2020/8/16

【保存版】知れば知るほど面白い「韓国コンテンツの歴史」

国際社会文化学者/ タレント(ホリプロ所属) 株式会社BeautyThinker CEO
教養を身につけたいけれども、忙しすぎて学ぶ時間が取れない。一方で、日々のニュースだけでは、体系的な知識を得られない──。
そんなビジネスパーソンに向けて、NewsPicks編集部が月ごとにテーマを設定し、専門家による解説をお届けする連載「プロピッカー新書」。毎週末に記事を掲載し、計4本で「新書1冊分の知識」が身につくはずだ。
今月のテーマは、「韓国コンテンツ」。
Netflixで常に上位にランクインしている『愛の不時着』『梨泰院クラス』や、社会現象ともなっているアイドルオーディション企画の「Nizi Project(虹プロジェクト)」など、2020年になって、韓国コンテンツのヒット作が続々と生まれている。
なぜ今、韓国コンテンツは再び流行しているのか。『冬のソナタ』が2003年に日本で放送されてから約20年間で、劇的な進化を遂げた韓国コンテンツの秘密について、韓国文化の研究者でNewsPicksプロピッカーのカン・ハンナ氏が、4回にわたって解説する。
韓国ドラマの「時代性」を解説した第1回に続き、第2回は、韓国コンテンツの発展史を詳述する。

1990年代、韓流ブーム前夜

日本を始め、グローバルに受け入れられている韓国コンテンツですが、一つの「達成」とも言える出来事を挙げるとすれば、以下の2つが思い浮かびます。
2018年、K-POP男性グループ「BTS(防弾少年団)」が、韓国アーティストとして初めて、アメリカの「ビルボード200(アルバムヒットチャート)」で1位を獲得したこと、そして2020年、映画『パラサイト』がアカデミー作品賞を受賞したことです。
韓国コンテンツが世界で認められるまでに、どのような道をたどってきたか。時計の針を1990年代に戻して、振り返っていきましょう。
◆「グローバルコンテンツ」が注目された時代
今に続く韓国コンテンツの歴史を語るには、1990年代が起点になると考えています。当時は各国で、自国以外で制作された映画や音楽、つまり「グローバルコンテンツ」が注目され始めた時代でした。
1995年、いち早くその風を読んだ韓国の大手製糖会社「CJグループ」は、アメリカの映画会社「ドリームワークス」に3億ドルの出資を行います。
それまでは韓国に限らず、どの国もエンターテインメントは「国内産業」でした。韓国のエンタメ業界が海外に目を向けるきっかけを作ったのは、この出資です。
(後述しますが、2010年代に入り、CJグループは韓国コンテンツのグローバル展開に欠かせない存在となります)
そして、韓国の3大芸能事務所といわれる「SMエンターテインメント」「YGエンターテインメント」「JYPエンターテインメント」の前身となる会社が創設されたのも、このころでした。
◆日本・香港コンテンツの「課題」
世界的に「グローバルコンテンツ」への注目が高まったとはいえ、1990年代のアジア市場のニーズに応えられる良質なコンテンツといえば、日本のドラマと香港映画くらいでした。
実際に90年代には、中華圏で日本ドラマのニーズが高まりました。
しかし日本のコンテンツは二次利用料が高く、著作権などライセンス関係の扱いが厳しいため、輸入を試みた事業者は壁に直面しました。また香港映画も1997年の中国返還をきっかけに、多くの俳優や制作資金が台湾やアメリカなどに流出していきました。
そうした状況を受けて、動き出したのが韓国です。
コンテンツをパッケージ化して売りやすい形にし、中華圏への輸出を始めました。1993年に『嫉妬』、1997年には『愛が何だって』という韓国ドラマが中国で大ヒットし、アジア市場における日本や香港の穴を埋めたのです。
これをきっかけに韓国は、文化やコンテンツがビジネスになることに気づき、エンタメ事業に力を入れていきます。
これを読まれた方には、「文化やコンテンツがお金になる」という考え方に違和感を抱く方もいるかもしれません。しかし、お金を生み出さなければ産業を継続できないですから、文化をビジネスとして扱うことは、とても重要だと私は考えています。

2000年代、キーワードは「現地化」

◆BoA、東方神起の共通点
90年代にスタートした韓国コンテンツのグローバル化は、2000年ごろに本格化します。この時期は、日本市場がとても重要な意味を持ちました。
2001年に「BoA」が日本デビュー。2003年にはドラマ『冬のソナタ』がNHKで放送され、主演俳優ペ・ヨンジュンの人気も相まって空前の大ヒットとなります。いわゆる「韓流ブーム」の到来です。
第1次韓流ブーム。写真は2004年(写真:Natsuki Sakai/アフロ)
2005年に「東方神起」が日本デビュー、2008年には楽曲『Purple Line』でオリコンチャート1位を獲得しました。
ご記憶の方も多いでしょうが、BoAも東方神起も流ちょうな日本語を話し、日本語で楽曲を歌っていました。彼らは、韓国での実績をたずさえて日本デビューしたわけではありません。