【マザーハウス山崎大祐】「情熱女社長」を脇で支える「ロジカル副社長」

2015/1/13
第1回は、マザーハウスの副社長、山崎大祐氏のストーリーを3回にわたりお届けする。
「途上国から世界に通用するブランドを作る」──。これは社会起業家の山口絵理子氏が2006年、当時24歳で設立したマザーハウスの理念だ。
東京・台東区にある本店には、バングラデシュの特産品であるジュート(麻)やレザーを使ったバッグ、雑貨、洋服が並ぶ。
「社会起業家」「途上国」「バングラデシュ」と聞いて、一見客はこう考えるかもしれない。「日本や欧米のブランドものより粗末で安いの?」。そうした予想を軽く裏切る品質の高さと“いい”お値段の商品である。
2015年1月現在、国内に15店舗、台湾に4店舗を展開中。ここまで事業が拡大したのは、もちろん山口氏の強い思いが要因だが、思いだけでビジネスはできない。傍らでしっかり支える参謀がいる。
人を支えるのはテクニックにあらず
山口氏の肩書は、代表取締役兼チーフデザイナー。「私はモノを作ることしかできない。マザーハウスは山崎さんがいないと成り立たない」と苦笑する。
この山崎大祐氏こそが参謀であり、同社の副社長だ。モノ作り以外の実務を一手に担い、山口氏が「つぶれそうな時には助けてくれる」存在である。それは的確なアドバイスをするとか、励ますといった次元ではないと山口氏は話す。
「人を支えるというのは、テクニカルなスキルではないと思います。私が『できる』と信じ切る」
この言葉に、山崎氏はこう返す。
「僕は山口が作るモノ、ゼロからイチを生み出す力を信じている。僕は経営をしていますが、モノがあるから経営できるのであって、経営自体は何も生まない。それに山口はつぶれるような人じゃないですよ。たまに後ろを振り向いて不安になるだけ。ゼロからイチにする人って、イチからニにする人がいるかどうかがとても重要で、そういう人さえいれば自分はできると信じられて、どんどんやってしまうのです」 
夢の大きさに度肝を抜かれる
これほど山口氏を深く理解している山崎氏は、慶應大学の1つ上の先輩だ。ふたりが初めて会ったのは、竹中平蔵ゼミの代表を務めていた山崎氏が、「入ゼミ試験」を受けに来た山口氏を面接したときだった。
「いろいろな質問に対して彼女の答えはロジカルではなかったので、落とそうと思ったのですが、最後に『あなたの夢は何ですか?』と質問したら、『私は総理大臣になって教育を変えたい』と言った。それに衝撃を受けて、取ることに決めました」
途上国の開発に興味のあったふたりは、よく議論を交わすようになる。だが、卒業後は別々の道へ。山崎氏はゴールドンマン・サックス証券(以下、ゴールドマン)に就職してエコノミストとなり、山口氏はバングラデシュの大学院に進んだ。ふたりのキャリアが重なるのは、それから数年後である。
そもそも山崎氏がゴールドマンに行ったのは、「金融のど真ん中で何が起きているのかを見たかったから」だった。「おカネ」と「忙しさ」に飲み込まれるのが怖くて、最初から4年で辞めると決めていた。
「会社を辞めてアジアをバイクで横断したかった。21世紀はアジアの時代。自分の足でアジアを回れば、何かが見えるはずと思っていました」
先にバッグを作ってしまった山口氏
高収入だが、深夜まで働く毎日が続いた。案の定、おカネと忙しさに飲み込まれて計画を忘れかけた頃、山口氏から連絡が来た。
「バングラデシュでバッグを160個作っちゃった。どうしよう……」
考えるより先に行動してしまう人なのだ。バングラデシュでバッグのデザインをし、工場を見つけ、工員や職人に依頼して160個を生産。それを持って日本に帰り、途方に暮れている。
山崎氏は「当時、稼ぎがよかったので」バッグを5個ほど購入してあげた。だが、それでどうなるわけでもない。「やっぱりちゃんと会社を作らないとね」。そうして、ふたりで資金を出し合い、マザーハウスを設立したのだった。
最初はゴールドマンで働きながらマザーハウスの仕事を手伝っていたが、1年後、ゴールドマンを退職する。ちょうど4年、勤務したところだった。
アジアを横断する計画も中止し、マザーハウスに副社長として参画。1年目の年収は、ゴールドマン時代の20分の1になった。それを承知で飛び込んだ理由は3つあるという。
1つ目は、山口氏がすさまじい勢いで成長していくのを目の当たりにしたこと。「やっぱり自分の意志で仕事をしている人に成長曲線のカーブは勝てない」と痛感した。
2つ目は、ライブドア社長(当時)の堀江貴文氏と話す機会があり、経営者というものに興味が湧いたこと。「今、注目しているビジネスはミドリムシで、ユーグレナに出資している。カプセル化すれば途上国の栄養補助商品になる、と熱く語られた。経営者って世の中に必要なものを提供する仕事なんだ。自分は社会に必要ものを作れるだろうか」と疑問が芽生えた。
3つ目は、百貨店の催事でマザーハウスのバッグを販売したこと。簡単に売れるとタカをくくっていたが、朝10時から売り場に立ち続けて1個も売れない。閉店間際にようやく1万5000円のバッグが売れた。
「ゴールドマンで100億円の取引の話をしていたが、1万5000円のバッグを売る難しさも知らなかった。このまま世の中のことを何も知らないまま終わってしまうのか」と不安になった。
この3つで辞める決心がついたのだが、今から考えれば後づけの理由かもしれないと山崎氏は振り返る。
「なんかすごい楽しそうだなあとか、一緒にやれば山口の思いを実現できるのではないかと思った。もし実現できなくても、本当に信じるもののために仕事をするなら自分で納得がいく。失敗してもいいや。そんな感じでしたね」
まさに一蓮托生の覚悟。ここまで腹をくくった参謀が傍らにいれば、トップも心強いだろう。
山崎大祐(やまざき・だいすけ)
マザーハウス副社長
1980年東京生まれ。高校時代は物理学者を目指していたが、幼少期の記者への夢を捨てられず、1999年、慶応義塾大学総合政策学部に進学。大学在学中にベトナムでストリートチルドレンのドキュメンタリーを撮影したことをきっかけに、途上国の貧困・開発問題に興味を持ち始める。2003年、大学卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社。エコノミストとして、日本及びアジア経済の分析・調査・研究や各投資家への金融商品の提案を行う。2007年3月、同社を退社。マザーハウスの経営への参画を決意し、同年7月に副社長に就任。副社長として、マーケティング・生産の両サイドを管理。1年の半分は途上国を中心に海外を飛び回っている。
(撮影:今 祥雄)