元生徒会長と校長が教える、時代遅れのルールとの向き合い方

2019/4/10
 パンテーンが主導した「#この髪どうしてダメですか」というハッシュタグが、SNSで8万件近くつぶやかれ、大きな盛り上がりを見せている。
 4/8に公開されたドキュメンタリームービー「#この髪どうしてダメですか 生徒と先生の対話」は、実に500万回近くも再生されている。
日本の学校の髪型校則について、地毛証明書を提出したことのある生徒と先生がホンネで議論。今まで生徒からはなかなか聞けなかった質問や、先生からは伝えていなかった考えをやりとりできる対話の場をパンテーンがもうけた。
 昨今取り沙汰されている、学校現場でのいわゆる「ブラック校則」問題。中でも2017年、大阪府の女子高校生が起こした「黒染め強要訴訟」。生来の茶髪の黒染めを強要されたことが問題視された。
 他にも、根拠のない服装指導や下着の色指定、水飲み禁止などのブラックな校則は、古めかしい風習ではなく、現在もれっきとして残っている。
 パンテーンが行ったアンケートでは、“当事者”としてルールを指導していく立場である教員のうち、実に9割以上が「時代に合わせて、校則も変わっていくべき」だと答えている。
 なぜいつまでも旧態依然とした社会のルールが変わらないのだろうか。
 NewsPicks Brand Designは、パンテーンの問題提起を受けて、どのように社会を前に進めることができるか、2人の識者を訪ねた。
 小中高と生徒会長的な役回りをこなし、現在は社会起業家でプロピッカーであるアソビュー代表の山野智久氏と、大胆な改革が評判を呼ぶ千代田区立麹町中学の校長・工藤勇一氏だ。
 ビジネスと教育、異なる現場のリーダー2人に、今回校則やルールとの向き合い方・変え方について聞くと、取材前には予想しなかった一致が見えてきた。
優れたリーダーは「観念」から脱却する
「遊び」「体験型アクティビティ」のプランを提案する国内最大級の予約サイト「asoview!」を提供する会社、アソビュー代表の山野智久氏は、小学生時代は児童会長を務め、それ以降も生徒会議長や学級委員など、常に学校内のリーダー的ポジションに就いてきた。校則をはじめとした社会のルールとの向き合い方や変革の方法について聞いたインタビューの射程は、現代のリーダー論にまで及んだ。
1983年生まれ。明治大学法学部卒業。学生時代に千葉県柏市の地域情報を発信するフリーペーパーを創刊。累計30万部を発刊した。2007年株式会社リクルート入社。新規事業の立ち上げなどを経験した後、2011年に独立。日本最大級の遊びのマーケットプレイス「asoview!(アソビュー)」を運営する。また観光庁のアドバイザリーボードに従事。
 ──まずこちらの、髪型校則について、生徒と先生からヒアリングしたドキュメンタリームービーを見ていただけますか。ご覧になって、率直にどうでしょう?
山野智久 うーん。個人的な見解としては、地毛を黒く染めさせるとか、ダメですよね(笑)。旧態依然すぎる。
 僕が中学生のころは「茶髪・金髪はヤンキー」という観念が一般的にはあったので、頭髪指導が広く行われていたのかもしれません。しかし時代によってそれは変化するので、今は薄れているように思いますけどね。
──山野さんの学生時代はどうでしたか?
 ブラック校則ってほどではないですけど、今考えるとおかしなルールはありました。中学のサッカー部では、1年のうちは、インテルやACミランみたいなゲームシャツを着ちゃいけないとか、最上級生になるまでは黒のスパイク履いちゃいけない、とか、1年生が3年生の水筒を作っていかなきゃいけないとか(笑)。
 人間ってルールで禁止されると、探究心がくすぐられてルールを破りたくなる傾向があると思うんです。染髪を禁止されるからこそ、「茶髪」や「金髪」にしたくなってしまう。
 自分の高校は「自主自律」がモットーの進学校で校則はゆるくて、服装も髪型も自由でした。だからといって、金髪の子なんて、学年で1人か2人。その子は素行が悪いわけじゃまったくない。
──「時代に合わせて、校則も変わっていくべき」と先生の93%が回答しているのに変わらない背景には、学校のトップが絶対的権限を持っていて口出しできない、という事情もあるようです。
 理事長や校長もリーダーなんだから、現代社会や学生たちが置かれている環境、彼らが直面している課題を常に把握して、その都度適切なビジョンを描き続けるのが職責だと思いますね。
 物事を変えるっていう意思決定は、経営と近いんです。「会社の器はトップで決まる」とよく言いますが、じゃあトップの器は何で決まるかというと「観念からの脱却」によると思うんです。
──「観念」ですか?
 観念っていうのは、思い込みや固定概念のことです。
 たとえば、経営だったら、30人規模の会社と150人規模の会社とでは、経営ルールが変化します。でも、30人のときに成功した前例にとらわれて、新しい施策を打ち出せない経営者は多い。これは観念にとらわれているわけです。
 学校運営における「髪は黒くなければいけない」も観念、思い込みですよね。現代社会の変化のスピードに対応して、器を大きくするには、観念から脱却しないといけない。
──山野さんは「観念」にとらわれることはありますか。
 もちろん僕もたくさんあります。例えば出社時間。前職の出社が9時厳守だったから、アソビューを立ち上げたときも始業は9時にしたんです。自分自身、当然そういうもんだと思っていたし、「うちは9時だから」と、みんなに合理的な説明もなく強いていた。
 でも会社の人数が増えて、特にエンジニアが増えてくると「なんで9時なんですか?」と聞かれる頻度が高くなってきて、僕自身「あれ、なんで9時なんだろ」と思った。ようやく「ヤバい、俺観念にとらわれてた」と気づきました。そういうことはたくさんあります。
 観念からの脱却は簡単ではない。現代の優れたリーダーの必須要件は、観念にとらわれず自由に思考し、行動できることだと思いますね。
──なるほど。では自分たちのリーダーの器が狭いときはどうしたらいいと思いますか。
 うーん、難しいですよね。世の中って合理性だけで成り立っているわけじゃない。感情もあるし慣習も固定概念もあるじゃないですか。世の中にはどうしようもない不条理があるってことも、ひとつの学びだとは思います。
 それを踏まえて、頭が固い意思決定者を変えるには、非常にエネルギーを使うはずです。だから、単に理不尽だから、反発するのではなく、「頭髪の校則を変える」ということに、どれだけ情熱を持つか。
 世の中に、不条理なルールがあることを知ったうえで、それを変革しようという情熱が持てなかったら、そういう物事をやり過ごして、自分で自由に解釈することは悪いことではないと伝えたいですね。
ビジョンの共有がイノベーションの鍵
──では、校則を変えることに情熱を燃やす場合は、どうすればいいと思いますか。
 そうですね、「対立することだけが、変革の手段ではない」というのは伝えたいです。
 達成したい目的があるとき、相手と真っ向から議論しても平行線をたどるか、お互いに正論を戦わせることになるので、お互いに譲歩しづらくなる。仮に強引に決着がついても感情的なしこりが残る。
 校則だったら、学校や生徒を守るために大切だと思っている先生に対して、「校則を変えたい」と生徒が訴えても対立は深まるばかりでしょう。だから、「校則を変える」ことを目的にするんじゃなくて、より大きなビジョンから話し合いを始めるのがいいと思います。
──学校で、大きなビジョンですか?
 僕だったらまず「学校本来の目的ってなんだろう」っていう原点に立ち返ってみると思います。
 例えば「地球の明日を担う人材を育成する」のがその学校本来の目的なら、それを達成するために必要なルールやマニュアルであれば必然性があるし、そうじゃないものは不必要だな、と判断できますよね。
 だから「非合理だから校則を変えてほしい」と訴えるのではなく、まずは学校の目的・ビジョンの認識を共有する。そのうえで、それに対して不必要な校則ではないか、と問いかけたほうが、先生たちも話を聞いてくれるはずです。例えば学校のビジョンが「自律した人材の育成」や「第一志望校の合格」だった場合、頭髪の色は無関係なわけですから。
 先生と対話してビジョンの合意形成ができたら、それを実現する手段として「校則を変えましょう」「頭髪を自由にしましょう」と進めていく。建設的な対話がしたいなら、隣同士腰かけ、向こうにあるビジョンについて話し合うのがよいと思います。
手段が目的化し、型になってしまった日本の教育
現在の教育現場を変革し、注目されているのが麹町中学の校長・工藤勇一氏だ。5年前の赴任以降、校則の廃止をはじめ、定期テストや宿題を廃止し、固定担任制をやめて全員が担任になる「全員担任制」を導入するなどの施策を次々と打ち出し、自律した子どもを育成してきた。
1960年山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学卒。山形県・東京都の中学校教諭、新宿区教育委員会指導課長などを経て、2014年4月から現職。現在は安倍首相の私的諮問機関である「教育再生実行会議」の委員をはじめ、経産省「EdTech研究会 委員」、産官学の有志が集う「教育長・校長プラットフォーム」発起人など多数の公職についている。著書に『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)がある
──「#この髪どうしてダメですか」という問いかけを聞いて、どのように感じましたか。
工藤勇一 「服装頭髪の乱れが心の乱れ」が幻想だとみんな気づいてるはずなのに、いまだに学生が問わなければいけない現状に違和感を覚えます。
 人種や文化が多様な海外を考えればすぐわかることですが、髪の毛の色の違いは当たり前です。黒髪問題は、教育の本質から外れている。
──麹町中学校では、校則をなくして、問題はありませんでしたか。
 ありません。私が赴任する5年前までは麹町中にも厳しい身なり指導がありましたが、校則をなくしても何の問題もなかったです。茶髪の子もアフロヘアのような子もいますが、誰も気にしてませんよ。むしろ問題は大人が問題だと言うから問題になるとも言えるんじゃないでしょうか。
──なぜ理不尽な校則は変わらないのでしょうか。
 やはり手段が目的化しているからだと思います。私が中学生のときは学生運動のあおりから、学校内でのリンチが日常的にありました。荒れた時代に対応するときには厳しい校則も一定の合理性があったかもしれません。一度成功した手段が目的化して、時代が変わっても採用し続けてしまっている。
 やはり日本文化の傾向として「型(手段)にこだわる」というのがありますね。
──古い型にこだわってしまっている。
 なぜかと言えば、型が「概念化」されて、それを問題視しているからです。つまり「服装頭髪の乱れが心の乱れ」といった概念として、問題にしてしまうんですよ。
──その古い型、つまり理不尽な校則を変えるには、どうすればいいのでしょうか。
 理不尽な校則は“変える”のではなく“なくす”べきものです。黒髪問題は校則があるからクローズアップされている。校則があるから、問題として顕在化するんです。
 校則やルールの変更は《セーフ/アウト》の線引をし直すことに過ぎません。生徒と先生が議論した結果、茶髪がオッケーになっても、「じゃあパーマは?」「ドレッドは?」「金髪は?」と話は延々続く。こんな議論はむなしい。先生と子どもは人生において、もっと本質的な話をするほうがいいですよね。教育の本質と無関係な議論に時間を費やすのはもったいなく思います。
 教員だって、その校則が意味がないという合意形成があれば、指導しなければいいはずなんです。指導すればするほど、子どもとの会話は校則に対するメッセージばかりになる。そしてそれに反発する子も出てくる。そもそも指導されなかったら、教員と対立構造をつくってまで、自分の髪型や服装を気にするなんてことはありません。
校則ではなく、“教師である自分”が基準
──校則を不合理だと思う、現場の教員たちはどうすればいいのでしょうか。
 私も一教員のときは心底悩みました。僕も中学生のころは長髪を注意され、バリカンで頭を刈られたこともあります。自分が中学生のときに理不尽だと思っていた校則を子どもたちに守らせる立場になってしまった。
 でも、悩んだ末に使った言葉は実に簡単でした。 「君のその格好、僕は好きじゃないな」と少しうそをついたんです。
──うそをついた?
 校則ではなく、“教師である私”を基準にして当事者として生徒を指導したんです。
 私も校則はくだらないと思っていましたし、茶髪だろうが金髪だろうが別にどうでもよかったけれど、当時の与えられた権限では変えられなかった。とはいえ、たかが校則違反で子どもたちが理不尽なペナルティを受けるのも見てられない。
 子どもたちとの信頼関係は築けていたから、「その格好が好きじゃない」と言えば直してくれると考えたんです。子どもたちも受け入れてくれました。「ヒラ社員」にできるギリギリの対応がそれでしたよね。
──理不尽なルールには反発する子どもも、自分が好きな先生の言うことなら聞く耳を持つ。
 そうですね。僕は教員として子どもたちの前に立ったとき、自分はこの子たちのリーダーにならなきゃと痛感しました。
──いち教員として、ルールを変える側に回ったことはありますか。
 あります。一度、自分も荒れた中学校に転任したことがありました。そこでは、赴任してすぐに学年の先生方に「僕に生徒指導のすべての権限をくれ」と、そして、その年の終わりごろには、校長に「次年度は学年主任にしてくれ。僕が責任取ります」と伝えたんです。それが35、6歳のときですね。
──そんなに荒れてたんですか。
 窓ガラスがなかったり、チョークケースは灰皿代わり、教室でタバコが燃えていることもありました。天井はいくつも穴があいてるし、壁には投げつけられたトマトやみかんがこびりついている。
 掲示板もカッターで切り刻まれて、下地のベニヤ板にすら穴があいている始末でしたよ。図書館も数年前から閉鎖されていた。もうそこらじゅうめちゃくちゃでした。
──それは大変ですね……。
 荒れた環境を立て直すには、乱暴な言い方かもしれませんが、大きく2つの指導の方法があると考えます。
 ひとつは、「黙って言うことを聞け。何も考えるな。考えるべきことだけ考えて、言うことを聞きなさい」と言って、ある意味、生徒の自律を一部奪っていく方法ですね。生徒を当事者にさせることなく、言うことを聞きなさいという。そして、教員の指示にきちんと従う子どもができることこそがすてきなこととされる。
 一方で、「自分たちで考えなさい。君たちの生活だから君たちでやるんだ」と、生徒を当事者として、生徒自身の自律を伸ばしていく方法がある。
──そこで生徒指導の権限を預かって、工藤先生はどうされたんですか。
 これだけひどい学校だから「命や人権が大事だ」ってことをまず教えなきゃいけない。服装頭髪の問題はあとにしよう、ということを伝える内容のペーパーを一枚作って、学年の教員にそれを徹底した。
 さらに、1年生の最初の学年集会で僕に話をさせてくれといって子どもたちに話したんですよ。
 まず、学校は荒れ放題だけど、いつでもかならず僕らが助けるから、ちゃんと声をかけてねと伝えました。
 そして、彼らに2つのことを覚えてほしいと言いました。
 ひとつは、「命、人権を大事にしてほしい」ということを伝えて、それを守らず、暴力を振るったりすれば、必ず厳しく叱り、場合によっては警察に協力してもらうこと。
 髪の毛を金髪にしたり、私服を着ても、そんなことは自由にやればいいと。命や人権のことと比べればたわいもないことで、君たちがどんな格好をしたとしても、そんなことで先生たちの君たちとの付き合い方は何も変わらないよと。
──なるほど。
 ふたつめは、「信用」を得られる人間になってほしいということです。そして信用の大切さと仕組みについて説明をしました。
──信用の仕組み、ですか。
 人が世の中で生きていくためにもっとも大事なのが「信用」であること。そして、口先だけでなく、ひとつひとつ行動を積み重ねていくことでこそ得られるものである、ということを丁寧に伝えました。
──工藤先生は、そうやって現場からルールを変えていったと。
 もちろん、簡単なことではないですが、生徒との信頼関係のもとで、自分が責任を取る覚悟を持てば、校則がなくとも生徒を導けるはずです。
 やはり先生も生徒も対話を通して、当事者になって、現状を変えるプロセスを経験していくべきだと思います。
 逆に変えられないとすれば、誰も“当事者“になれなくて、誰かが変えてくれるのを待っている。厳しいことを言うようですが、トップダウンで誰かが変えてくれ、という人任せの結果ですよね。
目先の対立に惑わされず、本当に大事なことを共有する
──現場の先生にできることがある一方で、校則に悩む子の親にできることはありますか。
 これは難しい問題です。校則問題には、2つレイヤーがあります。
 制服を例にとってみましょう。ひとつめのレイヤーは、それぞれの趣味嗜好で制服が気にいらない場合ですね。
 趣味に合わないからと制服を着崩して校則違反する子どもには「君の言う通り、その校則は理不尽だと私も思う」と伝えつつ、「校則を破るのは、君の人生にとって本当に大切なこと?」と尋ねます。
 1日24時間しかないのに、校則にこだわって学校や先生を恨んでいてはもったいない。もっと大切なことを考えてほしいからこそ、そう伝えます。
 もうひとつのレイヤーは、教育的な観点です。制服が、子どもの健康や人格に影響を及ぼすものなのか。衣類アレルギーだったり、ジェンダーに悩む子どもが性別とは異なる制服を望んだりする場合には、子どもを守るため「制服を変えてくれ」と学校に訴えるべきです。
──ブラック校則を変えるにはどうしたらいいのでしょうか。
 まずは「敵をつくらない」ことです。敵をつくったら改革ってできませんから。いま先頭でがんばってる人たちも、みんな良かれと思って今までのことを続けているだけですからね。
 そのうえで、目先の対立に惑わされず、「上位目標はなにか?」をすり合わせる意識で対話をすれば、きっとうまくいくはずです。
 うちの学校では、目的と手段とか、こだわっているものに対して、そもそも「ほんとに大事なものはなに?」ということを共有化することを徹底しました。つまり、みんなで「上位概念ってなに?」って考えるようにしました。
 「確かな学力」なのか、「自主自律して学習・生活する力」なのか。物事を変えていくためには「上位の目標がなにか」と問いかけていくことですね。
 そうすると今こだわっていることは、教育の本質じゃない、とみんな気づくはずです。
 今回、NewsPicks Brand Designは、パンテーンの「#この髪どうしてダメですか」という問題提起を受けて、社会のルールを変えるための交渉術といったノウハウを取材するもくろみであった。

 しかしビジネスと教育、それぞれの現場のリーダーからの応答は、「対立しないこと」「固定観念に縛られないこと」、そして、「上位の目標を分かち合うこと」という点がぴったりと符合した。

 職場のビジネスリーダーであり、家庭をリードするであろう読者諸氏において、社会集団の合意形成をアップデートするうえで、普遍的なヒントになることを願う。
(編集:中島洋一 構成:安里和哲 撮影:小林由喜伸 デザイン:堤香菜)
パンテーンは、「あなたらしい髪の美しさを通じて、すべての人の前向きな一歩をサポートする」ことをフィロソフィーとして掲げ、常に飛躍を後押しするブランドであり続けたいと考えています。
パンテーンは、「あなたらしい髪の美しさを通して、すべての人の前向きな一歩をサポートする」ことをフィロソフィーとして掲げ、常に飛躍を後押しするブランドであり続けたいと考えています。