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専門家として申し上げたいことはたくさんありますが、1つ。何かあるとEUは崩壊の危機であるとか、失敗だったという声がすぐ出てきますが、だったらEU以外の何が代替策としてあったのか?を考えなければなりません。

元々EUとは強過ぎるドイツを封じ込め、その上で共産圏に抗する勢力作りという意味合いがあり出来たものです(それを綺麗に表現すると「非戦の誓い」になるわけです)。危機の時にしかEUを見ない人々がEUの機構を理解せずに歴史に無頓着な発言をする事が多すぎと感じます。

現在の危機対応にしても内輪揉めは危うさは確かにありますが、ECBは鉄板のキャピタルキーを曲げてもイタリアを支えています(但し、今は買いすぎゆえ出口戦略でかなり工夫が求められましょう)。

崩壊の危機自体は認めつつ、ユーロプロジェクトは20年、なんだかんだ上手くやってきたという事実も真摯に評価したいところです。現況については先週、日経新聞に寄稿させて頂きました。宜しければ御参照くださいませ。

EUが直面している第3の危機 唐鎌大輔氏:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59093320U0A510C2SHE000/
EUには、非常事態に対応するための権限はほとんど与えられていません。いい方を変えれば、EUというのはこういう状況のためにできている機関ではないので、何もできなくても仕方ない、ともいえます。
 しかし、今問題になっているのは、EUという存在が、主権国家各国が非常事態に対応する能力を縛ってしまっているのではないか、ということでしょう。財政規律や国境管理において、EUが握っている権限が大きいためです。不要論、というよりも「EUは邪魔である」という論が出てきているといえるでしょう。
「EUの権能は法的に決まっており、その範囲内でしか動けないという点が、主権的な存在である国家と根本的に異なる。」といわれた後に、カール・シュミットを持ち出されているのは、EUの本質と弱点を的確に示された指摘です。
 EUにできることは法(欧州共同体設立条約と欧州連合条約)で決まっている、それでは国家にできることは法では決まっていないのか?というと、これはイエスでありノーです。
 国家とは(教会が絶対的権威を失った近代では)、地上に並ぶもののない力を持った巨大な怪物、リヴァイアサンです(ホッブス)。この並ぶもののない力のことを「主権」と呼びます。国家も法(憲法)によって制約されるのではないかと思われるかもしれませんが、憲法が制約しうるのは君主、もしくは政府であって、国家ではありません。
 国家という法人は、何でもできるのです。実際、20世紀だけでも、戦争や内戦、その他の非常事態において、超法規的な措置をとった例は、無数に挙げることができます。
 ただし、「主権国家」というのはあくまで法人であり、フィクションです。「主権国家」という人間はおらず、何かを決断するわけではありません。「例外状態において決断する者が主権者である」というのがカール・シュミットですが、実際に例外状態において決断するのは、主権を委託されたということになった国家元首や内閣です。
 EUには主権は無く、決断する者がおらず、決断できるだけの根拠もありません。人命を犠牲にすることになる宣戦布告もできなければ、非常事態宣言も出せません。そもそも、通常の主権国家にある司法権もありません。人権を制限するような行政権力もほとんどありません。そういうものが、通常時にはともかく、例外状態においてどういう役に立つのか、が問われています。
日本におけるEU懐疑論者ないしは崩壊論者は、科学的とは言えず良く言えば規範的であり、悪く言えば感情的です。一種のルサンチマンをぶつけているだけようなコメントが、懐疑論者や崩壊論者には数多い。

システムとガバナンスは切り分けて考える必要がありますが、いずれにせよEUは一種の「均衡状態」にあります。当然、部分的に見れば良い点も悪い点もありますが、それはどの均衡にも言えますし、であるからこそ比較するなりして問題点を抽出し、後世につなげていく必要があると感じます。

具体的には、イタリアがEUに属せずにこの荒波に晒されていたら、自力での資金調達も厳しかったはずですし、それこそEUからの資金支援などもなかった。これは良い点です。
他方で、セルビアなど加盟目前の近隣諸国への対応は、国際政治的に見てやはり頂けない。移民・難民問題をめぐる、いわゆる「バルカンルート」への対応をややこしくした感が否めません。

繰り返しとなりますが、問題点を直ぐEU崩壊につなげる報道、論者のあり方は、やはり稚拙と言わざるを得ない(そうしないと感心をもたないという読み手の問題もありますが)。
責任と権力は裏表なので、危機において大きな責任を負っていない組織の対応が弱くなるのは当然な気もします。主権国家は、国民の生命に対して責任を負っているので、ロックダウンなどの権利を与えられています。

一方で、EUは強権的な対応ができないため、なかなか難しい立場でした。その中で今回は、あまりにも「見せ方」を間違った、という感じがします。
コロナとEUについてまとめて論じる機会を得ました。ご関心の向きはどうぞご笑覧くださいますよう。3分で読めるかしら。。。


「コロナで高まる「EU不要論」の誤解と正解」(遠藤乾、北大公共政策大学院長)
国難が起きれば皆自国のことばかり、になるが仕方ないように思える。自国の国民ですら救えるかわからないのに、その他の多くの国の心配をできる余裕なんてどの国にもないはずだ。
むしろ、国境を開いていることが人の往来を許し、リスクにすらなる。
こういったときは連合体は機能しないのだろう。
いままでEUを一つの国のように見た。
しかし、コロナショックの中ではイタリアやスペインに対してははなしてほかのEUの国は支援しただろうか。

中国にいるので、武漢(湖北省)ではコロナの感染が多くなると、中国ほかの省、市、自治区はみんな医療チームを派遣して、コロナと戦った。
これでは感染の拡大を防ぎ、また医療チームの派遣によってコロナとの闘うノウハウも手に入れ、後に何かあったらすぐそのノウハウを使うことができた。
武漢への支援は、また各自の省、市、自治区の予防にも役立つ。

EUではこのような動きがあっただろうか。
そもそも経済の連帯を目的として作られたEU、これから防疫にも役立つか。そこへ進化していくか。
おそらく超エゴイズムのイギリスのように、EUからの遠心力は多くの国のなかにある。

EUは進化するのではなく、後退すると思われる。
進化の思想などはこの頃のEU諸国からとても見つからない。
EUと統一通貨ユーロの問題がなんかごちゃ混ぜになってますね。EUという共同市場の枠組みは残ると思いますが、ユーロいらねーと統一通貨を出ていく国がこの先出て来ても不思議ではない。イタリアは対外純債権国でかつ経常収支は黒字。普通に自国通貨と自国通貨建て国債を発行していればソブリン危機など起こり得ないんだけど、ユーロに入っていることでECBに金融政策を握られ、財政政策も制限されてしまう。
EUがなかったら?という頭の体操は興味深い。色んなことが考えられるが、ギリシャからイタリア、スペイン、ポルトガルまでIMF管理下に入ってぼろぼろだったかもしれない。フランスでは、ルペンの極右政党が誕生していたかもしれない。ドイツでも極右の勢力が増していただろう。東ヨーロッパは、プーチンのロシアと、中国にかなり支配されていたかもしれない。またトランプ大統領の圧力にも、抗えなかっただろう。EUという仕組みは不完全であろうが、こうした力の論理が横行する世界において、やはり極めて有効な枠組みではないだろうか。また、なんだかんだ言って、危機を乗り越えるたびに、より柔軟により強靭になっている点も見逃せない。
EUは域内での経済活動や社会活動をスムースにするという目的で発足した共同体。主権国家の集まりで、主権の一部をEUに委ねるというコミュニティです。

常に議論されるのが、コミュニティの結束。これは一筋縄ではいかない。常にほころびが出ます。ブレグジットもそのひとつ。

今回の未曾有のCOVID-19パンデミックで、主権国家が自国優先に走ったために、EU加盟の意味に疑問の声が上がっています。誰も経験したことのない事態ゆえ、致し方ない面はあります。そういうほころびも、いずれ修正されるでしょう。

緩やかな共同体でありながら、意思決定は早く、次々に施策を打ってくると思います。特に金融政策では。