2021/1/18

経済成長が前提にない令和時代。「アトツギ」が考えるべきこと

Newspicks Studios Senior Editor
テクノロジーの発展で、あらゆる事業環境が変化する現代。ビジネスを「継承」するのは、これまで以上の危難を伴う。
歴史を背負いながら、新しい時代へとトランスフォームしようと奮闘する「アトツギ」たちは、どのように事業を革新しているのか。
12月8日(火)に開催された、関西のニューリーダーのためのイベント「WestShip」より、関西で事業継承を推進するアトツギたちのトークセッション『令和的事業継承「アトツギ」in West』の様子を紹介する。

「アトツギ」と「昔から変わらない現場」の乖離

若宮 お二人はそれぞれ親族から事業を継承されています。その経緯や、感じた課題などを教えてください。
竹延 私は2003年、創業70年の塗装会社・竹延を、妻の父親から継ぎました。婿養子でしたので、いわゆる“マスオさん”社長ですね。
 最も課題だったのは、30年近く新しい人が定着していなかったこと。
 一流の職人が揃っているけれど、仕事を“背中を見て覚える”のが当たり前の世界で、若手に技術を教える文化がなかったんです。春に入社して夏を越す人がおらず、このままでは30年後の未来が描けないと思いました。
 加えて「昔からの付き合いだから」と、材料を言い値で買うなど、改善点は山ほどありました。でも、それらを変えていくうちに、社員が次々と離職してしまったんです。
 そのとき気づいたのは「うちの強みは職人だから、それを生かすしか道がない」こと。
 なので、既存の会社を無理に変えて勝負するのではなく、新しいことに挑戦できる会社を別で作ろうと考え、2013年、建設業界のプロフェッショナル人材を3年で育成する会社を設立。このチャレンジを成功させ、その仕組みや人材を本社に逆輸入しようと決めました。
 結果、女性や外国人からの応募が増えて、現在は東京と広島、福岡にもオフィスを構えるまで拡大しています。
若宮 新会社での成功体験を本社に逆輸入する考えは、アトツギならではの画期的なアイデアですね。山根さんはいかがでしょうか?
山根 私は商社で働いていたのですが、父親が他界するときに「会社を継いでほしい」と言われ、2012年に建材・建築資材の通販企業サンワカンパニーを継ぎました。
 課題だったのは、全てがどんぶり勘定だったこと。儲かっている商品と儲かっていない商品は明確なのに、「昔からこの方法でやっているから」と、現場と経営に乖離があったんです。
 しかも、当たり前のことが当たり前にできておらず、ビジネスの伸びしろもわからない状態でした。
若宮 昔からのやり方を変えようとすると、抵抗や反発がありますよね。その溝はどう埋めたのですか?
山根 溝を埋めるどころか、私が溝を作ってしまいました。
 私は社長という職業にカリスマ性があると勘違いして(笑)、就任した日に「今日から経営方針を変えて改革をする。賛成できない人は辞めていい」と宣言したんです。
 トップの熱意を伝えたら盛り上がるだろうと信じて。すると、すぐに4割の人が辞めてしまいました。
若宮 4割ですか!
山根 60人から35人くらいに減りましたね。自分の年齢が若かったというのもありましたが、これが最初の壁になりました。
 でも、本当にピンチになると必要な人が来てくれることもわかりました。

令和は経済が伸びる前提にない

若宮 ビジネスに対する考え方は、アトツギ世代と親世代では違うと思います。
令和時代にアトツギたちがビジネスを加速させられる要素は、何だと思いますか?
山根 令和と昭和の大きな違いは、経済が伸びる前提にないことです。
 親世代は高度経済成長に支えられていましたが、今は当時と同じことをやっていたら先細りになるだけ。
 だから、令和は新しいことへの挑戦が必須で、経営手腕を試される面白い時代だと思っています。
竹延 竹延は安定した時代を何十年も生き抜いてきました。でも山根さんが言うように、これから高齢化も進む中で、同じことをやっていたのでは立ち行かなくなることは明白です。
 今はインターネットでいくらでも優秀な人たちとつながれるので、実際に会いに行って話を聞くなど、常に行動を起こして新しい知見やアイデアを吸収するのが大切だと思います。
若宮 不確実な時代性を前提とした考えと行動が必要ですよね。
お二人とも事業継承にあたり、さまざまな要素を取り入れたと思いますが、あえて以前のまま残したことはありますか?
竹延 それは、最大の資産である「職人の知恵」です。
 必ずしも人がやらなくていい仕事はロボットにやってもらえばいいので、職人の知恵を言語化してロボットにインプットしました。その結果、高齢の職人が若手に仕事を的確に教えられるようになったのは、思わぬ副産物でしたね。
 さらに、未経験者でもすぐに学べるよう、動画で技を学ぶ「技ログ」というプラットフォームを開発。「技ログ」は“職人が作る技の投稿サイト”として、いろんな業界に広がっており、教えてくれる人がいない環境で役立っています。
技ログ(https://wazalog.jp/)のサイト画面
若宮 職人の暗黙知をロボットにインプットすることで、自分の職がなくなるのではないかと不安に感じる人はいませんでしたか?
竹延 それはありませんでした。
むしろ、ロボットと職人の仕事の差を判別するのは職人の経験や知恵なので、職人たちは自分の価値を実感してくれていますよ。
若宮 デジタル化やテクノロジーの活用は親世代とは違う取り組みだと思いますが、山根さんはいかがでしょうか?
山根 私の父は、もともと新しいことをどんどん取り入れる人だったので、社内には最初からデジタルに対する抵抗はありませんでした。
 建築資材のインターネット販売も父が始めたことです。2005年に社内電話をすべてSkypeに変えて回線をパンクさせるといった失敗も多々あったようですが(笑)。
 ただ、インターネット販売なのに受注経路の8割がFAXだったので、継いでからはWeb受注を中心に切り替えました。平成の後期にFAXでやっていたことには驚きましたけどね。

信念を持ってアトツギになる

若宮 山根さんや竹延さんのように、これからアトツギとして社長になる人たち、特に事業を継ぐ前提ですでに働いている人は、どんな準備が必要だと思いますか?
山根 2つあって、1つは「信念を持って継ぐ」ためのマインドセットを持つことです。
 「事業継承で社長になる」ではなく、「継げる可能性のある会社があって、その会社で社会にインパクトを生み出したいから、継ぐ意思決定をする」という信念が必要だと思います。
 もう一つは、できるなら継ぐ前に再現性の高い組織、たとえば大企業での経験を積むことです。
 大企業には良くも悪くも、誰がやってもある程度うまくいくような再現性の高いフレームワークがあります。
 私が会社を継いだときに「当たり前ができていない」とすぐにわかったのは、大企業でその「当たり前」を経験していたから。それを体験するのとしないのとでは、大きな差があると思っています。
 創業者は偉大なので、アトツギはその影に潜んで父親のミニチュアになりがちですが、再現性の高い仕組みを知って、変えるべきは変えて、残すべきは残すのが大切ではないでしょうか。
竹延 私は、口だけで終わるのではなく、行動してほしいと思います。私の場合、学び足りていないことがたくさんあったので、学ぶ環境に身を置いて、その実践として新規事業を立ち上げました。
 講演会やセミナーへの参加、本を読むといったことで知識を得るのも大切ですが、学んで実践するのはもっと大事なこと。
 行動を起こすのは10人に1人しかいないと言われているので、小さくても動き続けるのが重要だと思いますよ。

関西の地で「尖る」

若宮 テクノロジーの進化によって場所に縛られないビジネス展開が可能になり、その動きはコロナ禍で加速しています。
 こうした時代に「関西」で事業をする意味や、「関西」のポテンシャルをどう捉えていますか?
山根 「創業の地が大阪だったから大阪にいる」というのもありますが、関西で上場企業のアトツギはほとんどいないから、関西にいること自体が会社にとって大きなメリットになっているんです。
 WestShipのイベントも東京で開催されていたら、私は呼ばれていないかも(笑)。
 大阪だから光が当たって露出の機会を得られました。だからこれからも、関西で尖り続けたいと思っています。
竹延 関西は結婚すると仕事を辞める女性が多くて、さらに復職率も良くありません。しかし逆に言えば、人的資産のポテンシャルは高いと思っています。
実際、結婚を機に退職して復職していない方にお声がけするケースは多々ありますし、今は入社される方の半数は女性で、女性の内装職人も誕生しました。
人材面から見てもまだまだ伸びしろがあると思います。
若宮 関西には、企業ブランディング的にも人材の資産的にも発展の余地があるということですね。
 これからはコロナ禍においてビジネス環境の大きな変化に挑み、尖り続ける企業が生き残っていくと思います。
 このようなデジタル・トランスフォーメーションに挑戦する企業を弊社もご支援したいですね。そして、関西から山根さんや竹延さんのような方々が増えていき、多くのニューリーダーが越境した活躍を発揮できるようにと願っています。