「若者の渋谷離れ」の必然を渋谷137年の歴史から読み解く、今の若者はどこに集う?
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これからの渋谷の価値は、大規模再開発をベースにした丸の内や西新宿化(すべての区画が大規模再開発のきれいな街)ではなく、むしろ小規模で地形や歴史に翻弄された建築群がある程度無秩序に立ち並ぶ状況そのものを楽しむ、バナキュラリズムのリアル空間というところにあると思うので、あるレベルを超えたスラムクリアランス的な開発は、長期的に街の体力を削ぐ方向に行くのではないかと思います。
短期的に何か投資と増床効果を回し続けないと成績が上げ続けられない現在のデベロッパーという業態そのものが、街のレジリエンス(この場合は免疫力的な)を殺す作用を持ち始める転換点にあるということをもっとリアルにデベロッパー側が考え始めないと(ひたすら筋肉量を増やすことが健康増進であるような一面的な評価だけでトレーニングを続けるようなことを続けていると)、長期的な都市の健康はむしろ損なわれていきます。まだ都市の身体性の理解とその健康指標の解像度が、実態に対して圧倒的に低すぎるんです。そして都市の場合、人間などの生物と違って、その重要な器官のかなり多くの部分は、その身体の外にあるという事実も、今の評価軸には乗ってきません。
多様な臓器や循環系統が、物理世界だけでなくネットワークベースになり始めている今、この矛盾は急速に無視できないものになり始めています。
東急という企業は、20世紀の新しい拡張的地域(都市と郊外を接続してマルチレイヤに循環器を埋め込む高次社会システム)を開発するという、世界的に見ても珍しい複合度で、新しい社会モデルを実装運営してきた稀有な企業ですが、今必要なのはその焼き直しではなく、21世紀型の新しい都市(この場合の都市は、郊外や地方、田舎まで全部を含むのでこれまでの都市という言葉との定義変換が不可欠)の身体学です。ここには当然、バーチャル・デジタルな世界や循環機能やその身体性も不可避的に含まれます。
もちろん、20世紀型の広域な複合的身体性を既に持っているという点で、東急には相応のアドバンテージがあるわけですが、今後の選択肢は、少なくとも単純に渋谷というエリア単体をビジネス街化するか否かという話ではありません。系全体の機能分化とこれまでにない再配置が進む中で、「都市」ならでは、「渋谷」ならではの特性とバランスを広域に考えることが重要です。盛り場の歴史を俯瞰するときに参考になるのが社会学者の吉見俊哉氏による『都市のドラマツルギー』。1920年代の浅草⇒銀座、1970年代の新宿⇒渋谷へと盛り場の重心が変化した背景となる社会構造をうまく読み解いています。
「東京は中心が空虚である」と喝破したロラン・バルトではないですが、東京という街は世界的に見てもユニークな多元的構造を持っていて、何かと何かの「境目」にエネルギーが生まれる場所だ、というのが持論。渋谷も原宿も銀座も秋葉原も上野も六本木も新橋もある東京という街の豊かさたるや。
そういう意味でいうと、渋谷は一つの核でしかない。渋谷も成熟してきましたけど、渋谷の次が生まれるというよりは、メタバースの勃興の中でいち早くリアルとオンラインの境目をとらえる街が新たな潮流をつくっていくんじゃないかと思います。
メタバースだけで、未知なる新しいものに遭遇したいという刺激を求める10-20代の欲求が満たされるとは思いませんが、マルチバース的な観点で見ていく時代になるのかも、と妄想。とても面白いですね
パルコにしても、109にしても若者ではなく一貫して「大人」を狙ってきたとのこと
ただ、一番知りたいギャルなどがセンター街に集まるようになった理由は特に書かれておらず。109は大人路線に行き詰まりターゲットを変えたようですが、109の理由だけではないはず
DCブランドの発信、ギャル文化、ストリートカルチャー、ネットベンチャーなどこれだけ様々な文化を発信してきた街はないですね
ただ、百貨店の衰退にも同じことが言えますがインターネットの普及により「流行などの情報発信」をリアルな場所が担うというのは退潮していく、ということなんでしょう