「フレームワーク」を使えない理由
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フレームワークは、私の使い方は何か分析したり、ロジックを考える際に
「視点に抜け漏れが無いか」
「気付いていない要素は無いか」
をめちゃくちゃ初期的に確認する為に使う程度です。
(ちなみに、ロジックツリーとかピラミッドストラクチャーはフレームワークというより、思考、ドキュメンテーションの方法であって、フレームワークという意識はないです)
3C、4P、7S、PEST、SWOT、PPMとか色々ありますが、例えば「ヒト・モノ・カネ」みたいなフレームワークも「ヒト・モノ・カネ・データ」になったり、AIDMAもAISASに変化したり、時代と共に変わったりします。
今やドヤ顔でフレームワークを使ってクライアントに説明するのは恥ずかしさすらあるので、あまり使いませんが使うとしたら
「自分の伝えたいメッセージが、クライアントに伝わりやすいように」
ですね。
例えば先ほどの購買行動のフレームワークであるAIDMAの例ですと
「SNS上での拡散力が競合に比して弱いから強化すべき」
というメッセージを伝えたいのであれば、AIDMAではなくAISAS(search、share)を使って説明する、みたいな感じでしょうか。
自分の思考の整理、メッセージの伝わりやすさ、それ以上で使う事はあまりないので
「外部環境分析をする時の視点は、PESTが便利なんだな」
とかその程度のツールという理解で良いのかと思っています。帰納・演繹については、義務教育にするべきだと思います。
わける、つなぐという平易な言葉にするのも良いと思うのですが、
普通に帰納・演繹のどちらから今思考しているか、収束させようとしてるのか発散させようとしてるのか、を認識することは、誰にでもトレーナブルだと思うので、皆ちゃんと学ぶと良いと思います。
考え方を考えることに意識を向ける時間がキャリアの初期にあると良いかと思います。そもそも知っていることも大事だが、数多あるフレームワークをどの場面で、どのフレームワークを選択し、どのように用いて活かすのか、真の有意性を理解していない状態で使い続けている人は本当の効果を享受できていないと思う。フレームワーク好きな、単なる残念な人になっている…。フレームワークは便利ツールだが、直接"答え"を導くものではない。言われている通り、"わける"と"つなぐ"という作業を効率的に行うことができるものである。現在把握している様々な事象から根源的な問題を特定化することや、前例が無い難解な問題を紐解く上で立てる"仮説"を検証して事実に近い仮説を整理することには役に立つが…ここで作業は終了しない。フレームワークは使い熟すまで、その真の有意性を体感できない。有意性を肌で感じられるレベルまで到達したら、是非、作る側に立って自身の視点や思考のアプローチをカタチに転換することを楽しんで欲しいと思う…。