2021/3/8

【楠木建×須永尚】“不動産の移動化”で生まれる新たな体験価値とは

NewsPicks, Inc. Brand Design Senior Editor
ライフスタイルやワークスタイルの多様化が加速した2020年。今後ますます時間や場所の概念がボーダーレス化することが予想される中、三井不動産は、ヒト・モノ・サービスの「移動」に特化したモビリティ領域に進出し、不動産の枠を超えた価値創造にチャレンジしている。
 今回は、一橋大学大学院で企業の競争戦略を研究する楠木建教授と、プロジェクトのキーパーソンである三井不動産ビジネスイノベーション推進部長の須永尚氏の対談を通じて、「不動産の移動化」がもたらすものを浮き彫りにする。
 MaaSや移動商業によるメリット、「テクノロジー×不動産」によるイノベーションの可能性とは? 若手人材を登用し、チャレンジングなプロジェクトを展開する背景にも迫った。
INDEX
  • モビリティで住居と目的地を双方向につないでいく
  • 住まいのあらゆる生活基盤から体験価値を生み出せる
  • 三井不動産のアセットが戦略ストーリーの主役となる

モビリティで住居と目的地を双方向につないでいく

──コロナ禍の影響で「移動」が制限されている昨今、モビリティを取り巻く状況も変化しています。
楠木 経済社会では、人間は基本的に「ゲンキンな生き物」なものです。なんだかんだ言って自己利益を基準に行動する。分母は「投入」、分子は「成果」であり、この分数の値を大きくしようとする。言いかえれば「生産性」ですね。
専攻は競争戦略。企業が持続的な競争優位を構築する論理について研究している。著書にNewsPicksで人気の企画「楠木建のキャリア相談」をまとめた『好きなようにしてください──たった一つの「仕事」の原則』(ダイヤモンド社)、『逆・タイムマシン経営論』(日経BP)、『経営センスの論理』(新潮社)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(東洋経済新報社)など。
 基本的に人間とは、なるべく最小限の投入で最大限の成果を得たいものであり、これはいつの時代も変わらない人間の本性だと思います。最近取りざたされているテレワークにしても、面倒な通勤は避けたいと思うのはもとからある人間の本性です。
 それがコロナ騒動で前面に出てきただけ。分母が小さくなるのだから、それ自体はイイに決まっている。
 ただし、「会社に行くのが面倒だから、すべてテレワークでやろう」となると、今度は仕事の性質によっては分子である成果が小さくなっていく。オンラインとオフラインのバランスについて、個々の企業における判断が必要になってくる。
 テレワークは定着するにしても、コロナ収束後はコロナのピークの7掛けくらいとなる気がしています。
──三井不動産の「不動産×モビリティ構想」のプロジェクトは、コロナ禍よりも前に始動しています。そもそもどんな課題意識があったんでしょうか?
須永 モビリティ革命が推進され、移動・交通における技術革新は進み、サービスも変化しています。
 日本は世界でも優れた広域の鉄道網を有しており、大変便利なわけですが、その先のもう少し狭いエリア、人々の生活圏内・街の中のネットワークを加えることで、色々な形で不動産の価値創造に取り組んでいけるのではないかと考えました。
三井不動産株式会社 ビジネスイノベーション推進部長。1992年三井不動産株式会社入社。企画部門、新規事業開発部門、商業施設部門を経て現職に。2020年、MaaS、移動商業のプロジェクトにおける実証実験を展開し、不動産の新たな価値創造に取り組む。
楠木 昔からやたらと「駅から徒歩何分」という売り文句がまず出てきますね。
須永 まさにそれなのです。「なぜ“駅から徒歩何分”が重要なのか」と言えば、当たり前ですが、移動のネットワークとして主に鉄道を利用するからですよね。そもそも不動産ビジネスでは、「移動に便利な場所」に「価値ある建物」を置くことが基本でした。
 しかし、移動手段そのものがよりフレキシブルになれば、従来以上に場所にとらわれない選択ができるようになります。
 駅の近くが便利であることは変わりませんが、通勤や買い物に不便な地域でも、「居住スペースをゆったり取れる」「周辺環境が良い」などのメリットがありますから。
 また、従来、仕事や買い物・レジャーといった人の行動は、「自宅から目的地に移動してから行われるもの」でしたが、シェアオフィスの発達やテレワークの普及、企業による定期券支給の廃止などの流れの中、目的地のバリエーションは増え、多様化を続けています。
 そこで、MaaSによって住まいと目的地をつなぐさまざまな移動手段、特に狭いエリアで小回りの利く交通サービスを提供することで、通勤、食事や買い物などのアクティビティに対する自由度を高めることを目指しました。
 さらに、ショップそのものが近所にやってくる移動商業店舗によって、「移動を伴わない消費行動」も実現可能になる、と。
 これまで不動産業界は、固定資産という「点」の部分にアセットを置いていましたが、住居や目的地を双方向につないでネットワークしていくことで、不動産はあたかも「動産」のような新たな価値を生み出せるのではないかと考えています。
楠木 戦略構想では、「物事の起きる順番」についての理解が大切だと思っています。
 MaaSが普及するためには、多くの人がバンバン使わないと始まらないわけですし、これがあってはじめてデータが集まる。そのデータをうまく活用できれば、ますます良いサービスにつながる。
 好循環を起こすためには、その基点にある「ユーザーがなぜそれを使いたくなるか」、ここを突き詰めることが重要です。
 私は、テクノロジーや新しいサービスというものは「切実な需要」によってドライブされるものだと考えています。
 例えば、近隣の店まで数十キロも離れているエリアでは、「宅配にドローンを使おう」となるかもしれない。日本の都市部のように街そのものが密で、50メートル先にコンビニがあるなら必要ないわけです。
 ウーバーのサービスも革新的だと言われますが、東京のように流しのタクシーがたくさんいる都市部なら固有の価値はそれほどでもない。テクノロジーはグローバルでも、需要はローカルなものです。ロケーション次第でずいぶん異なってきます。
須永 確かに、切実な需要を起点にすることは重要ですね。エリアの特性や利用者をしっかりと見極めながら取り組みたいと考えています。

住まいのあらゆる生活基盤から体験価値を生み出せる

──三井不動産は、千葉県・柏の葉スマートシティ、豊洲、日本橋という3つの異なる特色を持つ地域でMaaSの実証実験をスタートされています。
須永 マンションの住民に向け、「複数交通機関のサブスクリプションサービス」を提供する実証実験を行っています。
 端的に言えば、一定の月額料金を払うことで、バス、タクシー、カーシェア、シェアサイクルを利用できる仕組みです。スマホのアプリで一元管理し、予約や手配などもすべてそこから行うことができる。
 これによって、自宅やオフィスを起点とする人々の移動をアシストしていこうと考えました。技術面では、世界初の本格的なMaaSプラットフォーム「Whim(ウィム)」を展開するMaaS Global社と提携しています。
楠木 すでにそれぞれの移動手段が存在している中、このサービスを使う意義は何でしょうか。
須永 それぞれのアセット単位で、サービスを最適化していくことができると考えています。
 例えばカーシェアなら、どんなタイプの車種を何台用意すべきかなど、そこに住まう人のライフスタイルによって異なりますし、料金プランなどもアセットごとに最適化できるのではないかという仮説を立てています。
 そのためには、「地域やエリアのユーザー特性を深く理解すること」が基点になると考えています。地下鉄のネットワークの中にある日本橋と、郊外の柏の葉では、移動先となる目的地も所要時間も違います。
 また、移動した先で何をしたいのか、どんな移動手段を求めているのかなどの観点でニーズを分析しています。便利になれば移動が増えて、より最適な場所を選ぶ行動につながります。そういう動きに注目しています。
 現在の利用者数については、コロナ前の時点で設定した目標値には届いていませんが、この状況下でも十分な手応えがあり、サービスの有償化に可能性を感じています。
楠木 お話を伺っていると、ポイントは「未利用資源の有効活用」というロジックにあると思いました。
 マンションには、まだ利用していない形で持っている資源、つまり、未利用資源がかなり多い。
 住まい以外の付帯施設がある上に、コミュニティも形成されています。住民という多様なユーザーの目線でそれらを有効活用することで、ビジネスの大原則である「追加コストをなるべく掛けずに売上を大きくすること」が可能です。
 それに、多くの住民が暮らすマンションの場合、予約を取れば先行して需要を獲得できます。単価や売上を上げるという点でもプラスでしょうね。
須永 移動商業店舗のプロジェクトも始まっています。これまで目的地とされていた「買い物する場所」をそのまま車に搭載し、マンションやオフィスなどの足元に運ぶことで、リアルの買い物体験を提供しています。
 日本橋・豊洲・晴海・板橋・千葉など、都内近郊の5つのエリアでトライアルイベントを実施し、飲食・物販・サービス領域の10業種11店舗が出店しています。
(写真提供:三井不動産)
 出店をお願いした店舗は、目標予算の達成においても結果が出ています。特に、包丁研ぎや靴の修理、オーダーパンプスなど、サービス系の業種に反響が大きく、商業施設やネットだけでは完結できない体験に価値を感じることも見えてきました。
 第一段階の実証実験としては十分な手応えです。
楠木 不動産会社として、独自の強みがあるわけですね。
 住まいを売るだけでなく、そこに暮らすユーザーと頻繁な接点を持ち、全体を動かせる管理組合もある。オフィスビルや商業施設も手がけていて、それらを連携させることもできるし、実験できる場もある。他の事業者がやろうと思ってもなかなかできないことです。
須永 暮らす街の中や、MaaSでつながった近隣のエリアに「こういうもの、今までなかったよね」と思えるモノやサービスを届けていければと。究極的には、「こういう暮らしって、いいよね」という、これまでにない日々の体験価値を生み出していきたい。
 不動産そのものをハードとするなら、不動産を通じた顧客体験、いわゆるCX(カスタマーエクスぺリエンス)がソフトに当たる。そこをどうしていくかが課題ですよね。
楠木 デジタルを主体とし、「買い物はeコマース、料理レシピはYouTube動画で」という人も増えていますが、リアルが必要とされるタッチポイントは必ずあります。
 例えば、マンションの共用部分でアパレルのポップアップストアを展開することもできますし、住民間で共同購買を募り、人数に合わせて特典をつけることもできます。
 実物を手に取って体感できることはもちろん、ユーザー同士のコミュニケーションもあり、口コミも広まりやすく、告知もしやすい。ネットとの補完でユーザーとの接点を求めている事業者も集まりやすくなります。
 また、すべての決済をひとつのアプリにまとめてしまうこともできます。スマートフォン時代以降のアプリビジネスにおける最大の問題点は、ダウンロードして使わせるまでの宣伝コストが掛かり過ぎることです。
 しかし、自分が暮らすマンションで使えるさまざまな機能を集約したアプリなら、絶対にダウンロードしますよね。例えば、ゴミ出しを管理したり、住人同士で近隣の美味しいお店の口コミを共有できたり、歯医者を予約できたり。
 “住まい”という場所には、ありとあらゆる生活の基盤があります。そこを押さえている不動産会社にしかできないことがあり、独自につないでいけるものがあるんじゃないかと思います。そうすれば、コスト競争で叩き合うようなことにもなりません。

三井不動産のアセットが戦略ストーリーの主役となる

──移動商業のプロジェクトは、三井不動産グループの事業提案制度「MAG!C」により生まれた新規事業と聞きました。
須永 現在、「MAG!C」は3年目に入り、これまで11案件の事業提案が通過し、既にローンチした案件もあります。
 プロジェクトの担当者は30代が最も多いですが、20代もいます。全般的に不動産ビジネスというものは、プロジェクトの期間が長く、投資額も数千億円規模になることもあるため、若手層に任せきることが難しく、社内の意思決定プロセスにおいて承認を得ることが必要です。
 けれど「MAG!C」では、提案が通過すれば、メンター役である直属の上司と私、そして担当役員という3階層のみが見ているため、実現までのプロセスを大幅にショートカットできると感じます。さまざまな世代の視点を活かし、タイムリーに新しい価値を生み出していければ、と考えています。
楠木 若い世代が会社の資源を使いながら、自分たちの思っている世界を実現していける環境はいいですね。
 どんなに先見性がある人物でも、一定の年齢を重ねれば、リアリティを持って未来を考えられなくなる。やはりイノベーションを創造できるのは、自分が利用する未来をリアルにイメージできる若者たちだと思います。
須永 未来にトライする上で、社内に閉じないことも重要だと思っています。こうした環境を面白がり、ジョインしてくれる社外からの参画者にも期待しています。
──三井不動産の「不動産×モビリティ構想」が進んでいくと、どのような変化が起きるでしょうか。
須永 不動産業は、価値ある土地に価値ある建物を建てて売ったり貸したりして稼ぐという、いわゆるアセットビジネスを続けてきました。
 しかし、ここ数年の間で、アセットの中に眠る新たな価値を見出し、活用することでまた違うビジネスを展開できることを認識した状況だと感じます。
 そもそも不動産とは、買う・借りること自体が目的ではなく、そこで暮らすことや経済活動をすることが目的だと思うんです。
 ユーザーや企業が何を求めているのかを考え、リアルでのサービスを提供していくことで、「これは楽しくていいね」「便利でいいね」「生産性が高くなったね」という世界ができてくると思うんです。
 現時点では、まず移動のハードルをさらに下げて、新しい働き方や暮らし方で快適さや楽しさを実現できる世界を作っていこうと考えています。
 究極的には移動しなくても足りることもどんどん増やし、ステレオタイプではない自分らしい暮らし方を楽しめるようにしていくことを目指します。
 例えば2拠点居住なども、宿泊施設と連携し、MaaSアプリでトライアルの申し込みができれば、「まずは体験しよう」から始まり、次の行動へとつなげていくことができるのではないかと。
楠木 具体的なアセットとして三井不動産の持っているマンション、オフィスビル、商業施設というものが戦略ストーリーの構成要素になり得る。それ以上に、そこで暮らす人々が一番大きなアセットだと思います。他の企業がなかなか手に入れられないものです。
 そもそも論で言えば、ビジネスは組み合わせではないということです。
 結局、組み合わせというものには時間的な奥行きがない。不動産とテクノロジーを並べ、シナジーだと言って相乗効果を追求しても、上滑りするだけです。
 ゼロスタートでイノベーティブなサービスを作ろうとしても、物事が起きる順番をよくよく考えないと、ユーザーを惹きつけるストーリーは生まれない。
 ゼロに何を掛け合わせてもゼロにしかならず、残るのはコストだけ。好循環を生み出すストーリーが大切です。個別の打ち手が一貫したストーリーの上に配列されているかどうかが、事業の成否の決定的な分かれ目といえます。
 大切なのは事柄の組み合わせではなく、順列です。住む人や働く人の動きがあり、その情報を収集しながら、新しい体験価値を提供していく。惹きつけられるユーザーがさらに増え、ビジネスを一緒に展開したいという企業が出てくる。
 勝ち筋のある優れた戦略とはそういうものです。三井不動産の他にはない強みを軸に、「これぞ」というチャレンジをしていくことが、イノベーションにつながっていくのではないかと思います。