【小林弘幸】疲れたときほど体を動かす

2020/6/11

母親の死から医学の道へ

私が医師を目指すことになったのは、高校3年生のときです。母親をすい臓がんで亡くしたことがきっかけになりました。
両親は共に教師でしたが、私は子どもの頃から科学や人体に興味があって、医学にも関心がありました。
それが、母ががんの宣告からわずか数カ月で他界してしまったことで、人生には予期せぬことが突然起こることを実感し、人の健康や命に寄り添う医師になろうと考えるようになりました。
小林弘幸(こばやし・ひろゆき)/順天堂大学医学部 教授、日本スポーツ協会公認スポーツドクター
1960年埼玉県生まれ。87年順天堂大学医学部卒業。92年同大学大学院医学研究科修了。 ロンドン大学付属英国王立小児病院外科、トリニティ大学付属医学研究センター、アイルランド国立小児病院外科での勤務を経て、順天堂大学小児外科講師・助教授を歴任。95年順天堂大学医学部総合診療科に大学病院では日本初となる便秘外来を開設。2006年同総合診療科、病院管理学教授に就任。国内における自律神経研究の第一人者、腸のスペシャリストとして、プロスポーツ選手、アーティスト、文化人へのパフォーマンス向上指導に関わる。『聴くだけで疲れがとれる 自律神経リセット』『「寝入りが9割」の睡眠技術』(ポプラ社)、『心穏やかに。人生100年時代を歩む知恵』(齋藤孝氏との共著)『名医が実践! 心と体の免疫力を高める最強習慣』(6月17日発売、プレジデント社)などの著書のほか、メディア出演も多数。
私は今では自律神経の研究を専門としていますが、もともとは外科医で、小児外科を担当していました。
外科医になったのは、大学時代のラグビー部の監督が、小児外科の教授だったという単純な理由です。そちらに進まざるを得ない雰囲気があったんですね(笑)。

「一生歩けないかもしれない」

私はそのラグビー部でも、予期せぬ突然の出来事を経験しています。
医学部6年生のとき、試合中に足の脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)を複雑骨折してICUに搬送されて、医師に「一生歩けないかもしれない」と言われたのです。
その後は約4カ月の入院生活を余儀なくされ、医学部の卒業試験は病室で一人きりで受けることになりました。
もうすぐ医師になれるという希望に満ちていた時期に、突然の大ケガに見舞われた私のショックは大きく、絶望していました。
(写真:HRAUN/iStock)
それを救ってくれたのは、私が入院した翌日に相部屋になった、同年代の男性の存在でした。
彼は元気そうに見えましたが、聞けば骨肉腫を患っていて、手術後、2カ月ほどで亡くなってしまいました。