2021/5/20

【牧浦土雅✕井出留美】日本にはない本物の「ゼロイチ」のすすめ

NewsPicks Brand Design editor
JICA海外協力隊をはじめとする国際協力活動に携わった人からは、「自分が世界を変えた話」ではなく、その経験によって「自分が変わった話」を聞くことが多い。
国際協力活動には終わりがなく、明確なゴールが訪れることも少ない。しかし、日本でビジネスをしていると得難い「世界を昨日より少し良くする」手触りが得られる。その確かな感覚によって自分が変わり、起業やNPO活動など、新たな行動へとつながっていくのだ。
では実際、国際協力活動で得られる経験とはどのようなものなのか。JICA海外協力隊として活動し、現在は食品ロス問題に取り組む井出留美氏と、高校時代から国際協力活動に携わり、アフリカで起業した牧浦土雅氏が意見を交わす。

一瞬で終わる「支援」より、一生稼げる「仕組み」を

牧浦 私は2018年からガーナに移住し、貧困層が集中するサブサハラアフリカで、小規模農家6億人の所得向上に特化した農業関連ビジネスに取り組んでいます。おそらく世界で唯一のとうもろこしのサブスクリプションです。
サブサハラにおけるとうもろこしの生産性は世界平均の3分の1、穀物大国であるアメリカ、ブラジル、オーストラリアと比べると4分の1と、非常に低い。
そこで、種子や肥料、栽培ノウハウなどをパッケージとして農家に提供し、現金ではなく、収穫したとうもろこしで返済してもらうのです。それをしっかり品質管理、貯蔵して、バイヤーに販売するというのがメインの仕事です。
井出さんも私と同じで「食」に関する仕事をされていますね。
井出 食は私の人生のテーマなんです。2011年に立ち上げた「office 3.11」は、食品ロスをなくすための活動をしています。
大学卒業後、最初に勤めたのは大手日用品メーカーでした。研究職として働いていたのですが、たまたま介護ボランティアをしたとき、肉体的には大変だけど、仕事ではなかなか得られない「自分が役に立っている実感」がありました。
また、幼い頃から食べ物に興味があり、東南アジアにも関心があったことから、すべてを同時に体験できるJICA海外協力隊に興味を持ち、1994年から「食品加工」の隊員としてフィリピンで活動しました。
牧浦 協力隊に参加する際、勤めていた会社はどうされたんですか。
井出 辞めました。一部上場企業の研究職という、傍から見たら安定した仕事でしたが、先の不安よりも参加してみたいという思いが勝りましたね。
私が行ったのはフィリピンのルソン島のちょうど真ん中、タルラックという街でした。当時フィリピンには60名ほどの隊員がいて、電気もガスも水道もないようなところで活動する人もいたので、タルラックはまだ都会だったと思います。
牧浦 現地ではどのような活動をされたんですか。
井出 一般の人や低体重児童に対する栄養改善、現地のNGOと一緒に女性に対する職業支援などを行いました。モロヘイヤは栄養価が高く安価だったので、手に職のない女性にモロヘイヤでキャンディやビスケットを作る方法を教え、それを街で売るプロジェクトを立ち上げたんです。
物やお金をあげても、その一瞬で終わりです。技術を提供して、自分たちで稼ぎを得られる仕組みを作ることが大切だと学びました。
牧浦 現地の人たちが継続的に稼げる、自活のための仕組みを提供しなきゃいけないというのは、まったく同感です。ガーナで現金ではなく、とうもろこしで支払ってもらうのもその一環なんです。
写真提供:牧浦土雅
現金で支払うには、彼らが地元のマーケットで売るしかない。収穫期の1月は安いので、シーズンが終わる5月くらいまで寝かせて高く売ろうとする。ところが、管理が不適切でカビてしまい、売り物にならないことも多い。
それが現地の「あるある」だったので、収穫後、代金として私たちがすぐに集めることで解決しました。農村部で大規模に作物を買い付け、都市部に輸送することで、都市部の食糧不足を解消し、農家やトラックドライバーに安定的に収入をもたらすことも行っています。
すべては「稼げる仕組み」作りです。

「モロヘイヤ」を見つけるまでに、1年

牧浦 JICA海外協力隊の任期は2年と短いですが、活動はスムーズに進みましたか。
井出 正直、最初のうちは「自分は何しに来たんだろう」と感じました。というのも、知り合いもいない、活動内容も決まっていない、まったくのゼロからのスタートで。できることも、女子大生や近所の主婦に照り焼きチキンの作り方を教えるくらいでした。
協力隊には、前任者の仕事内容を引き継ぐタイプと、まったく新しいところでゼロからはじめるタイプがあり、私は後者だったんです。
駒ヶ根の協力隊訓練所(派遣前訓練時)で、同じ班の同期隊員たちと。写真提供:井出留美
牧浦 私の友人も協力隊としてルワンダで活動したんですが、ホテルを造ることになったものの、建設がはじまった時点で残りの任期は2ヶ月。彼は中途半端では投げ出せないと、一旦日本に戻ったのち、活動を延長して、再びルワンダへ渡りました。
あとから振り返ったとき、「実はアイデアの種は身近にあった」と気づくこともあるでしょうが、乗り込んですぐに、となるとなかなか難しいでしょうね。
井出 そうですね。悩みながらも生活するうちに、徐々に人間関係が広がり、受け入れ先の大学を通じて地元NGOともつながり、それでやっと毎週村に出かけて活動できるようになりました。
私の場合、現地にモロヘイヤという栄養価が高く、安価な野菜があることに気づくのに1年ほどかかりました。でも、その間に彼らの食生活を知ることができたので、無駄な時間ではなかったのかな、と。
任期中、フィリピンの村で手に職のない女性たちに料理を教える井出さん。写真提供:井出留美
フィリピンの人はもともとあまり野菜を食べず、モロヘイヤのようなネバネバしたものを嫌う人が多いんです。ランチも、フライドチキンとご飯とコーラの組み合わせが定番でした。
そのままではモロヘイヤを食べてもらえないことがわかっていたので、みんなが好きな揚げ春巻きに刻んで入れたり、スープのとろみ付けに使ったり、乾燥させて粉にしてお菓子にしたりと、いろいろな加工方法を考えることにつながりました。
牧浦 国際協力って、パッと行って、すぐに「これをやりましょう」とはじめられるわけではないんですよね。現地の人との関係がなければ、そのコミュニティに何が必要かも、自分に何ができるかもわからない。自分自身のことを振り返ってもそうですが、ここには時間がかかりますよ。

一日1ドルの収入を3倍にすることのインパクト

牧浦 帰国後はどうされたんですか。
井出 やはり食に携わりたいという思いから、外資系大手食品メーカーに入社し、14年勤めました。そのうち10年は全社で一人しかいない広報として活動し、栄養業務・お客様対応・社会貢献担当など、本当にいろいろなことをやりました。
宣伝会議の「広報担当者養成講座」唯一の女性講師として(2010年)、講座を任されたこともあります。現在は「食品ロス問題ジャーナリスト」として活動していますが、はじめたときはそんな仕事はありませんでした。
どれも、JICA海外協力隊での「ゼロから作る」という経験なしにはできなかったことだと思います。
牧浦 国際協力活動が大変なのは間違いないけど、やりがいがあって、そこから得られるものも大きいです。それに、価値観もだいぶ変わりますよね。
低体重児童の栄養改善のために通っていた村で活動する井出さん。写真提供:井出留美
井出 そうですね。物をたくさん持ってることが幸せじゃないんだなと気付かされたし、その後の仕事や人付き合いに生きている経験も多いです。
たとえば協力隊としてフィリピンに行く前に、「現地の人と同じ目線で」と言われました。所得の低い国に対して、「こっちが助けてあげてるんだ」という態度ではいけない、ということですね。でも、現地では実際に、フィリピンの人たちに助けられることのほうが多かった。
銃を持ち歩く人が普通にいる国なので、高そうな服を着て強盗に狙われたらいけないと思って、わざと同じTシャツとジーパンで過ごしていたんです。
そうしたら、受け入れ先の大学の先生が、自宅に招いてくれて、「Rumiはあまり服を持っていないようだから、どれでも好きなのを持っていきなさい」とたくさん服を持ってきてくれて(笑)。
牧浦 気の毒に思われたんですね(笑)。そんな経験をしたら、「助けてあげる」なんて感覚、持ちようがないですよ。
井出 現地でいろいろな立場の人たちを巻き込んで課題解決に取り組むうちに、人だけでなく、組織もフラットに見るようになりました。共通の目的意識をもとに、フラットに協力することが、課題解決の唯一の方法だと痛感させられたからです。
省庁にも、企業にも、NPOや大学にも、男でも女でも、熱意のある人はいるし、ない人もいる。それがわかったので、「〇〇はだめだ」とか、「これだから〇〇は」という固定観念はなるべく持たないようにして、どっちが上か下かなんて考えず、必要だと思う選択をしています。
牧浦 すごくよくわかります。うちのCOOはフィリピン人で女性です。
それを聞くと「人件費が抑えられていいね」と言う人がいるんですが、とんでもないですよ(苦笑)。フィリピンにも優秀な大学を出て、外資系コンサルで働いている人だって山ほどいる。固定観念にとらわれたままの人は、世界から置いてけぼりを食らうでしょうね。
写真提供:牧浦土雅
私はアフリカで過ごして、友人との些細ないさかいとか、芸能ニュースとか、「スタートアップの◯◯がイケてる」みたいな話とか、今まで自分が気にしていたこと、住んでいた世界がすごく小さく感じて、どうでもよくなりました。
ガーナの小規模農家の所得は一日約1ドル、多くて2〜3ドル。私たちが生産性を上げることで、その所得が2〜3倍になるんです。
これは先進国で収入が2〜3倍になる以上のインパクトで、とにかくドラスティックに生活が変わる。毎日のように「おまえたちのおかげで新しい家が建てられた。今度招待するよ」とか「初めて子どもを中学まで出すことができた」と声をかけられます。
誰かの世界を変えた手触りは、日本ではなかなか得難い感覚ですね。

世界を変えるための活動が自分を変える

井出 こうやってお話していくと、国際協力活動は、好奇心があって、多くの人がネガティブに見るものをポジティブに転換できる人に向いているのかもしれませんね。
私は些細な失敗やトラブルを手書きで新聞のようにまとめてコピーして、同期の協力隊や日本の関係者に送っていました。
「フィリピンではコーヒーに砂糖をたくさん入れて飲みます。私はブラックで飲んで笑われました」とか「頼んだ料理がいつまでも出てきませんでした」とか(笑)。
井出さんがフィリピンで自作していた「パル通信」。厳しい環境を楽しんでいる様子が見て取れる。
牧浦 開発途上国での活動は、自分にとっての「はじめて」に挑戦する機会がたくさんあります。たとえば、外資系の銀行マンがカンボジアの僻地で英語を教えたら、すごく喜ばれるでしょう。でも、きれいな水を手に入れるのが一苦労の場所で、英語を教えるだけでは十分じゃない。
「じゃあ井戸を掘ろう」となると、誰がお金を出すのか、壊れたときはどうするのか、その村は潤うけど、隣の村と喧嘩になるんじゃないか、いろいろ考えなきゃいけなくなるし、失敗もする。
でも、私はそれこそがやりがいだと感じます。日本では、自分の仕事がどれだけ社会にインパクトを与えているかわからない人がほとんどでしょうが、現地では、その場でインパクトが見えるケースが多いからです。
写真提供:牧浦土雅
井出 以前、日用品メーカーで働いていたとき、皮膚老化の過程を知る目的で、目尻のシワの研究をしていたんです。20〜30代ではほとんどの人が同じような状態なのに、40代以降、適切にケアしていたかどうかで個人差が一気に表れました。
国際協力は時間がかかるものでもありますが、肌と同じで大きな変化が出るまでに「見えない変化」がジワジワ起きているんじゃないでしょうか。積み重ねがいずれ大きな差を生むことを、身をもって感じられるのも国際協力に参加するメリットだと思います。
牧浦 これまで開発途上国とまったく接点がなかった人ほど、協力隊を経験すると、人生観含めてガラッと変わると思います。
パソコンの前だけで仕事してきた人や、数字だけ動かしていれば世界は変わると考えていたようなエリート、それこそ好奇心旺盛なNewsPicksの読者には、ぜひJICA海外協力隊に飛び込んでみてほしいですね。