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この動画で地毛証明証の提出を義務付けられている学校があることを初めて知りました。僕の出身高校は、当時は私服で頭髪も自由だったので衝撃でした。また、「髪染めちゃダメなのに、黒染めはいいんですか?」的な生徒さんからのコメントがあって、え?コント?と一瞬目を疑いました。こんな日本に誰がしたんだと。

こういう目的のない形式的なルールは思考停止以外の何者でもありません。こういう類のモノが世間に蔓延していればいるほど、それが悪しき慣習となり、正しいイノベーションを阻害する温床になると思います。

そもそも学校ってなんなんでしょうか?
学校の本来の目的を「これからの未来を作る若者を育む場」とするのであれば、それに必要なルールはあれば良いし、不要なモノはなければ良いと思います。シンプルです。頭髪規制は何に対して必要なのか、校則の項目一つ一つが何を実現するための手段なのか、今一度教育現場で考えるキッカケになればなぁと期待しています。

最後に、本題ではないですが、大事なことなのでお伝えします。わたし、そもそも生徒会長ではないですから 笑!
小学生→児童、中学高校生→生徒、というのが一般的な定義かと思います。小学校時代に児童会長はやりました。生徒会という観点では、中学時代に生徒会議長と生徒会部長長という謎な建前の役職はあったと記憶してます。

編集部の方からタイトルはどうしても元生徒会長と書きたいとということでしたので、注釈を入れていただくことをお約束したのですが、まぁコメントで書けばいいかと思ったのでここでハッキリと記載しておきます。詐称じゃないよ!笑
日本社会のかつての強さであり、そして現在の弱さの最たるものは学校なり会社なりといった集団の均質性を保つことに払う、並々ならぬ努力です。
これは髪型だけでなく、服装、言葉遣い、サラリーマンならスーツ・ネクタイから始まって靴の形、色に至るまでいちいち同一であることが望まれます。
その理由はただ一つ「周りへの影響を考えて」です。

正直私の働く丸の内界隈では、かつてはスーツネクタイ以外の人種は、極端な話よそ者か、出世街道から外れた人以外いませんでした。
(だから私のアイコンだって丸の内のお約束に従いちゃんとスーツにネクタイです)
ダイバーシティなんてお題目というか、社員全員に均質性を要求した上で、経営者の全員がダイバーシティと言う名の均質的なスローガンを吐くと言う皮肉こそ、現代でも一流と言われる企業界隈でよく見られることだったりします。

私が若い頃はそこまでではなかったし、それ以前は諸先輩の話を聞くに、もっと破天荒な人物が堂々と活躍しいた時代もあったようなので、この事態はここ20年くらいの教育の作り出した産物という側面が大きいと私は思っています。
遠回りなようでも、日本を変えるにはこうした理不尽がまかり通る教育を変えていくことが、結果的には近道のように思うのです。
スポンサーのブランドメッセージに即して「ブラック校則を変える」というお題でお二方がお話しになっていますが、少し違う角度から。
私が学生の立場であれば、そんな学校は見限ってさっさと飛び出すと思います。

馬鹿馬鹿しい校則を変えることに若い貴重な時間とエネルギーを費やすほどの価値が果たしてあるのか、もしも当事者であれば落ち着いて考えてみるべきなんじゃないでしょうか。会社も然り。

山野さん同様、私も小学生の時は児童会長でしたが、中学に進学して以降、生徒を子供扱いして抑圧的に管理しようとする学校や教師の姿勢にほとほと嫌気がさし、学校に行くのをやめましたし、卒業後は日本も飛び出してしまいました。今までの人生で最良の選択だったと思います。
大人になった今振り返っても、当時の教師たちは残念な人たちだったと思います。わざわざそんな人たちに向き合う必要もないんじゃないでしょうか。

学校であれ会社であれ、一度属した組織に残り続けなければならないという固定観念に囚われているせいで、多くの人が息苦しく過ごしているように感じます。
実際には外に飛び出してもいくらでもオルタナティブはあります。くだらない学校を飛び出すことは決して非現実的な選択ではありません。
機能不全の組織に所属していると、なんとかしなければと思うのは自然な感情ですし、勇ましいことです。ただ、そこから一度飛び出してしまうと、往々にして変えるほどの価値もない組織だったということに気づくものです。

既存の非合理な組織を変えるのか、見限って飛び出すのか、それとも折り合いをつけてやり過ごすのか。
どれを選ぶかは個人の好みです。フラットに選べばいいんじゃないでしょうか。
学校現場が校則を変えたがらない理由は明々白々です。

「校則を変えた」ことによって、「何らかの問題が発生」することを恐れているのです。

メディアを始めとして、イジメや非行や自殺などの問題が起こると、その原因をあれこれ詮索します。
直前に校則を変えていれば、「校則変更が原因ではないか?」という声が上がります。

責任を負いたくない学校側にとって、そのような事態は最悪。

となれば、「触らぬ神に祟りなし」ということで、昔からの校則をそのままにしておいた方が無難なのです。

役所の「前例主義」と同じです。

無事に定年まで勤め上げ、再雇用や退職金のことを考えている地方公務員の先生方にとっては、しごく当たり前の発想でしょう。

教師である彼ら彼女らの責任ではありませんよ。

一度採用されれば、よほどのことがない限り解雇されないという「厳格すぎる解雇規制」が、そのような発想を生み出しているのです。
いま子供を保育園に通わせていますが幼児ゆえ当然服装髪型登下校の時間全て自由。あるのは園長の年齢別保育方針だけ。

ゼロ歳の保育方針なんて三年経つ今でも読み返して、
親として、組織の責任者として人とどう向き合うかの参考にしています。
保育園でこんなにいいのが義務教育になった途端ルールで縛る、
そりゃ同質化進むよね、と。

ゼロ歳保育方針
①信頼
親以外の相手に要求を示し応えてもらう経験を繰り返し、信頼という人間関係の基盤を築くこと。

②歩行
自分の脚で立ち、歩く。この初めての達成する喜びを周囲と分かち合う。たとえ歩けるようにならなくとも歩行につながる活動を楽しむ、身体を動かす喜びを知ること。
「手段が目的化し、型になってしまった日本の教育」というところに目が止まりました。

日本国憲法も改めましょう。ゼロベースとは言いませんが改憲しましょう。「時代遅れのルール」ですよ。だって、70年も前に作ったものですから。それとこれとは話が別とは思いません。

「学校側が校則を変えたがらない」というのは、「先生たちが授業スタイルを変えたがらない」というところに通じます。

地理という科目で学ぶ自然地理は、地球科学という学問から見れば、「そんな表層部分をなぞるようなことを教えやがって」という批判が結構あります。だから、教科書会社は記述を変えたいと思っています。しかし、学校の先生たちが、「内容が変わると教えるのが大変だ」とか「授業プリントをまた作り直さないといけない」などの理由で、変わろうとしないんです。

教科書会社も教科書を採択してもらわないとご飯が食べられないので、やむを得ず……、といったところがあります。学校って、本当に変わろうとしません。だから、改革者は村八分にされます。でも、やり遂げて欲しいです。

ルールは守るためにあるのではありません。自分たちの生活を良くするためにルールがあるのですから。
「リーダーの器が狭いときはどうしようもない不条理がある」というのは「ひとつの学び」というのは、個別的には成立する処世術です。ですが、それを大規模に許容しては、全体の衰退スピードが加速して全員が不幸になります。

あとは「対立ではなく、大きなビジョンから」というのを若者に強いるのも、なんだかとても悲劇的な感じがします。高齢者の愚かさがデカい分だけ、若者に負荷をかけていいのか、若者には2倍、3倍の賢さと戦略性を期待するというのは、非対称で違和感がありますね。

巨大な愚かさは巨大な悪であり、誰かが除去していかなくては全体が腐ってしまうわけであり、もしかしたら非連続的な変革しか手段としては残っていないのかもしれません。
うちの高校での実際にあった話。(既にコメントしたものもありますが)

①「これは地毛なんです!染めているわけじゃありません」
  →学校は認める。
  →本人周りに「んな訳ねーじゃんw」

②紺のハイソックスは禁止です!
→何でルーズソックスはいいんですか?
→白がOKで、色付き靴下が駄目です!色付きを許可すると赤とか緑とか、そういうのを履く生徒も出てくる。これは風紀が乱れるのでよくない。
→女生徒一同「んな訳ねーじゃん!」
→時代の後押しで紺ソ解禁。誰も赤とか緑は履いてませんでした。
僕はルーズソックスの方が好きでした。(←聞いてない)

③「過度な染髪は禁止」
→真っ白な白髪の先生が全て黒染めしてきた日
生徒「かっ過度な染髪とは・・・」
すでにご指摘がある通り、地毛を染めさせるのはちょっと。

明確な基準がないから真っ黒にしろという話になるのであって。
日本ヘアカラー協会のレベルスケールでも参考にして、範囲を数値で決めたらどうでしょうか。その範囲なら染めても良いよくらいのルールなら、スタイルに気をとられて勉学がオロソカになる心配もないでしょう。
★JHCA レベルスケール
http://jhca.ne.jp/levelscale/

ディズニースタッフのヘアスタイルも実はこのスケールが参考にされてたり。
https://www.castingline.net/disney_qa/look.html
ディズニーの場合、染めるなら染めるで汚いムラがあってはならないというルール。さすが。

ルール自体は必要だと思います。
基準や根拠が曖昧なのが良くないのです。

by元生徒会長
今の学校の制度の中で多くの変革は可能である。このことを麹町中工藤校長は教えてくれます。逆に言えば、今の学校がどれだけ思考停止、そして、子どもたちの成長第一になっていないかを考えさせられます。