【解説】AIの「虚構と現実」を見分ける6つのリテラシー
コメント
注目のコメント
実は我々は1995年前後にインターネットが(民間に)登場したときに、いまのAIに対する議論とほぼ同じことを議論してきています。当時もインターネットの功罪が議論されるとともに極端な楽観論・悲観論がありました。「インターネットによって世界中がつながることで仕事が奪われる」という議論も真面目に繰り広げられていました。
さて、そこから30年が経とうとしています。インターネットは使い方によって善にも悪にもなります。ただ、インターネットに対する漠然とした不安感を未だにお持ちの方がどれだけいらっしゃるでしょうか。
新しい物事や技術に対する理解は十分な醸成の時間が必要であるとともに、自分で使ってみて「なるほど、こんなものか」と思ってみることが肝要だと考えています。全くその通りだなと思う一方、だから世の中はなかなか変わらないんだよなと思います。4「成功話」は過大評価されると指摘している一方、「失敗話」も過大評価されているのが現実。
その意味で、この記事がまさに指摘するように、AIは技術的な問題と社会的(あるいは人間的)な問題があり、後者は「現状を変えたくない」「もし○○があったらどうするんだ」という常に聞く話です。AIを「ハンコ廃止」に置き換えても通じるでしょう。実際3日前に出た学会の発表ではAIを入れている企業でも信頼している、していないがほぼ半々に分かれているという報告がありました。個人的には疑問を持つ姿勢を忘れないようにしながら、でも挑戦は続けていかないといけないのではと思っています。新しいテクノロジーと人間の関係は、そもそも楽観と失望が含まれる性質のものだと思っており、それがタイトルの「虚構と現実」につながる。
小さい頃、ドラえもんやキテレツ大百科とかでワクワクしなかっただろうか?また、企業がイメージ的に作る「未来の姿」にワクワクしなかっただろうか?
進化を推し進めるには、ワクワクする未来が必須だし、未来が示されるとワクワクする。
だから、ちょっとした兆しがあれば、それを加速させるために、デモなどをする。個人的にはそれは人間の一種本能的なモノだとも思っている。希望をもって、人間はこれまで技術を進化させてきた。
一方で、希望が提示されることで、人間の思考はそこに注目しすぎる傾向もある。そして注目した後に実現されないと、以前よりはるかに進んでいても、失望が記憶に残る。
このサイクルは、Gartnerが示したハイプサイクルそのもの。
https://www.gartner.co.jp/ja/research/methodologies/gartner-hype-cycle
個人的にはテクノロジーが出てきたときに、こういう視点でそもそも捉えている。ワクワクはするし楽観もするが、短期で全部実現されないと思っている。これはバイアスもあるので、失敗することもあるが、でも経験則的には概ね当たる。
でも注目が進化を加速させるから、人間がそのテクノロジーとの適切な付き合い方、例えばどこでは使い、どこでは使わないといったことを学んでいくと、社会実装されることが多い。そこらへんを見極めようとして、色々見ている。
特に記事にあるような自動運転のような、人命が関わったり失敗が許されないシリアス領域については、価値観含めて賛否両論が広がるから、時間がかかると思ってそもそも見る。
あとは、物理原則・経済原則は重視する。例えば空飛ぶクルマ(eVTOL)は一貫して否定的なのだが、それは重い電池をずっと持ち上げ続けることが、物理原則的にそもそもエネルギー効率が悪いから。トラックのEV化も同様で、物理原則としても重いものを運び続けること、そしてトラックという資本財において充電時間がかかることは稼働を下げるので充電時間を極めて短くしながら電池が劣化しないようなよほどのイノベーションが出ない限りは厳しいと思っている。