙し、奇策で勝利を得るものだ)
「善く戦う者は、人を致して人に致されず」(戦巧者は、自分が主導権を握り、相手のペースで動かされない)
「孫子塾」なる経営塾にも通いました。7年ほど続いた読書の日々にピリオドを打ったのは、結局どんなビジネス書も、すべて孫子の「兵法」が下敷きだと感じたからとか。
2021年に社長を継いだ信吾さんの息子で17代当主の高田海道社長(36)は、懐かしそうに読書家の父の姿を振り返りました。
海道「家でも経営学みたいなことを違和感なく話してました。石田梅岩(いしだばいがん:「道徳と経済の両立」の理念を江戸時代中期、日本で初めて全国に広めた思想家)とか孫子の話とか」
幼い頃の高田海道さん(左から2人目)と父の信吾さん(左端)=提供

跡取り息子はビジネススクールへ

製菓学校で学び、よその大きな菓子店で修業し、帰ってきて職人と一緒にお菓子を作る――。
それが、和菓子店の跡取りがたどる一般的な流れです。ですが、海道さんも信吾さん同様、親の方針で好きなことをして過ごしたのちに、和菓子の世界へ入りました。
海道「好きなことをさせてもらった自分に何ができるかって、経営企画とかマーケティングかと思ったんですけど、思ったより自分ができてないなって。だから、ビジネススクールに通うことにしたんです」
職場から一定程度は離れるし、金銭的な負担も発生する。覚悟を決めて、父で先代の信吾さんに頼み込んだそうです。
「自分もそういうのに行きたかった、と父は言っていました。でも自分の時は、祖父の病気とか借金とか、それどころじゃなかったんですよね。それで、夜中に本屋で立ち読みして。私が通ったビジネススクールで使った本も読んでいたと言っていました。それを聞くと、しっかり学んでこないとなと思いました」
高田海道(たかた・かいどう ) 1987年、広島県生まれ。早稲田大学政治経済学部を2009年に卒業後、東京での不動産会社勤務、議員秘書を経て、2013年に株式会社虎屋本舗へ入社。21年、17代当主・社長に就任。2018年、第2回ジャパンSDGsアワード「SDGsパートナーシップ賞」受賞。2018年にグロービス経営大学院修了。
膨大な読書量と、神がかったインスピレーションで父が世に送り出した奇抜な「そっくりスイーツ」。誕生から20年のロングヒットを超えるものを作りたいと、闘志を燃やしているのでしょうか。
「あれを超えたいとは思わないです」
海道さんは、苦笑いを浮かべながらそう語りました。「いや、本当は超えたいと思ってますけど、僕には作れないです。ああいう『イカれた』商品は。狙っても出てこないです」

お客さんからは見えない部分の改善

父と子の経営者としての違い。
「でも、社長は、お客さんの目に見えない部分を一生懸命やり出したんですよ。会長があまりやらなかったことを」。16代当主の信吾さんの妻で、17代当主の海道さんの母でもある高田恵美専務(56)は、こう話します。
お客さんからは見えない部分、それは労働環境の改善です。
看板商品の一つ、どら焼き「虎焼」の生地表面につく虎模様は、これまで手作業で表面に紙を被せて剥がすという作業をしていましたが、この工程を機械化しました。
海道「同じ作業の繰り返しだと腰が痛くなってくる。高齢の社員にはつらい環境です。メーカーさんと相談しながら、虎模様をつける紙を機械で吸い込む形にしました」
高田海道さんが発案して導入された虎模様をつける機械

機械化で省力、定年も75歳に延長

省力化した分、別の作業への目配せができるようになったと言います。
和菓子づくりは、経験に裏打ちされた技術がなければ、長く愛される味を保てません。一方で、従業員数100人に満たない小さな会社は、定期的な新卒採用も困難。経験者採用が多く、おのずと従業員の高齢化という課題に恒常的に悩まされてきました。熟練の職人さんに長く気持ちよく働いてほしい……。そこで、定年も思い切って75歳に延長しました。
バトンを受け取ったときの経営環境こそ違うけれど、それぞれの状況の中で、「学び」を深めてきた父と息子。同じところから違うものを見て、それぞれの強みを生かす二人三脚について、海道さんはこう言います。
海道「先代(父)のときと違って、長い並走期間があるし、今でもやっぱり困ったことだったり、何か味のことだったり、口出しをしてもらえる。それが安心感としてある。多分、事業承継として一番重く受け止めるときは、先代が亡くなったときじゃないでしょうか」
(Vol.3に続く)