フリードリープ・フェルディナント・ルンゲの人生

2月8日のGoogleのロゴデザインは、カフェインという物質を発見した化学者、フリードリープ・フェルディナント・ルンゲの誕生日を祝うものだった。
カフェインは、コーヒーがスーパーフードである理由のひとつだ。だから、ルンゲは「コーヒーが人間の体と脳に及ぼす影響の研究」という偉大な科学的伝統の元祖と言える。彼を称えるために、その人生についての興味深い事実をいくつか紹介しよう。
【1つ目の事実】
1794年2月、世界各地で何が起きていたか
ルンゲが生まれたのは1794年2月9日。同じ週、フランスでは奴隷制の廃止が決議され、アメリカでは連邦議会上院で初の公開討議が行われた。ロンドンでは、ヨーゼフ・ハイドンの象徴的な「交響曲第99番変ホ長調」が初めて演奏された。
この曲はエスプレッソを飲みながら聴くと、いっそういい曲に聞こえる。このコラムを読み進める前に、コーヒーを淹れて、YouTube動画をクリックし、音楽を聴きながら読んでいただきたい(あくまで提案だが)。
【2つ目の事実】
ルンゲが育ったハンブルクとコーヒーの関係
ルンゲが育ったドイツのハンブルクは、1189年に神聖ローマ皇帝から関税徴収権など商業上の特権を認められ、独自に法律を定めることを許可された。1280年にまでさかのぼるドイツ司法制度の先駆けとなったのだ。
ルンゲが育った当時のハンブルクは、教会やコーヒーハウスが数多くある快適な街で、コーヒーは上流階級が好む飲料だった。
【3つ目の事実】
危険な毒物「ベラドンナ」に関する大発見
ルンゲの最初の大発見は、危険な毒物であるベラドンナ(別名「死を招くナス」)が瞳孔の散大を引き起こすというものだった。
ベラドンナのそのほかの作用には、口の渇き、目のかすみ、皮膚の赤みと乾燥、発熱、頻脈、尿や汗が出ない、幻覚、痙攣、精神機能障害、ひきつけや昏睡などがある。総合的に考えて、私ならベラドンナよりもコーヒーを飲むほうを選ぶ。
【4つ目の事実】
文豪ゲーテにもらった1袋のコーヒー
ルンゲは、文豪であり科学にも関心の深かったゲーテから、コーヒーの成分を調べたらどうかと勧められ、コーヒー1袋をもらったことがきっかけで、カフェインの単離に成功した。
ゲーテが書いた小説『若きウェルテルの悩み』は、19世紀に大ベストセラーとなった。コーヒーを飲みながら、ぼんやりと女性のことを考えるのに非常に長い時間を費やしているウェルテルが主人公だ。
【5つ目の事実】
コーヒー好きのナポレオン、ブレスラウの街
ルンゲは、ブレスラウ大学で化学を教えていた。ブレスラウは、コーヒーに夢中だったことで有名なナポレオンによって、ほとんど破壊しつくされるところだった街だ。
同時代に観察していた人々が言うには、ナポレオンは「英気を養い、体を活性化させるために、四六時中コーヒーを飲んでいた……コーヒーがなかったらナポレオンはフランスの皇帝になっていなかっただろうし、ヨーロッパ征服もしていなかっただろう」という。それなりに納得できる話ではないか。
【6つ目の事実】
大学の教職を退き、化学工場に勤務
教職を退いた後、ルンゲは18年にわたって、オラニエンブルクの化学工場で働いた。だが、彼の才能を嫌う経営者と揉めて、退職金もなしに解雇された(当時としては、よくあることだった)。
ちなみに当時、オフィスでコーヒーを飲む者はおらず、飲みたければコーヒーハウスに行くしかなかった。
【7つ目の事実】
貧困とともに閉じた人生の幕
工場を解雇された15年後、ルンゲは貧困の中で人生の幕を閉じた。オラニエンブルクには、ルンゲが何かの化学装置の前にいる姿を表現した記念の像があるが、その右手はコーヒーカップに手を伸ばしているようだ。少なくとも、私にはそう見える。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Geoffrey James/Contributing editor, Inc.com、翻訳:森美歩、合原弘子/ガリレオ、写真:Milan_Jovic/iStock、ilbusca/iStock、duncan1890/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.