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センバツ、史上初の中止 新型コロナ拡大で、日本高野連

共同通信
日本高野連は11日、新型コロナウイルスの感染拡大の中、大阪市で第92回選抜高校野球大会臨時運営委員会を開き、兵庫県西宮市の甲子園球場で19日から無観客で開催方針だった選抜大会の中止を決めた。選抜大会は太平洋戦争の影響で1942~46年に中断したが、予定されていた大会が中止となるのは初めて。
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NPBプロ野球も開幕延期ですし、学校は一斉休校で他の高体連スポーツも軒並み中止ですからさすがにやむを得ない。
追記
ちなみに経済の動きだけを言うと放映権料を夏も春も高野連は取っていなく、NHKは仕入れタダで放映しているはずなので無観客で放送だけやっても高野連には何も入ってこないです。もちろんCMもありません。だから無観客でやるインセンティブは元々弱かった。無観客やったら赤字です。
春高バレーや正月サッカー、ラグビーの放送は民放なので、主催の競技連盟はともかく放送局にはCMなどの収入がありますから無観客でもやるインセンティブはありました。
本当にくだらない。
批判派の意見には、「サッカーもラグビーも中止しているのだから野球だけやるのはおかしい」というのがある。なんだ、この足の引っ張りあい。サッカーもラクビーもやりゃあいいじゃない。
そもそもコロナを極度に怖れる風潮自体いかがなものかと思うけど、オープンな環境下で試合をやることのどこにダメ出しする理由があるというのだろう。
屋外の無観客試合なのだから、やればいいじゃないか。
 こういうロジックがない決定は、単なる同調圧力であって、いちばんたちが悪い。ことの是非を知性で測定するのでなく、“非国民”的な空気で覆うことになる。
どちらの結論でも賛否でるので難しい決断ですが、個人的には「否」ですね。
震災の時もそうでしたが、日本の「過剰自粛」圧力はすごいですね。当時よりもSNSなどでの炎上がしやすくなり、さらに安全運転サイドに決定が振れがちなのは意思決定者のメンタリティから考えれば仕方ない面もあるとは感じます
今朝の「子供が公園で遊ぶのはOK」という発表も、「自分で判断すればよく、そこまで言う必要ないのでは?」というコメントも多かったですが、実際に公園で遊んでると近所の人に白い目で見られたり、教育委員会に抗議の電話が殺到する、みたいなのを見ると、やはりわざわざでも表明すべきと感じます
全く非科学!合理性なさすぎる。無観客でやればリスクなんて殆どない。高校球児が可愛そうすぎる。事なかれ主義の極み >センバツ、史上初の中止。日本高野連、開催断念
ショックです。ここを目指して、一生に一度になるかもしれないチャンスを得た選手たちの気持ちを考えるとなんともいえない気持ちになります。ただ、状況を考えて、高野連は苦渋の決断だと思います。

出場予定だった32校です。忘れないように記しておきたい。
白樺学園
仙台育英
鶴岡東
高崎健康福祉大高崎
山梨学院
東海大相模
桐生第一
花咲徳栄
国士舘
星稜
日本航空石川
中京大中京
県岐阜商
加藤学園
天理
大阪桐蔭
履正社
智弁学園
明石商
智弁和歌山
倉敷商
鳥取城北
広島新庄
明徳義塾
尽誠学園
明豊
大分商
創成館
鹿児島城西
帯広農
磐城
平田
高野連は、年寄りの事勿れ主義と思われてしまう。
無観客でやればいいだけでは?
高校生の夢をなくすに値する議論はしたのか?
若い人の感染率は少ないというデータは考慮したのか?
クラスター感染の意味を正確に理解しているのか?
判断した根拠を高校生が納得するように説明すべき。

高校生の夢をどのように実現できるか、知恵を出すのが大人の役目。

国会は無くしてもいいが、これは残念すぎる。
選手が集団で生活するホテル、移動のバスという感染しやすい環境を考えるおと、無観客でも実施しないほうが妥当。
過剰な同調圧力という批判はあたらない。
他の選抜競技は中止する中、野球だけ実施というのはどうなん?
とは思っていましたが、
公園で遊ぶのはOKで、屋外での野球はダメとはこれ如何に?とも思うわけです。

どちらかというと高校の選抜競技全て、一定の基準に作って、無観客で実施してほしかった。
本来、感染リスクを冷静に見極めて論理的に判断していくべきものが、結局、「周りが自粛しているから」であるとか「万が一感染したら」といった世の中の空気的な流れで判断がされているように思います。

そもそも国家単位での一斉休校は、いわば最終手段だと思うのですが、それを最初に発動してしまった。こうなると「教育」という子どもの第一優先事項を止めてしまっているので、子供たちの行う活動はその感染リスクの大小に関わらず全て自粛とならざるを得なくなります。

ここまで自粛へと追いつめながら重症化しやすい高齢者が集まる娯楽が未だに開いているという状況に、コロナとは別の意味でストレスを感じます。