【核心】「はじめてのおつかい」の世界ヒット、本当の理由
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海外とやりとりしてると、未だ対外的にも開かれていない神秘の国日本というブランドに憧れる人は強いです。この情報鎖国はネットが普及して20年以上経っても存在します。それは過去のコンテンツを含めグローバル化が乏しいからです。
長らく、海外に発信したい意欲をもった人への課題は、発信するためにコンテンツをオープン化する作業と配信の基盤をほぼ1からテイラーメイドで作る必要があるということでした。その途方もない作業量で発信したい人のモチベを挫くと言う現象が良く発生してました。
ここでも日本のお家芸である情報オープンにしてまっせ風にみせてかけて、実はその情報にアクセスするまで途方もない労力を割かせて権益を守るという、砂漠にある蜃気楼オアシス戦略 (水飲めるよと見せかけてにひたすら歩かせて時間切れにする) をしていたわけです。
しかし、初めてのお使いや風雲たけし城のリメイクに見られるように、私たちから見れば古いコンテンツでも、まだまだアセットの再利用性はかなり高いです。人口が減る中で、今までの資産をオープン化するだけでも貴重な財源になるでしょう。
神秘の国日本の価値はまだまだ高いです。
> もはや、SNS時代の日本のポップカルチャーは、新しいかどうかが重要なのではない。「Old Enough!」もNetflixで公開されたシーズンは2013年のものだが、それでもなお2020年代の人々にとってはすべてが新しいのだ。
> 逆に日本のエンターテインメントで問題なのは、質ではなく、流通にある。
> 今に限らず、昔から人々は日本のコンテンツを求めていた、にもかかわらず、そこにアクセスするのがとにかく困難だったのだ。
注目のコメント
これは別の特集の韓国と比較するとよさそう。韓国が世界で売れるものから逆算して作品を作るのに対し、日本は市場がそれなりにあることもありガラパゴス的に作る。ただ、実はそのガラパゴス的なところが世界から見ると面白いという逆説。少しずつ変わってきてはいるのでしょうが、こうした強みを生かすためにも日本のエンタメ界も世界的なマーケティングができる人材が必要であることを示しているように感じました。
シンガポールのINSEADにいる韓国人の先生が「ほとんどの国の料理は韓国に来ると韓国化されてしまうが、日本食だけは残っている」と言っていたことを思い出しました。はじめてのおつかいは日本にいたころに大好きだった番組の一つであったため、ネットフリックスで見れると聞いた途端にすぐさま開き、課題なんかをそっちのけにして3日くらいで全てのエピソードを見てしまいました。
そして、これは既にTwitterなどでも意見に上がっている内容ではありますが、やはり日本の2歳や3歳の子供が一人で歩いても何も問題もなく(途中で転んでしまったり、頼まれたおつかいの商品を忘れて帰ってくることはありますが)家を出て、戻ってくるという日本人からしたら普通のことに対しての驚きもかなりあるようで、最初にアメリカ人のルームメイトに見せたときは、カメラに写っていないだけで後ろに家族なんかがいるのだと勘違いしていたようで、「よく家族がいる後ろを振り向かずに行けるね」と言われ、「いや、家族はついてきていないよ」と言うともの凄く驚いていました。
治安以外にもそもそもの都市構造の点などから語られたネット上の記事なんかもありますが、子供が一人で家を出て、何事もなかったかのように帰ってこれる、というその環境こそが本当に特異なのだな、と感じました。