2020/11/30

【全経営者必読】これからを生き残る知的資産経営に必要な、最強メソッド

編集ライター (NewsPicks Brand Design 特約エディター)
 かつて、基幹系情報システム「ERP」で一世を風靡したSAP。ERPに依存したビジネスモデルから脱却し、直近の10年で総売り上げを2.5倍以上に伸ばした背景にあったのは知的資産経営へのシフトだったことをご存知だろうか。
 近年日本でも注目され始めている「知的資産経営」とは人材や技術、組織力、顧客情報、ブランドなど、目に見えない知的資産を活用することで、着実に収益につなげられる経営手法だ。
 では、どうすれば知的資産経営にシフトできるのか。
 SAPの変革を紐解きながら、これからの経営には何が必要かについて、DXによるビジネス変革をリードするSAPジャパン代表取締役社長・鈴木洋史氏と、埼玉大学経済経営系大学院准教授で経営学者の宇田川元一氏に話を伺った。

日本の経営者には、戦略がなかった?

──ここ10年で企業のDXは徐々に進みましたが、グローバルで見ると後れを取っています。その原因は何だとお考えですか?
鈴木 多くの企業の発想が、自分たちの業務プロセスを根本的に変えずに、いかに効率化や自動化をするか、だったからではないでしょうか。
 結果、部門ごとの部分最適はされても全体として標準化されていないから、コストがかかって運用も大変になりました。
 しかも、業務プロセスは大きく変化しないので、効率化はできても生産性は上がらない。経営戦略とシステムがバラバラになっていたのです。
 DXは単にITツールを導入するという話ではなくて、経営そのものの変革なのです。
1990年に日本アイ・ビー・エムへ入社し、企画・販売・マーケティングを担当。2000年からはi2テクノロジーズ・ジャパンで、要職を歴任。2006年、JDAソフトウェア・ジャパンの営業本部⻑を経て、2010年、同社代表取締役社⻑に就任。2012年からはアジアパシフィック地域副社⻑を務める。2013年に日本アイ・ビー・エムの成⻑戦略を指揮し、2015年にはSAPジャパンのバイスプレジデント・コンシューマー産業統括本部⻑に。2018年から常務執行役員インダストリー事業担当として、日本市場における全産業・大手企業向けビジネス全体を管轄し、日本企業のデジタル変革支援にフォーカス。2020年4月に代表取締役社⻑に就任し、SAPジャパンのビジネス全体を統括している。
宇田川 デジタル化をして何をしたいのか、という「理由」がない状態で新しい道具を導入しても、大事なことを先延ばしにしてしまうだけなんですよね。
 1990年ごろから指摘されてきたのは、日本の経営層に戦略がないのではないかということ。それは部分最適問題は全体戦略がなかった証拠だと思うし、それが日本企業の苦しい現状を生んでいます。
 この状況を変えるためには企業変革が必要ですが、問題は「ビジネスモデルをどう変えたらいいかわからない」「どこから手をつけたらいいかわからない」こと。
 最近執筆している書籍のテーマのひとつが「慢性疾患に陥った組織の変革論」なのですが、日本企業が陥っているのはまさに慢性疾患です。
 急性疾患の場合は対応できても、慢性疾患の場合は、なんだか調子が悪いけれど何をすべきかわからない。だから手を打てずにいる。
 その点、SAPは早いタイミングからデザイン思考を戦略的に取り入れて、グローバルでの経営改革をされました。
 企業変革の研究テーマから、実は“SAPマニア”というか、SAPには並々ならない興味がありまして(笑)、ぜひ鈴木社長にその辺りを伺いたいです。
1977年東京生まれ。2000年立教大学経済学部卒業。2002年同大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。2006年明治大学大学院経営学研究科博士後期課程単位取得。2016年から埼玉大学大学院人文社会科学研究科(通称:経済経営系大学院)准教授。社会構成主義やアクターネットワーク理論など、人文系の理論を基盤にしながら、組織における対話やナラティヴとイントラプレナー(社内起業家)、戦略開発との関係についての研究を行っている。専門は、経営戦略論、組織論。2007年度経営学史学会賞(論文部門奨励賞)受賞。2019年、『他者と働く』を刊行。

原点回帰して、ビジネスを刷新

──宇田川先生からもありましたが、SAPはビジネス自体を変革し、総売り上げは10年前の2.5倍になっています。具体的にどんな改革があったのかを教えてください。
鈴木 SAP はドイツの老舗IT企業ですが「良い製品を作れば売れる」という考え方を持っていました。エンジニアが強く「ものづくり」に注力していたので、その意味では日本の製造業と似ていると思います。
 そこで作ったのが、あらゆる業務の共通点を洗い出して標準化し、パッケージ化したERP製品です。以来、ERPに依存する形で右肩上がりの成長を続けていました。
宇田川 全世界で一世風靡しましたからね。
鈴木 しかし、2009年に業績が下降。大企業のERP導入が進んで市場が飽和し、クラウドサービスの台頭によって新規顧客の開拓が難しくなり、クラウド化に乗り遅れていたSAPは業績不振に陥りました
 そこで、SAPが本当にやりたいことは何か、何を成し遂げたいのかと原点回帰し、本来の目的である、お客様や社会の課題を解決する会社へと変革するために、グローバル全体での大改革が始まりました。
 最初に見えたのは、お客様の課題は自社のERPだけで解決はできないこと
 そこで、人事、調達購買、経費精算、マーケティング、外部人材採用といった網羅できていなかった領域をカバーするために、SaaS領域で実績を持つクラウドサービスを買収。
 それらを統合するクラウドビジネスを立ち上げて、お客様に提供できる幅を広げてきました。
宇田川 出来上がった大きなビジネスモデルを自ら変革するのは、なかなかできることではないです。
 興味深いのが、自分たちは本来何をしたくてERPを展開してきたのか、その理由をもう一度解きほぐしながら、社会の進むべき方向性の理想と合わせて、新たな変革の方向性を見いだしたこと。
 新しいことをやったのは変革の結果に過ぎず、本来やりたかったことや守るべき価値を守るために必要な変革に挑んだという点が非常に素晴らしいと思います。

People、Process、Placeの改革

──ビジネスモデルの変革には、それと同時に組織変革も必要だったのではないでしょうか。
鈴木 まさに。組織全体は「3つのP(People、Process、Place)」で意識改革を進めました。
 「People」の変革とは、「つき合う人を変える」こと。
 従来は、お客様のIT部門と会話する、いわゆる“システム屋”として仕事をしていましたが、お客様の経営目標の達成に貢献するには、経営者はもちろん企業を変えたい“変革者”と話をする必要があります。
 そこで、自社に閉じこもるのではなく、いろんな人と関わるための「Place」として、三菱地所株式会社と共同で東京大手町に「Inspired.Lab」を作りました。
スタートアップや大企業の新規事業担当者、大学の研究者などが同居し、さらに多様な企業の人たちが集まって、さまざまな課題の解決に取り組んでいます。
東京大手町にある「Inspired.Lab」
 そして、イノベーションを起こす「Process」として有効なのが、デザイン思考です。
 イノベーションは一握りの天才が起こすものではありません。対象となる人を中心にとらえて、本質的な課題を発見して、それをもとにアイデアを創出していくデザイン思考という手法によって誰もが起こせるようになるのです。

依存症の“根本原因”は何なのか

──SAPは原点回帰によって変革できましたが、同じように変革できる企業は多くありません。それはなぜだと思いますか?
宇田川 ギャップ・アプローチで考えるからだと思います。
 つまり、自分たちは何者で、何に困っているのかがよくわかっていない状態で、無理に課題設定をしてテクノロジーを導入している。これは本来会社としてやりたいことではないはずです。
 たとえると、アルコール依存症の人は「酒をやめたい」と言いますが、実は背後に別の問題があることが多いんです。
 DVを受けているなど、自分の損失をカバーするためにお酒を飲み続けた結果、アルコール依存症になってしまっている。
 この場合、損失状態が続いているのが問題であって、アルコールに根本原因があるわけではないんです。
 DXも同じで、多くの企業が単なる業務効率化にとどまっているのは、根本的に何に困っていて、何を守りたいのかがわかっていないからだと思います。
鈴木 自分たちは何者かが細部にまで落とし込まれると、ビジネスが変わります。
 SAPがパーパスとして掲げているのは、より良い地球環境を作って、あらゆる社会課題を解決することで、世界をより良くし、人々の生活を向上させること。
 それを社員が理解して自分のパーパスに落とし込んだことで、会津若松のゴミ分別をトラッキングする仕組みや、大分県の減災防災のためのプラットフォームなど、社員のアイデアから取り組みが進んでいます。
 また最近では、カーボンニュートラルの領域にも注力しています。
 世界中の商取引総売り上げの77%は何らかのSAPシステムを経由しているんですね。だからそれぞれのビジネスからCO2はどれくらい排出されているかを可視化して、削減の提案ができる仕組み作りに取り組んでいます。
 結果、10年前までは売り上げの9割以上がERPだったのが、現在ERPの占める割合は4割程度。6割はこうした「協働イノベーション事業」が占めています。

企業が、本当にやりたいことは何か

──お客様の課題を解決することで、その先にある社会課題の解決につなげていく。
鈴木 そうです。目の前のお客様だけを見るのではなく、その課題を解決することで、その先にいるお客様や社会全体にどう貢献できるかを考えるのが重要です。
宇田川 大学の講義でも取り上げることのある、SAPジャパンの書籍『Why Digital Matters? “なぜ”デジタルなのか』に、建設機器メーカーのコマツの取り組み事例が書かれていました。
 コマツは、90年代から世界に先駆けてIoTを活用して、建設機械の稼働管理(見える化)による保守メンテナンスの提供をすすめてきました。
 以来、テクノロジーを活用して成長を続けてきましたが、コマツが本当にやりたかったのは、社会課題の解決やお客様の課題解決。
 そこで、SAPジャパンとNTTドコモ、オプティムと手を組み、土木・建設業界全体のあらゆるデータを蓄積して活用できる、オープンなプラットフォーム「LANDLOG」を作ったんですよね。
鈴木 コマツの建機だけを可視化するのではなく、建設現場全体を可視化したプラットフォームを作って、それをあらゆる業界の人にオープンに提供しました。
 もともとアナログな業界だったこともあり、さまざまな企業との協業によって現場の効率化や新規ビジネス創出が進んでいます。それが、業界の課題や社会課題の解決につながっています。

人的資産の活用で“スーパー営業”を標準化

──本来の目的を達成させるため、ビジネスと組織を変革してきたSAPですが、営業は個の力に左右されて属人化しやすいと思います。そこに対して何か工夫はされていますか?
鈴木 グローバルで、Franchise for Success (フランチャイズ フォー サクセス)という名の営業メソッドを定着させています。
 これは、各国の優秀な営業のベストプラクティスや仕事内容、考え方をデータにして可視化し、標準化・フレームワーク化したもの。
 “エイトボックス”という8つの指標があるのですが、それをクリアすると成約につながります。
 たとえば、意思決定者とはどんな関係性を築けばいいのか、我々のユニークバリューは何か、ソリューションで何をどう解決できるのか、そしてお客様の経営にどのようなビジネスバリューを提供できるか。
 こうした、いくつもの項目をクリアするために、コンテンツを充実させています。
 昔は一握りの“スーパー営業”のコピーはできませんでしたが、データ化とフレームワーク化によって標準化したことで、莫大な利益を生み出す営業改革がなされました。
 実際、この仕組みを徹底すると、みるみる業績が上がるんですね。それが毎年の二桁成長につながっていますし、コロナ禍でも成長を続けられている要因になっています。
──属人化した人的資産を、データ化して活用する。まさに知的資産経営です。
宇田川 90年代から知的資産経営が大事だと言われていたので、社内wikiなどにナレッジを蓄積した企業は多かったと思います。でもそれが機能しなかったのは、ライブラリがあるだけの状態だったから。
 引き出して活用するところに対する進化が、ここ10年で相当あったんだろうなと思いました。
 だからといって、「業績が上がる魔法のエイトボックスを提供して」という考えを持ってしまうと、今までの悪いサイクルから抜け出せません。
 それは「目的」と「道具」が逆転している証拠で、エイトボックスを流用すればうまくいくわけではないから。
 同じことを他の企業がやる必要はないので、自分たちに必要なことを実践すべきだと思いますよ。

データはリアルタイムで蓄積・分析・活用

──スーパー営業のデータを可視化して活用されていますが、普段から知的資産は蓄積・活用されているのでしょうか?
鈴木 たとえば営業なら、販売計画から成約までのあらゆるプロセスにおけるデータはもちろんタイムリーに蓄積しています。
 具体的には、Sansanの名刺データを活用して「経営層(CxO)や変革者にどれくらいリーチできているか」「どれくらいの頻度でアプローチしているのか」を正確に把握。
 顧客情報や行動における人的情報もすべてタイムリーに蓄積・分析し、活用するのはとても重要です。
 そして、企業活動において最も重要なのは、全員がリアルタイムで反映されている同じデータを見られる状態にすること。
 SAPには専門のデータ分析チームがいるので、分析された1000を超えるレポートを見ながら経営をすれば、グローバルで標準化できるんですね。
 経営会議も、1〜2週間前のデータを元に資料を作って議論するのではなく、すべての国・地域、お客様、組織のデータをリアルタイムで見ながら議論をする。
 しかも、それらのデータは「人員計画をこうすると売り上げはどうなる」といったAI予測とも連動していて、グローバルの四半期ごとの着地予測は2%程度しかズレないほど精度が高まっています。
 それだけ、データのリアルタイムな蓄積と分析・活用は重要なのです。
宇田川 これらはデータドリブンな経営を実現させるためにやっているのではなくて、SAPの目的は、人間の発想力を高めて創造性を発揮すること。そのために必要なのが、データドリブン経営だったということですね。

自分たちを紐解いて、再発見せよ

──今までのお話を踏まえて、イノベーション推進や企業変革を専門にされている宇田川先生から、企業変革に必要なことを教えてください。
宇田川 会社ごとに必然性のある変革をすべきで、そのときに「Why(なぜ)」を突き詰めるのではなく「Reason(理由)」で考えるのが大事だと思っています。
 というのも、「なぜ?」を繰り返し聞いていけば1本の筋ができ、そのロジックを説明する人のナラティヴ(解釈の枠組み)では整合性はあるかもしれません。
 でも、組織の中で異なるナラティヴが多数存在するわけで、そうなると他の人は「理屈はわかるけれど…」と、腹落ちできないケースもあるからです。 
 大手企業のアドバイザーをするときに、その会社が過去に実践できたイノベーション事例を紐解くのですが、単純に見てしまうと「この技術が良かったから」「この人の能力が高かったから」という答えになります。
 でも「なぜその技術がここにあるのだろう」とか「この人が才能を発揮できたのはなぜだろう」と、プロセスをもっと複雑に見ていくと、実は「Aさんのサポートがあって、Bさんとつながって、この部署が絡んで結果につながった」といった、勝ち筋が見えてくるんですね。
 この、単純に見えているのを複雑にして、そこから何が見えるか紐解く過程が重要。それを今の時代の環境の中で、どうやって実現するか、ということが変革だと思うのです。
 自分たちを紐解いて再発見し、そこに最先端テクノロジーを使って進化させていく。この順番を間違えないことが重要です。
SAP変革のカギとなった「知的資産経営」。その実現に向けた第一歩が、顧客データ管理といえる。属人化されがちな知的資産をオフライン・オンライン共に一元管理し、分析・活用することが、当たり前の時代がきている。あなたの会社は、顧客データ危機に陥っていないだろうか。