2020/11/1

AIで革新素材は生まれるか? 次の50年をつくる「マテリアルサイエンス」最前線

NewsPicks Brand Design Senior Editor
未来の医療・環境・生活を支える新素材開発において、様々なテクノロジーの導入が試みられている。その可能性を探るべく、2019年に東レはマテリアルズ・インフォマティクスやAI、オープンイノベーションによって革新的な素材開発を目指す「未来創造研究センター」を滋賀県に設立した。

これまで、私たちの生活を素材の力で豊かにしてきた東レが、未来に向けてどんな新素材を創りだそうとしているのか。未来創造研究センターで研究・技術開発を行う担当者の証言から、50年後の世界を創る新素材開発の現在地を探る。

マテリアルズ・インフォマティクスとは何か?

 1926年、きたる化学繊維時代の到来を見据えて、東レの前身・東洋レーヨンが誕生した。創業の地として選んだのは滋賀県大津市だ。
 現在、その場所は東レの滋賀事業場として、「電子情報材料研究所」「先端材料研究所」など5つの研究所が集積している。そして2019年、同事業場内に新たな研究拠点として「未来創造研究センター」が竣工した。
 ここでは、今までに東レが開発してきた炭素繊維複合材料や逆浸透膜、極細繊維のような革新素材を生みだすべく、50年先、100年先を見据えて材料研究をさらに極限追求し、ポリマー素材(プラスチックやゴムなどの高分子素材)の高機能化を推進している。
 その領域にイノベーションを起こす手法として注目されるのが、AIをフル活用し、物性を予測することで素材開発を進めていく「マテリアルズ・インフォマティクス」だ。
 未来創造研究センターの中核を担う先端材料研究所長の真壁芳樹氏は「これから素材の研究・技術開発は、マテリアルズ・インフォマティクスによって大きく変わる」と話す。
「AIをうまく活用できるようになれば、素材の予測設計もより高度になり、研究の効率化にも繋がるでしょう。
 今までであれば、目標を設定し、素材を開発し、試作、社内評価、顧客評価を繰り返し、合格してから、ようやく量産体制を確立することができた。
 この目標設定から量産に至るまで、何回も行ったり来たりしていたプロセスをデジタル技術により効率化することが、マテリアルズ・インフォマティクスを使う第一義的な目的です」(真壁氏)
 しかし、AIを使ってプラスチックをはじめとしたポリマー素材の振る舞いをシミュレーションすることは、想像以上に困難なものだという。
 なぜなら、ポリマー素材は成形加工をしたり、さまざまな添加剤を混ぜたりするため、そのたびに性質が変化してしまうからだ。その難しさを、東レの高分子計算科学を専門とする茂本勇氏と山本海氏はこう語る。
「まず、マテリアルズ・インフォマティクスにおける物性予測はy=f(x)という方程式で表すことができます。
 これは何かというと、『f』という理論に『x』という数値を与えたら、『y』という物性を予測できるという意味です。
 しかし『x』が物質の化学構造なのか、成形加工の方法なのか、それとも両方を示すものなのか、適切なxを探すことがとても難しいのです」(茂本氏)
「『x』を別の言葉で言い換えるなら、機械学習における『特徴量』ともいえるかもしれません。つまり、東レがどのように材料を研究してきたかを、定量的に表した変数です。
 しかし、その蓄積は膨大かつ複雑なので、特徴量を見極めることはハードルが高いのが実情です」(山本氏)
 プラスチックのようなポリマー素材は、化学式で表現されるようなミクロ構造と、加工などのプロセスが融合して物性が決まる。特に、プロセスに関する値を探すことに労力がかかるため、素材の特徴を定義すること自体が困難なのだ。
 課題はそれだけではない。例えば、過去の膨大な研究データを使うとしても、人が読むために書かれた報告書や論文を、機械が使えるデータに変換しなくてはいけない。
 さらに素材の研究領域では、IT系の企業がAIを駆使した分子材料の設計に取り組み始めている。もはや競合は素材メーカーだけでなく、膨大なデータを保有するIT企業になっているのだ。
 そのような状況下で、20年以上にわたって計算科学の分野に携わってきた茂本氏は、「東レしか持ち得ない『x』、つまり物の特徴量に関する知見を保有していることが強みになる」と言う。
「データといってもさまざまですが、東レは理論計算によるシミュレーションデータだけでなく、独自の実験設備や生産設備でないと生みだせないようなフィジカルな実験データを持っています。
 一次データの取得には時間も手間もかかる。でもそれこそが、東レの『x』になるんです。逆にいうと、それ以外は公共のデータを借りてしまえばいい。
 自分たちの競争力の源泉になるところを見極め、リソースを集中する。それを続けていけば、マテリアルズ・インフォマティクスの領域で、東レならではの価値を生みだせるはずです」(茂本氏)

想像力がある研究者が起点でなければならない

 これまでは、研究者は新しいアイデアを思いついたとしても、その実現にかかる時間や労力、失敗のリスクが障壁になって、実験を躊躇することがあった。
 しかし、前述したようにマテリアルズ・インフォマティクスを活用し、すぐに結果がわかるようになれば、実験を試みるハードルは大幅に下がる。
「ある材料から物性が現れる原理を導き出すことができれば、新しい材料を作るときに、その原理を使って性質を予測できるようになる。
それを繰り返すことで実験の効率を上げ、研究開発の時間を短縮することが、まず我々に期待されていることです。
 ただ、いくら効率を上げたとしても、想像力がなければ最初の一歩は生まれません。
 だからこそAIを使うことで、研究者が想像する時間を増やすことこそが、マテリアルズ・インフォマティクスに求められていると思います」(茂本氏)
「今まさに、社内のさまざまな部署の方々とのチームで取り組みを進めています。
プロセスの効率化によって、研究者は考えることに時間を割けるようになる。その発想の幅を広げることも、マテリアルズ・インフォマティクスの役割なんです」(山本氏)
 東レの阿部晃一CTOも、AIと研究者における今後の関係について以下のように語る。
「スクリーニングなど機械による効率化を徹底的に活用すべきですが、私自身は人の手による研究はなくならないし、必要だと思っています。
 なぜなら、最初の発想って理屈ではなかなか説明できない『不連続」なものなんです」(阿部氏)
 AIは研究者の仕事を奪うのではなく、より本質的な仕事に従事できるツールなのだ。AIを駆使できれば、これまでにない大発明を成し遂げる天才研究者が現れる可能性もある。
「そうなると、成功データだけでなく『失敗データ』の蓄積にも価値が生まれると考えています。
 出来損ないの接着剤からみんなが使っている付箋が生まれたように、積み重なった失敗データから、5年後や10年後に後輩たちが面白いものを作るための基礎が見つかるかもしれません」(茂本氏)
 つまり、マテリアルズ・インフォマティクスとそれによって生みだされるあらゆるデータは、未来を創造するためのインフラとして東レの次世代研究を後押しするのだ。
 先端材料研究所長の真壁氏も阿部CTO同様に、こういったテクノロジーやデータによって、研究者の仕事はより本質的な「創造」に立ち返ると考えている。
「これからの時代の研究者には、AIなどのテクノロジーを自由に使いこなせることも必要です。ただツールを使えるだけでは、新しい素材は生まれません。
 起点にあるのは、やはり研究者の想像力や構想力。それだけが、0を1にできる。何もないところに、突然100が生まれることは有り得ませんから」(真壁氏)
 東レは、持続型未来社会に必要なソリューションには、マテリアルズ・インフォマティクスのようなコンピュータサイエンスに加えて、社会科学、人文科学といった“異分野の視点”が必要になると睨んでいる。
 未来創造研究センターは、その基点となることが期待されている。
 同センターは、アイデアを創出する融合研究棟と、そのアイデアを基に試作・評価する実証研究棟の2棟から構成されているが、特徴的なのは産官学でのオープンイノベーションを推進するラボや交流エリアを積極的に設置していることだ。
2階の執務エリア
2階の図書交流エリア
「次世代における、東レの基幹材料をここから生み出す。それが『未来創造研究センター』の使命です。
 そのためには、オープンイノベーションは必要不可欠となる。社内の固有技術の連携はもちろんですが、社外に出ていくことも重要です。
 茂本や山本のような高分子計算科学のチームは積極的に会社の外にでて、スーパーコンピュータの『京』や『富岳』のプロジェクトなどにも参画しています」(真壁氏)
 今やノーベル賞を受賞するような革新的な研究の多くは、研究者と分析者が一緒に取り組むことによって生みだされている。かつてのように、天才的な研究者が1人でアイデアを思いつき、革新的な技術を世に送り出すことは難しい。
「これからの素材研究は『モノづくり』と『分析』と『計算科学』の三位一体が必要」と茂本氏が語るように、チームで取り組むことにより競争力ある研究へと繋がるのだ。ではそれを前提として、革新的な素材をつくる個々の研究者には、どのような素養が必要となるのか。
「未来創造研究センターの優秀な研究者は必ず、興味のある分野を自由に研究するアングラ研究をしています。
 というのも、我々研究者にとっては、まだ海のものとも山のものともわかっていないものを“テーマ化”することも重要な仕事なのです。
 だからこそ、個人で課題を設定する想像力だけでなく、それをチームで実現する構想力の両方が必要です。そうしなければ、ただの独りよがりな研究になってしまい、テーマ化することはできません」(真壁氏)
 例えば、空飛ぶ自動車を作りたいと思うだけでなく、それによって社会はどう変わり、何が実現できるのか。そのためにはどんな素材が必要なのかを考える。
 そこまで思考を深めることが、未来創造研究センターの研究員には求められる。研究対象に時代が追いつくのをただ待つのではなく、引き寄せなければいけないのだ。
「我々のような世代ではなく、若い研究者の方が自分たちの将来をどうするのか真剣に考えているはずです。むしろ、考えてもらわなきゃいけない。
 でも、未来創造研究センターの研究者なら、あるべき未来の世界のために適切な課題を設定し、革新的な素材を生みだしてくれると期待しています」(真壁氏)