2022/10/28

【メタバース徹底討論】ゲームを飛び出し、現実を変えるまで

フリー ライター・編集者/ポーカープレイヤー
近年、あちらこちらで聞かれるようになった「メタバース」という言葉。あなたはどんな印象を持っているだろうか。やってきては消えるバズワードの一つ、あるいは、インターネット以来の未来の当たり前になる可能性を秘めたコンセプト?
NewsPicksトピックス「メタバースって何の略?の”次”を語る会」を主宰する角田拓志氏と、「シリコンバレー・プロダクト・シンキング」の児玉哲彦氏のトピックスをまたいだ議論から派生して、メタバースを巡る対談が行われた。
メタバースエバンジェリストとして最前線にいる角田氏と、本質的な可能性は感じつつも、現状ゲーム領域以外での状況に疑問を呈している児玉氏。長らくXR業界に身を置き、研究と事業の両面からこの分野を見つめてきた児玉氏の「まだメタバースは非日常の域を出ていない」という核心的な問いを立脚点に、その可能性を探っていく。
なぜ人はもう一つの現実を希求するのだろうかーーそれぞれがメタバースと邂逅した原体験から話を始め、事例を交えつつ、ゲームから始まることの必然性や世代論、e-sportsに通じる人口への広がり方まで、メタバースの可能性を巡る広範な議論が交わされた。
対談を受けて執筆された児玉哲彦氏の「現実がクソゲーの日本の生きる道はメタバースにあるのかもしれない」と角田拓志氏の「ハレからケへの挑戦。メタバース日常ビジネスの現在地と壁」も公開となった。併せてご覧いただきたい。

メタバースとの最初の出会いと原体験

角田:私がメタバースの領域に参入したのは今から四年ほど前と、実は最近なんです。興味を持つようになったきっかけは、前職でスマホゲームのマーケティング戦略をやっていたときの経験にあります。『モンスターストライク』に関わるマーケティングを担当していたのですが、当時は大人気ゲームだった『モンスト』が他のゲームに挑戦される側、ユーザーを奪われる側に移り変わっている頃でした。たとえば『荒野行動』なんかは、当時の女子高生の流行りものランキングでTikTokを抑えて一位を獲るほどの人気ぶり。他のゲームからの突き上げに遭うなかで課題になったのが、ゲームのユーザー間での「ソーシャルグラフ」や「インタレストグラフ」の見直しです。ソーシャルグラフは家族・親戚や友達といった実際の人間関係。対して、インタレストグラフは共通の趣味でつながる関係といったニュアンスを指す概念です。
『荒野行動』はこれら二つの指標をどちらもうまく捉えて急激にスケールしていました。『荒野行動』をはじめ当時人気を集めていたゲームの分析を通じて、コミュニティの在り方、ひいては人間関係の在り方そのものに深く関心を持つようになっていきました。そうしたなか、出会ったのが「バーチャルマーケット」です。これは年に二回、仮想空間上で行われる展示即売会。この中に入っていくと気付かされるのは、インタレストグラフを経由して、深いソーシャルグラフに至った人たちの新しい人間関係の在り方でした。そのあり様を目撃して感じたのは、メタバースには人間関係やコミュニティ、さらには社会そのものを作り出すポテンシャルがあるのではないかということです。「メタバースは人間の生活様式そのものを変えていく」ーーそんな可能性を感じています。
児玉:私のメタバースの出会いを遡ると、入口は小学生の頃に出会ったゲームにあると思います。90年代の前半に3DCGを使ったコンテンツが世に初めて出てきました。なかでもインタラクティブムービーを使ったもので有名なゲームに『MYST(ミスト)』があります。バーチャル空間でさまざまな体験ができることに衝撃を受け、自分自身10代の頃から足掛け10年ほど、映像であったりVRコンテンツの制作に夢中になっていました。ただ、大学生の頃に一つの強烈な転機が訪れました。それが9.11のアメリカ同時多発テロです。ツインタワーが崩壊していくさまを目の当たりにして、心が折れたんです。どういうことかというと、自分でCGを作り込んでいくには膨大な労力と時間がかかります。
PC上で内部をユーザーが歩いて鑑賞できるバーチャル美術館
たとえば、上記の作品は中学生の頃に自作したコンテンツで、完成までに二年半の歳月を費やしました。ツインタワーが崩れる映像を見たとき、「俺はこれを超えるスペクタクルを作れない」と直感的に思ったのです。このときの衝撃が一つの転換点になっています。
大学院ではCGの延長線上にはあるけれど、違うものを研究しようと、「AR=拡張現実」の領域を選びました。結局、7年かけて博士号まで取ったのですが、全然就職先が見つからなかった。仕方がないので、シリコンバレーに行って、ARのシステムを作ってデモしていたら、VCの人たちに「日本に面白い会社があるよ」と紹介されたんです。それが「セカイカメラ」を提供していた頓智ドットという会社でした。日本に帰国してから早速、頓智ドットのオフィスを訪れると、創業者の井口尊仁さんに出会いました。自分が作ったARのシステムを見せると、「じゃあ明日から君来て」と誘われて、頓智ドットにジョインすることになったんです。
セカイカメラの開発を通じて得た経験から、今回の対談の重要なテーマになりそうなポイントが、VRやARを使うユーザーのエンゲージメントの低さです。当時、セカイカメラのユーザーはiPhone版で200万ダウンロードを超えていたのに、実際の継続的なMAU(一ヶ月のアクティブユーザー数)は1万人ほどでした。
角田:サービスがローンチされた直後は面白がられるけど、継続的に使ってくれるユーザーが定着しなかったわけですね。
©︎:井口尊仁
児玉:ARや3Dの表現はユーザーエクスペリエンスとしては面白くても、それだけではサービスやメディアとして成立しないことが分かったんです。セカイカメラも事業のピボットを迫られました。セカイカメラの代名詞ともいえるARのビューは残しつつも、まずユーザーインターフェースの部分は、一般的に浸透しているソーシャルメディアに寄せる。それ以上に大事なのがサービス設計の部分。それまでのセカイカメラは投稿するユーザーにインセンティブがなく、情報発信したいのは行政や不動産業、あるいはレストランに限られていました。そこで、発想を変えて間にキュレーターを入れることにしました。そうすることで、ARのサービスからメディアへの転換を図ったのです。結果として、ピボット後、MAUは100倍に跳ね上がりました。このときの経験が間違いなく、自分の原体験としてあります。
その後、起業してVRやARのコンテンツやインターフェースの開発を中心に二年間事業を作りました。今は縁があって入社した会社で、シリコンバレーを拠点に製品を開発しています。もちろんメタバース、VRやARの体験の魅力は理解しています。それでも、この領域でビジネスをすることの難しさ、バーチャルの世界だけでは完結しない困難さ、その辺りについて今回は角田さんと議論できればと思います。

メタバースを“ハレ”から“ケ”へ移行させるために

ーー角田さんのトピックス「AR・MR?あんなのメタバースじゃねえよ!」の記事に、児玉さんが「やっぱりメタバース/3Dはハレの場、非日常の場だと思うんですね。どうすればそれが日常的に使われる、サステナブルなものになるのか、議論させていただきたいです」とコメントされていました。メタバースについての議論を始めるにあたり、立脚点になり得る核心の部分かと思いました。
児玉:角田さんが従事されていたゲームの領域は映画を凌ぐ巨大産業に成長し、売上だけをみればマーケットとして確立しています。今後メタバースが盛り上がっていくためには、“非日常”を含めたより広い範囲で広がっていく必要がありますよね。それこそ先ほど角田さんが例に挙げられていたバーチャルマーケットも、ハレの場に分類されると思います。今後、メタバースがゲーム以外のエンタメや日常にまで広がっていくための展望についてお話できればと思います。
角田:まずバーチャルマーケットを含めた“ハレ”に分類されるコンテンツの多くが、BtoBtoCの形態をしていることが多く、一定の成功を見せている企業がいくつかあります。メタバース空間での音楽ライブなんかはその一例です。では、これをハレからケへ移して、日常的に使われるためには、何が重要になるのか。やはり冒頭でも触れた、人間関係やコミュニティに根ざしたエンゲージメントが鍵になると考えています。
ゲームの発想でいえば、敵を倒すとか、街を大きくするといった何らかの目的をユーザーは持っています。一方、現在活況を呈しているメタバースのコミュニティは、逆に目的を持たないものが多いように感じています。明確な目的よりも、むしろ人とつながること、コミュニケーションそのものが価値になっている。
不定期のハレから日常のケへの移行とスケールに挑戦した事例はいくつかあるのですが、まだ成功事例はほとんどありません。そうしたチャレンジの死屍累々の上に「これだ!」というものが生まれれば、それ自体がキラーコンテンツになるでしょう。現在のところは、それがカウンセリングなのか、音楽ライブなのか、英語教室なのか、まだ解は見えていませんが。
児玉:この対談の前、そもそもトピックスでメタバースの話を批判的に書いてみようと思うきっかけになった出来事が、私が住んでいるシリコンバレーでありました。こちらに拠点を移してまだ四ヶ月なのですが、仲の良いご家族のお子さんが『ポケモン GO』にハマっているんです。『ポケモン GO』を運営するナイアンティックのCEOであるジョン・ハンケはアンチ・メタバースの立場で知られています。彼は『レディ・プレイヤー1』のようにヘッドマウントディスプレイを用いるVRに否定的で、「あれはディストピアだ」と言い切ってさえいる。少なからず自分も彼の言っていることに共感する部分はあるのですが、『ポケモン GO』に夢中になっているお子さんの姿を見ていると、新しい気づきがあったんです。
異国からやってきた未就学から中学生くらいの子供たちが『ポケモン GO』を通じて友達とつながり、コミュニケーションを取っているさまを目の当たりにすることで、メタバースの真の可能性を感じました。『ポケモン GO』はたしかにゲームではあるけれど、現実世界をまたいだコミュニティも形成している。であるならば、「これはこれでメタバースとして成立しているのではないか?」という問いかけができるのではないか。わざわざヘッドマウントディスプレイを被って、VRの世界に入っていかなければいけないのか。
角田:たしかにそうですね。「入っていかないといけないのか?」と聞かれれば、正直なところ「全然そんなことはない」と思っています。「デバイスを使用した没入型のメタバースは、人類にはまだ早い」といった話もよく耳にしますしね。『ポケモン GO』に限らず、『ロブロックス』や『マインクラフト』で遊んだりコミュニケーションを取っている子供たちを見ていると、いよいよ彼ら彼女らは、この新しい様式にネイティブ化しているように見受けられます。とはいえ、こうしたゲーム自体を一切やらない子供もいる。しばしば、リアルとバーチャルが対比構造で語られがちですが、バーチャルはそもそもリアルに内包されているわけです。現実世界の中でヘッドマウントディスプレイを付けているだけであって、ご飯を食べたり、トイレに行ったりする必要は当然あります。つまり、実際にはリアルとバーチャルは混じり合っていることを認識することが重要です。
もちろん、ハンケが言うように「バーチャルの世界はディストピアであり、現実逃避である」という主張も部分的には正しいでしょう。でもそれを言ったら、スマホだってそうですよね。ラーメン屋に並んでいるとき、暇だったらずっと現実逃避でスマホを見てしまうわけじゃないですか。この辺りはあくまでも現実の拡張性で、もう少しカジュアルに考えても良いのではないでしょうか。今まさにビジネスでメタバースをやっている私くらいの世代は、心から可能性を信じているからこそではあると思うのですが、どうしてもポジショントークに寄りがちです。一方、Z世代やα世代の人たちはよりカジュアルにメタバースを捉えている向きがあるように思います。
たとえば『ZEPETO(ゼペット)』のユーザーは、この世界の中で生活するというより、「盛れた写真が取れた。イェーイ」といったノリで使っていたりするので、この辺りは付き合い方次第でしょう。全体のユーザーの中でヘビーな使い方をしている人ももちろんいるでしょうが、大半はカジュアルに楽しんでいる。それが総体としてコミュニティを形成し、メタバース空間内のモノやコトに価値が付けられていく。そのプロセスは注目に値すると考えています。

大人の側こそメタバースをカジュアルに考えるべき

児玉:やはり世代の話は私もキーになると思います。当初は自分がメタバースに乗り切れないのは、ジェネレーションギャップのせいだと思っていたんです。けれど、自分の過去を思い出してみると、こんな出来事がありました。高校の頃からの友達に日本でOculusのパートナーエンジニアリングスペシャリストをやっていた人がいます。彼なんかは、どうしてもVRの中に住みたがっている。そう考えると、上の世代の方がメタバースというものに対して力が入りすぎているのかもしれない。「VRの中に住むんだ!」と考えているのはむしろ我々の世代の方で、若い人たちはもっとスタンスがカジュアルな気がします。
角田:むしろ反対に「絶対にVRになんか住まないんだ」っていう(笑)。もちろん、有識者をはじめ立場上ゴリ押ししないといけない人たちもいるとは思うのですが、大人の方が構えてしまっているのかもしれません。メタバースという言葉の定義がよく議論の俎上にのぼりますが、めくじら立てずに、もうちょっと広く考えてみてもいいですよね。若い世代はメタバースと自然に接している気がします。
児玉:私の甥っ子もやっぱり『マイクラ』にハマっていて、夏休みの自由研究に「日本の城のことをやりたい」と言うんです。3DCGに詳しいおじさんである自分を頼ってくれていると思うのですが、ゼロから3Dでモデリングをするのは大変です。なので、「『マイクラ』で作ってみたら?」と軽い気持ちで提案してみると、私の見ている前で完全に『マイクラ』を3Dモデリングツールとして使いこなしていたんです。マウスドラッグで一気にモデリングして、1〜2時間ほどで城を完成させていました。それを実際に3Dプリント出力して、夏休みの自由研究としてやり遂げている姿を見て、カルチャーショックを受けましたね。自分の経験からすると、本来3Dモデリングがちゃんとできるまでには三年はかかったので。
角田:本当にビックリしますよね。それでいうと、『フォートナイト』にもクリエイティブモードがあって、モノづくりができたりします。日本でも、小学館やソニーグループが『フォートナイト』のクリエイターに制作を依頼した事例があります。クリエイターの中にはもはやパソコンではなく、『Nintendo Switch』で制作している人すらいるんです。世界のスーパーモデラーの人に『Nintendo Switch』を渡しても、絶対に作れないじゃないですか。ある意味でもう特殊技能ですよね。
先日、たまたまプロマインクラフターのタツナミシュウイチさんとご飯を食べる機会がありました。彼は夏休みに全国13箇所を行脚して、小学生にマインクラフト教室を行う活動をしたりしています。タツナミさんは「大人の側こそ考え方をアップデートしなきゃいけない」とお話していて、とても共感したんです。先ほどの自由研究の話にしても、自発的に作りたいものがある子や、大人顔負けのものを作れる子は必ずいます。それを「ゲームだから駄目」と大人の側が抑えつけるのは良くないですよね。
ゲームだから駄目なのではなく、ゲームだからやれる。場面によっては学校で習う国語や算数よりもゲームが優位に立つ瞬間はあるはずで。大人の側がゲームにかぎらず、メタバースやデジタルに対しての考えをアップデートしなくてはいけない気がしますね。今後メタバースをハレからケへ持っていくため、とりわけ日本の場合はゲームに大きな可能性があると思うので、啓蒙が必要ですね。
児玉:とても共感します。自分は絵は描くことはできなかったですが、コンピュータの補助があればグラフィックを作ることはできた。つまり、コンピュータが自分をクリエイティブにしてくれることが面白かったんです。角田さんがおっしゃる通り、今は『マイクラ』や『フォートナイト』での遊びを通じてクリエイティビティを発揮して、自らの世界観を作っている子供たちがいる。ゲームから派生する可能性は意外にとても大きいと思います。
私が今住んでいるシリコンバレーではメイカーズの精神が根付いていて、教育機関でもメイカーズのツールが採り入れられていたり、スクラッチのようなビジュアルプログラミングも導入されています。反対に日本では、スクラッチはゲームを作れるから禁止というニュースがありました。私なんかは「ゲームを作れるからいいじゃん」と思うので、とても悲しくなりましたね。デジタルの良さは、特殊技能がなくても作曲がなんとなくDTMでできるとか、印刷物が作れるとか、潜在的なクリエイティビティを引き出してくれることにあります。

先行事例としてのe-sports。メタバースが現実に溶け込むために

角田:「VR」と呼ばれていた頃から現在の「メタバース」に至るまで、世界中でどこからキラーコンテンツが生まれるのかが注目されています。「ゲーム」と言う人がいれば「コミュニケーションだ」と言う人もいる。明確な正解はまだなくても、クリエイティブなチャレンジができる土壌は必要でしょう。もしかしたら、その解はα世代から生まれるかもしれないし、経験豊富な上の世代から生み出されるかもしれない。いずれにしても、「ゲームだからできない」と否定するのは得策ではないと思います。
児玉:もはや「これはゲームじゃありません。メタバースだ」と言い切ってしまった方がいいのかもしれませんね(笑)。
角田:結局そこなんですよね。e-sportsも同じような流れを辿ったじゃないですか。当初、世の中の風潮は「スポーツじゃなくてゲームだろ」と冷ややかなものでしたが、今ではだいぶ市民権を得ています。私たち最前線でやっている人たちがメタバースも同様に、推し進めていく必要があるでしょう。地道にコンテンツを出しながら、ナーチャリングして、理解を得ていく。その過程で、参入する人も増え、本質的な施策であったりキラーコンテンツが出てくるのが理想だと思います。
児玉:今の話で大学でARの研究をやっていた頃のことを思い出しました。実は私の研究の元ネタは『ポケモン』と『Final Fantasy VII』なんですよ。この二つのゲームのユーザーインターフェースを活用した研究で博士号を取ったんです。元々、ゲームの持っているリッチな体験をゲームの中に閉じ込めているのはもったいない気がしています。だとすれば、そうした豊かな体験を違う場所に転換していくときのラベリングとして「メタバース」と言うのは有効なのではないか。
角田:たとえば『フォートナイト』をやっている子に「メタバースだね」と話すと、「いやゲームだけどな」といった反応なんですよ(笑)。実はe-sportsも同様で、初めの頃は「それって大人が金儲けするためだけに“e-sports”と言っているだけでしょ」といった反応が少なからずありました。時間をかけてe-sportsが世の中に浸透したことで、今ではそういったリアクションは少なくなっている。メタバースも同じ道を歩めるのではないかと考えています。より垣根のない交流が起きていき、その中から本質が生まれていくような。
児玉:そういうわけで、私もめちゃくちゃゲームが好きなんです。いまだにしょっちゅうやっていますし、本当は仕事なんかしたくない(笑)。ゲームだけして生きていたいわけですよ。でも、そう言っても大人は納得してくれない。もしかしたら「メタバース」と言い換えてしまうことで、本質的にはゲームをやって生きているだけなんだけど、大人を説得できるかもしれない(笑)。
角田:正直それは大きいと思います。ゲーム業界で言うと、スマホゲームが出てきたとき、コンシューマーゲームに比べて「スマホゲームわろた」みたいな空気感がたしかにありました。『FF』も『ポケモン』も『マリオ』もスマホで遊べる現在、そんな風潮は消え去りましたよね。メタバースも時を経れば同じように運んでいくと思います。
ーー最後にそれぞれから、「メタバース」にみている夢や可能性を改めてお聞きできますでしょうか。
児玉:私は「現実はクソゲー」だと思っているんです。ゲームバランスも悪いし、コンティニューやリセットもない。
角田:不平等ですしね。
児玉:そう。初期のレベルや条件も人によって異なる。だから、私が期待するのは人生をクソゲーではなく、ちゃんとした良ゲーにすること。それが自分にとってのメタバース。現実とはまったく違う自分になりたいのであればVRの中に入っていくことだってあるかもしれない。現実を理想的になものするポテンシャルが、広い意味でのメタバースにはあるのではないかと期待しています。
角田:現実の社会システムはどうしても、管理しやすくするために仕組み化せざるを得ない部分が多いこともあって、クソゲーになってしまいがちですよね。一方、メタバースはまだまだフロンティアなので、ボトムアップで自分で仕組み化から始められます。メタバースは新しいコミュニティや関係性を作り出そうとしています。今後、メタバースの空間上でモノやコトに価値がついていけば、その中で生活すらできるようになる。つまり、その中で経済圏ができれば、ご飯を食べれるようになる状態も夢じゃない。メタバースに希望を見出す人たちが生活しやすい状態が作れるよう、私自身も活動していきたいですし、そこに価値を感じています。