2022/2/9

【独白】「天才じゃない」と気づいた僕が自分を立て直すまで

NewsPicks 編集部 記者・編集者
「昼ごろから働くことが多いんです。今日もついさっき起きました」
その男性は、Zoomの画面に現れるなり、早口気味にそう言った。
「借金玉」という風変わりなペンネームで作家活動をしている。現在36歳。
注意欠如・多動症(ADHD)の当事者として、生活の中で編み出したライフハックをまとめた著作が2冊ある。累計発行部数は19万部に達するそうだ。
借金玉さんのライフハックは、通勤バッグの選び方から収納、人付き合い、料理に至るまで、やる気が起きない時でもなんとかして乗り切るための工夫が満載だ。
それは自分をとことん知り、苦手を受け入れ、知恵を絞って積み上げてきた生きるための術でもある。
借金玉さんは、発達障害とどう向き合ってきたのか。
その話には、自分を受け入れること、不得意の原因を探ること、対策を立てること、そして周囲の人と一緒に働いていくこと。あらゆるヒントが詰まっていた。

「自分」を受け入れるまで

──借金玉さんが最初にADHDの診断を受けたのは、大学時代だそうですね。
借金玉 今から15年以上前ですね。当時は発達障害だろうと診断されたものの、特にできることはないと言われたんです。
発達障害の概念が知られ始めてきた頃ではありましたが、「コンサータ」(日本で初めて認可されたADHD治療薬。成人のADHD治療に保険適用されたのは2013年)もまだない時代でした。
たしかに、ADHDの特徴について書かれたものを読むと、注意欠如とか、思い当たる部分はありました。
でも、一般的な説明で書いてあるのは最大公約数であって、発達障害は一人一人、特徴の発現の仕方が大きく違うものなんですね。しかも、その具体的問題は社会との関係の中から表れてくるもので、個別性が非常に大きいんです。
だから、発達障害だと受け入れることは、「自分を知る」という自己認識の最初のフェーズに立ったにすぎなかったんですよね。
さらに、僕は早稲田大学の出身なのですが、バリアフリーの利いた校風だったゆえに、大学時代は自分の「できないこと」があまり問題にならず、そのまま卒業してしまいました。
──就職活動の自己分析は、自分を知る手がかりにはならなかった?
自己分析っていうのは「企業が求めている自己を作れるか」という就職活動における一種のハードルで、要は企業をだませばいいんだなと解釈してしまったんです。