「また多様性か」と感じるのはあなただけじゃない——同僚8人で想いを共有してみた
コメント
選択しているユーザー
若い人たちって昭和時代以上に「気づかい」して「口に出さない」んですね。多様性の前に、そこのところにびっくりしました。忖度という言葉が流行ったのは、古い日本を象徴するだけではなく、今の日本も表しているからだったんだと。
注目のコメント
部下に察する能力を求めるって、今の時代にはかなり高度な技術ではないかな。そんな能力よりも他に仕事をした方が生産性高い。上司になった人は自分の仕事のツボ、いらつきポイントなど、早急に自己開示した方が良い。ある映像メディアで編集会議がリモートになって、逆にフラットに意見が言えるようになった。前は〇〇さんがくんだ足を小刻みにゆらし始めたらダメみたいなことで決めていたそうです。
記事に出てくる若い人たちが言ってるのって要するに「周囲の人間とうまくやっていくための処世術」であって、その中で「人間はそれぞれ違うんだから、それを認め合おう」というのが「多様性」。きわめて表面的な理解だと思います。
多様性というのは、今の世界で人間集団が生き延びるための必然です。日本の大学を出た日本人の男性正社員しかいない企業と、性別も国籍も文化的背景も様々な人たちを唯一「能力」によって選別し採用する企業と、どちらが「強い」のかはGAFAを見れば分かるでしょ。
追記:RPGを考えれば分かりやすいかも。メンバー全員が「ドワーフの戦士」だったり「エルフの魔法使い」だったりするパーティーと種族や職種がさまざまなメンバーで構成されたパーティーと、どちらが生き延びる可能性が高いか?
そのパーティー内では「多様性を認めよう」は常識以前。個々のメンバーの多様な個性をより成長させることこそが、パーティーの「戦力」を高めるわけです。この議論とは直接関係ありませんが、多様性について思うことを書きます。
アメリカのような国と。日本のような国は「多様性」を認める意味、目的が全く違うと思います。
アメリカのような国は、多民族国家で地域別の国民性もまちまちで、元々が「多様性の高い国」です
その多様性を認め、互いに受け入れることで、国民の一体感を持たせようと考えます。
日本は元々が「多様性の低い国」です。その中で一人一人の多様性を高めることで、個々人の個性を伸ばそうと考えます。
一言で「多様性が大事」と言っても、全く逆のような気がします。