2020/9/17

【ゲイツ絶賛】「進化論」×「社会科学」が未来をつくる

ビル・ゲイツが「これほどの希望を感じて読み終えるとは、予想もしなかった」と絶賛し、全米ベストセラーを記録した本がある。イェール大の大物教授、ニコラス・クリスタキスの新著『ブループリント』だ。その日本語版が本日刊行された。
人種差別からコロナまで、世界が「分断」に揺れるいま、進化論の立場から「どうすれば理想の社会を築けるか」を検証する人類史である。
エリック・シュミット、マーク・アンドリーセン、伊藤穰一といった経済界のビッグネームたちがこぞって賛辞を贈る、本書の一部をお届けする。
(写真:The New York Times/Redux/Aflo)

人間を遺伝で説明するのは「優生学」か?

人間にまつわる行動や現象(個人の性格から、鬱、暴力にいたるまで)に遺伝子が関係していることを新しい研究が発見するたびに、その結論には意地の悪い小さな「*」印がつけられる。
「遺伝子は、運命ではない」と私たちは教えられる。遺伝子が私たちの今後を決定することはなく、本質的に定義することもない、といわれる。
人間の本性を説明するものとして遺伝を重視するのはよろしくないと、ことあるごとに勧告される理由の一つは、この主張がすんなり通ってしまうと、それが乱用されかねないからだろう。
多くの人は、人間の行動に遺伝がかかわっている証拠があっても、そんなものはいらないと思う。過去の忌まわしい「優生学」の弁明が出てきてしまうに決まっているからだ。使い方を誤った有害な生物学的主張は、人種差別や女性蔑視、児童虐待、植民地主義、その他さまざまな暴力的な考えを広めるのに、昔からあちこちで利用されてきたではないか?
(写真:rommma/iStock)

社会問題の解決に必要なもの

しかし人間にかかわる事柄を観察するときに、遺伝の役割をあまり差し引きすぎても、それはそれでまた別の問題が生じる。目の前で普通に起こっていることを無視せざるを得なくなるのだ。また、人間の苦境を改善する機会を失うことにもなりかねない。
そして何よりも、人間にまつわる遺伝的な説明を受け入れれば、なぜこんなにも多くの社会問題が異常なほどの割合で頻発するかが理解しやすくなる。
私は以前、社会的な事柄に生物学が果たす役割を完全に否定する、著名な社会科学者と話をしたことがある。
「犯罪性に遺伝が多少なりとも役割を果たしていると思いませんか?」と私が尋ねると、「まったく思わない」と彼は答えた。
そこで私がていねいに、投獄されている犯罪者の93%は男性で、たとえば人間以外の霊長類の攻撃性にテストステロンがかかわっていることを示す科学的な証拠もたくさんある(チンパンジーなら攻撃者の92%、被害者の73%がオスである)と指摘すると、彼はとまどってしまったようだった。
(写真:eugenesergeev/iStock)
優生学や差別への懸念は、もちろん正当なものだ。
しかし、だからといって、人間の社会生活の基盤がいつまでも意図的に無視されていいわけではない。この証拠を認めたとしても、それだけで絶対に差別につながるということはない。実際に差別が生じるには、また別の忌まわしい道徳観念や政治的なメッキが必要だ。そのようなメッキを否定するほうが、公序良俗はよほど保たれる結果になる。
実際、私の考えでは、科学的現実をしっかりと認めることこそが、道徳的に好ましくない結果を避けるための最善の道だ。
もちろんその科学的現実が、さらなる研究によって修正される可能性をつねに認めておくことも、あわせて必要とされるだろう。こうした姿勢でいることで、人道的な政策を発想するのも可能になる。
ほかのすべての条件が等しければ、「人間の進化した本性」を考慮するという習慣を採用したほうが、私たちのためになるはずだ。そうすることで、慣習からであれ法を通じてであれ、誤った禁止や抑圧を押しつけることによって個人や社会の幸せを損なわせてしまうことを(たとえば難民の子どもたちを親から引き離すといった異様なことを)避けられる。
社会学者で哲学者のエーリッヒ・フロムの言葉を借りるなら、人間を単なる「社会的取り決めのための操り人形」のように扱うのは、よいことでもなければ持続可能なことでもない。
反対に、もしも人間の進化論的な本性を認めたうえで、それに抵抗しようと決めた場合には、その先に直面するであろう深刻な課題にもっと意識的になり、必要な計画を入念に立てられるようになるだろう。

カギは「社会性一式」

私が本書『ブループリント』で詳しく論じた、人間の普遍的な「社会性一式」(「友情」「協力」「学習」といった、自然淘汰によって形成され、人間の遺伝子にコードされているもの)は、事実であるだけでなく、私たちの幸せの源でもある。これらは社会的取り決めがそもそも人間にとっていいことなのかを判断する能力に不可欠なものだ。
フロムが言うように、「もし本当に人間が文化パターンの反射作用でしかないのなら、もはや『人間』の概念はなくなるのだから、人間の幸せの見地から社会秩序を批判したり判断したりすることはできなくなる」。そして人間の幸せという概念もなくなるだろう。
【ゲイツ×ピンカー】知の巨人が語る「人類の進歩」

奴隷制や虐殺も「文化」の産物

あまりにも長いあいだ、誤った二分法が多くの人によって持続させられてきたために、今や人間の行動に対する遺伝的な説明はとんでもなく時代遅れで、社会的な説明こそが進歩的なのだとみなされている。
だが、こと人間の進化にかんするかぎり、現実から目を背けていることにはまた別の問題があり、その結果として出てくるのが過剰矯正である。
人間の行動にかんして遺伝的な説明より文化的な説明を選ぶのは、寛容さのあらわれではない。結局のところ、奴隷制にも民族大虐殺にも異端審問にも、文化は大きな役割を果たしてきたのだ。
それなのに、どうして社会的決定因のほうが遺伝的決定因より──道徳的にであれ科学的にであれ──好ましいとみなされなくてはならないのだろう?
(写真:mppriv/iStock)
実際、「人間は社会学的に変えられる存在だ」という考えは、私の見るところ、「人間には遺伝学的に変えられないところがある」という考えよりも、昔からよほど害を及ぼしている。
たとえば同性愛にかんしてである。これに生物学的な根拠をいっさい認めず、個人で制御できる生活様式の好みの問題とみなし、それを理由に他人が同性愛に非難や軽蔑、弾圧、暴力を向けてきたという、長い歴史が存在するのだ。

「人間は矯正できる」と考えた独裁者

スターリン、毛沢東、ポル・ポトといった指導者が推進した社会工学的な試みは、無数の人民を殺したが、彼らを突き動かしていたのは「遺伝的にコードされた人間行動と社会秩序の基本的で普遍的な側面を、単純に一掃することができる」という誤った信念だった。
(写真:Mordolff/iStock)
たとえばスターリンは、「革命の権威」の創出を訴えた。それを生かして「生産的な関係による古い体制を力ずくで終わらせて、新しい体制を確立する。自発的な発展過程に代わって人民の意識的な行動を、平和的な発展に代わって暴力的な激変を、進化に代わって革命を」と考えていたからだ。
スターリンは人間の本性を制御し、操作する科学について、いろいろと考え、いろいろと書いていた。また、スターリンは人間の行動が完全に環境によって決定されるとみなし、したがって、行動を根本的に制御することも環境によって可能になると考えていた。
「動物の行動は完全に環境によって決まる」と主張した旧ソ連の生物学者、ルイセンコ。スターリンは彼の熱烈な支持者だった。
だが、その考えはうまくいかなかった。歴史家の推定では、スターリンのせいで少なくとも300万人(もしかすると900万人以上)が死んだとされている。そのうち約80万人は処刑され、170万人以上が強制収容所で死に、数十万人が少数民族の強制移住に関連して死んだ。
毛沢東の哲学にも、人間の行動は個人レベルでも集団レベルでもたたき直すことができるという同様の確信が顕著にあらわれていた。
社会改革は「完全に人間の意識と意志と活動しだいである」からして、人間の信念や行動を形成するのに国家が直接介入しなければならない、というのが毛沢東の考えだった。誰もが生まれながらに共有する人間の本性という概念を、毛沢東はまったく尊重していなかった。
(写真:tanukiphoto/iStock)
人びとを分断し、互いに敵視させるための浅ましい遺伝学の利用には、長い歴史がある。これに対して、人間の行動と社会組織の進化的起源についてのエビデンスに無視を決め込む態度もあった。そうしていれば、いずれそれらの証拠は自然に消えていくだろうとの期待からだ。
たしかに真実はときとして──誤解されたり、誤用されたり、誤った道徳的前提と組み合わされたりしたときには──危険なものになる。
だが、だからといって抑圧されていいものではない。

「人間性」を科学的に理解せよ

私の意見を言うならば、私たちがこの先にとるべき道として、人間の類似点の太古のルーツを特定するために、人間の誰もが共有する進化的遺産をしっかり調べるほうがよほどいい。
遺伝子とはまさにそれで、私たちの誰もが持っているものである。そして全人類のDNAの少なくとも99%は、完全に同じなのだ。
人間を科学的に理解することは、私たちが共有する人間性の深い源を特定することによって本当の正義を育むことにほかならない。
ようやく理解されるようになってきた社会の基盤──私たちの青写真(ブループリント)であるところの「社会性一式」──は、人間相互の違いではなく、人間の遺伝的な類似性にかかわっているに違いないのだ。
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