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コロナ専門家会議、議事録作らず 歴史的事態検証の妨げに

共同通信
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  • 山田 政弘
    ジェミニストラテジーグループ株式会社 代表取締役CEO

    議事録を作成していない理由として想定されるのは3つ。
    「責任の回避」「情報の隠蔽」「激烈な議論の秘匿」である。

    1つ目の「責任の回避」について。
    結局、専門家会議と言っても初期の状況下では不確定要素が多い中、ザックリとした判断材料だけで「エイや」で決めていることは想像に難くない。
    「そんな議論のレベルで判断していたのか」と、そのザックリ感が見えてしまうことや、人の生き死に、経済への大きな影響をもたらしている中で、意思決定の善し悪しについて後日糾弾されてしまう事態を避けたい、という意図は当然働く。
    何せアベノマスクという失敗事例だけでこの騒ぎである。(と言ってももちろん税金の無駄遣いなので糾弾されるのは当たり前だが)
    アベノマスク以上に大きな余波になるのを避けたい、と考えても不思議ではない。

    もう一つの理由である「情報の隠蔽」については、よく言えば情報統制である。
    各種集計データの誤りによる政府発表情報への信用性失墜を避けるため、だったり国民のパニックを引き起こさないための各種情報の過少申告(虚偽の発表)などの情報操作は多かれ少なかれやっている可能性はある。

    最後は「激烈な議論の秘匿」。
    過去の政府発表を見る限り、専門家会議では、様々な将来シナリオを描いて死者数のシミュレーションを行い、半ば意思決定とも取れる議論を実施して来ている可能性が高い。
    その場合、「シナリオBでは死者数が最大XX万人になる」とか「集団免疫の方向でいくとXX人くらいの死者数にはなるだろう」など、人の死を「数値」として認識して、カウント、議論している様が克明に写し出されることになる。

    決意として「国民の命を守る」という基本姿勢は大事だが、意思決定に際してこれだけでは単なる感情論になってしまう。
    意思決定をする上では人の命、はたまた死を数字に置き換えて議論しなければならない。
    この際の議論の内容、表現などが激烈な場合、これこそ後ほど糾弾されないために秘匿しておいた方が良い、と考えるに至るのは一つの考え方として自然だと言える。

    ちなみに作成していない、としているが、実は作成しているが公表したくない、というのが意図だと思われる。
    流石に録音も議事録も作成していない、ということは会議の性質上あり得ない。決めた内容とその根拠を誰かの私的なメモだけで関係者に共有するというのだろうか。。


注目のコメント

  • 豊田 真由子
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    元厚労省官僚、元衆議院議員 元厚労省官僚、元衆議院議員

    (1)発言者が特定されない形の「議事概要」は作成されており、発言者や発言内容を全て記録した議事録は作成していないということで、したがって、定められたルールには則っている、かつ、自由闊達な議論のために発言者を特定しないというのは、一般的に十分に合理的です。とすると、言えることは、必要に応じ、一定期間経過後の公開等を含め、改めてルールを整備するということだと思います。

    (2)専門家(会議)に、現状分析や予測、指針等を示してもらい、それを基に、判断し、感染防止策及び社会経済への影響緩和策等について、国の方針を決定し、責任を取るのは、あくまでも行政(内閣)と立法(国会)の役割です。大臣や首相は「専門家のご意見を伺って」と強調しますが、結果について「専門家の言う通りにやったのだから、自分たちの責任ではない」は許されません。

    (3)新興感染症への対応は、その時点時点の限られた情報・データを基に、最善と思われる対策を取っていくしかないという限界があります。「あのとき、もっとこうした方がよかった」というのは、基本的には、あくまでも結果論です。


    (2)について、改めて少し整理。
    専門家会議は、新型コロナウイルス感染症対策本部の下、新型コロナウイルス感染症の対策について医学的な見地から助言等を行うため開催されるもの。(令和2年2月14 日対策本部決定) 

    日本国憲法上、行政権は内閣、立法権は国会に属します。専門家会議の委員は、内閣や国会の構成員ではなく、行政権や立法権といった権限を行使する立場になく、その権限の行使に伴う責任を負う立場にもありません。

    政権が専門家会議を根拠に発信すれば、専門家に責任が所在するように受け止められ、また、専門家がメディアで国民向けに説明する機会も多く、結果、批判の声も向かってしまいます。
    しかし、国民もメディアも、専門家の果たすべき役割は、分析や助言が、現在求め得る科学的根拠に基づいて誠実に行われたかどうかのみにあって、政策の内容や生じた結果の責任は、全面的に政権・政府が負うという事を、認識する必要があります。

    専門家の方々も厚労省に缶詰めになっている大学の専門家チームも、ひとえに、知見と経験を活かして、日本と日本国民を救いたいという矜持と使命感に基づいて奮闘しておられると思います。


  • 藤沢 烈
    一般社団法人RCF 代表理事

    一般の方がイメージする「議事録」とは、省庁がいう「議事概要」であり、これは公開されています。
    つくられていないとされる「議事録」とは、発言者の名前と一言一句がすべて載ったものです。これを徹底すると、参加者は事前に原稿を用意し、そのとおりに発言するだけの儀式的な内容になる恐れがあります。(実際、経済財政諮問会議などはそうなっています)
    喧々諤々と議論してもらうためには、数年後に公開するといった形をとる必要もあるように思います。


  • 大山 敬義
    暦オタ・ガジェオタ・ミリオタ・時々謎のPro Picer

    お役所の会議に出たことのある方ならわかると思いますが、この辺りは官僚という組織は非常にしっかりしていて、事務局がちゃんと毎回精緻な議事録を作ります。
    つまり事務的な不手際ではなく、最初から発言者が特定できる議事録を作らない、というか、敢えてないという体裁を取ることを前提に行われたものだったと思われます。(追記:タイトルで誤解を招きそうですが、指摘されている専門家委員会の記録でも、議論の内容自体ははきちんと記録され公開されています。ただ発言者が記載されている議事録がないのが問題とされているのです)
    恐らく後日会議上の発言によって、研究者が世間から非難を浴びることがないよう最初にそのようなルールが定められ、それを前提に学識者の自由な発言を求めたのでしょう。
    これ自体は非常時に必要な処置であったとみるか、許されざる隠蔽とみるかは微妙なところです。

    とはいえ、今後もこのような形で公文書管理のルールが恣意的に行われることは好ましいことではありません。
    外交や防衛以外の機密文書や非常時の議事録についても、隠すのではなく一定の期間秘匿とし、一定の期間後に歴史的検証のためきちんと公開する様一層の法整備をしておかないと、同様の恣意的なルール運用は今後も行われ続けるでしょう。
    現状のように単なるガイドラインでお茶を濁すのではなく、キチンとした公文書管理の法整備こそ政治に求められるものだと思います。


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