【図解・保存版】あなたの中に眠る、“天才”を開花させる方法

2019/1/26
この世界は、天才と秀才と凡人で出来ている。でも、三者は殺し合うことがある──。
私は、1月に発売したばかりの著書『天才を殺す凡人』の冒頭にまず、そう書きました。
最初に断っておきますと、私は天才を礼賛し、凡才を否定しているのではありません。また、特定の誰かを、天才・秀才・凡人とラベリングするものではありません。
むしろ、それぞれの人の中にある、開花していない “天才の正体”を知り、活かすための具体的な方法を示したかった……というのがこの本の執筆の動機です。
仕事に真剣に向き合うNewsPicksの読者の皆さんは、人生で一度くらい、「悔しい」だとか「なぜ、こうなってしまったのか」と思ったことがあるはずです。
この「悔しい」という感情は、実は他人ではなく自分へ向けられた気持ちだと思います。
換言するなら、「自分の才能を活かしきれていないことへの悲しみ」です。
しかし、自分の才能に気づくのは、とてつもなく難しい。
だからこそ、天才と秀才と凡才はその才能を殺しあったり、あるいは、個人も自分の中にある“天才”を殺してしまったりする……。
そこで、本稿ではNewsPicksの読者の皆さんに、皆さんの中に眠る “才能の正体”と、それに気づく方法について、ヒントを提示していきたいと思います。
私は人の悩みとは、大きく分けて2種類しかないと思っています。
1つは、手段の目的化です。
たとえば、社内政治です。当初は、自分がやりたいプロジェクトのゴーサインを貰おうと、上層部に根回しして回っているうちに、いつのまにか、上司の言うなりになっているケースなどがその典型です。
もう1つは、「自分のコントロール出来ないことを、無理やりコントロールしようとすること」です。
そして、冒頭で述べた通り、「自分でコントロール出来ないこと」の最たるものが「自分の才能」です。
言い換えると、多くの人は自分の才能の範囲外で活躍しようと「ないものねだり」している傾向があります。

人の才能には3種類ある

私はそもそも、人の才能は、大きく分けて3種類あると、考えます。
順を追って、この3つのタイプの傾向を説明していきましょう。

1、「創造性」が際立つ天才とは?

自分の創造性を駆使して、世界を前進させるのが天才の役割です。
それを自覚してか、していないかは分かりませんが、天才は「創造性」という軸で物事を評価します。
創造とは、これまでにない物事を作り出すことです。したがって、天才は「究極的な未来志向」。過去にはまったくといっていいほど興味がありません。
人間関係のしがらみや利害関係には、ほぼ注意を払いません。もっと言うと、そもそも人に関心がない。つまり、相対的に共感力が低い。
クリエイティビティは図抜けているものの、時に従業員や関係者に冷酷だと言われるスティーブ・ジョブズやイーロン・マスクをイメージすると分かりやすいでしょう。
天才と礼賛される反面、休日でも突然、従業員を呼び出す、そして解雇するなどを指摘されることも多い、イーロン・マスク(写真:ロイター/アフロ)

2 、「再現性」で勝負する秀才とは?

秀才は、特徴的なポイントが3つあります。
1つは、「共感力」ではなく、「理解力」。人の気持ちに寄り添う共感力は期待できないものの、優秀なだけあって、相手の状況や気持ちについて理解は出来ることです。
凡人は自分が共感できないものは、「賛成できないから」という理由で、すぐに切り捨てるのに対し、秀才は賛同できない対象にも、なぜそのような事態になっているのか、なぜ相手はそう振る舞うのかなどについて、正しく認識することができます。
2つ目は、その高度な処理能力の高さから、物事を仕組み化するのが得意で、効率的な仕事ができること。
(写真:metamorworks/iStock)
そのため、秀才は事業を拡大するフェーズで大きな力を発揮します。
3つ目は、秀才は他者との比較で物事を見る、ということです。
秀才はロジックに精通しているため、数字を駆使することができ、いきおい、数の大小で比較する傾向にあります。
また、学校優等生が多いだけに、自分は何がやりたいのか、どうなりたいかといった主観より、過去や他者との相対で優位性を得ようとする傾向が顕著です。

3、「共感性」が売りの凡人とは?

一方、凡人は「共感性」を軸に物事を考える傾向が高い。
人と仲良くしたいという親和欲求が強く、もっとも大きな関心事は、人に好かれるかどうか、です。
(写真・chombosan/iStock)
そのため、日頃からよく人を観察しており、人を見る目があります。「皆がいいと信じていること」に敏感なため、流行にも感度が高い側面も持ち合わせています。
その高い感度から、自分がこれだと信じられる物事を見つける能力もあります。
人の心の機微を察知する力が高いため、自分が信じた対象を助ける力も高いと言えます。

天才が“殺される”理由

このように、天才、秀才、凡人を分析すると、「世の中を前進させる」天才が、さもかっこよく見えるかもしれません。
しかし、天才はそんなに良いものではありません。
変革の途中で、精神的にも物理的にも“殺される”ことが多いからです。
どういうことか? 図で説明しましょう。
重要なのは、天才、秀才、凡人の3者の関係です。
天才から伸びた線を見てください。そもそも天才は秀才に対して、興味がありません。一方で、凡人に対しては意外にも、理解してほしいと思っています。
なぜか?
繰り返しになりますが、天才の役目とは世界を前進させること。それは凡人の協力なしには成り立たないし、天才のアイデアの商業的な成功は、大多数を占める凡人が握っているからです。
一方、凡人は往々にして、成果を出す前の天才の凄さを認知できないため、ブレイクする前の天才は出来るだけ排斥しようとします。
ところが天才のアイデアが昇華し、有名になると、過剰に持ち上げるのです。その天才が失敗したとき、手のひらを返すのもまた凡人です。
(写真:SimonLukas/iStock)
他方、凡人はロジックを駆使して理路整然と物事を説明できる秀才を「天才」だと勘違いし、崇める傾向があります。
では、その秀才は天才をどう見ているのか?
秀才は天才の創造性が自分にはないものだということが理解できるため、憧れと妬みが入り混じった感情を抱いています。

徒党を組む凡人

ここで、注意してほしいのが、天才が持つ「創造性」、秀才の「再現性」、凡人の「共感性」という物事を判断する上での評価軸に優劣はない、ということです。
ただ、問題なのは「人数の差」です。
私の肌感覚で言うと、その分布は天才1に対し、秀才が10、凡人は100程度の割合で存在します。そうなると、凡人がその気になれば徒党を組んで、天才のアイデアを捻り潰すなどして“殺す”ことは極めて簡単なのです。
(写真:Liliboas/iStock)
ユダヤ教の宗教改革を起こそうとしていたイエス・キリストが保守派から反逆者だとみなされ、ついには、ゴルゴダの丘で十字架に磔られ殺されてしまったのが最も分かりやすい例です。
秀才は天才に妬みを抱きながらも、心の奥底で憧れている──。
私はそう指摘しましたが、結論から言うと、そんなことは時間の無駄だというのが私の意見です。
人生は配られたカードで勝負するしかない──。
私は、この言葉を絵本「スヌーピー」から学びました。
スヌーピーの友達であり飼い主のチャーリー・ブラウンはある日、「スヌーピー、君はなぜ犬なんだい?」と問います。
(写真:jfmdesign/iStock)
すると、スヌーピーはこう答えるのです。
「なぜ犬だって? 仕方ないだろ、人生は配られたカードで勝負するしかないのさ」と。
人が自分の才能を活かすも殺すもこれと同じ理屈です。
1)については、先述した天才、秀才、凡人の特徴のどれが1番自分に近いかを、振り返ることが有効です。
自分は、仲間や同僚など周囲の人から、どう見えるかを聞いてみるのもいいでしょう。
問題は、2)の自分に配られたカードの使い方を知る、つまり、才能の磨き方を知ることです。
他のカードがほしかったなどと「ないものねだり」をするのではなく、勇気を出して、自分のカードで勝負し続けると、才能は絶対に磨かれていきます。
では、どうやって自分の才能を磨くか?
それは自分の「武器」を選び抜き、ストッパーを外すことです。
どんなに才能を持った人でも、それを表現する武器がなければ、世の中に伝える方法はありません。ゴッホやベートーヴェンですら「筆やピアノ」がなければ、その才能を認知させることはできません。
(提供:BBTree Co., Ltd./アフロ)
画家にとっての筆、音楽家にとっての楽器のように自分の才能をもっとも表現しやすい「方法」。それが武器です。
そして、各人に配られたカードとこの武器には、相性の良い組み合わせがあります。
創造性が高い天才タイプは、アートや企業、エンジニアなど、クリエイティブな側面を活かせるのに対し、再現性が高い秀才タイプは、マネジメントや組織作りなどが、強みを発揮しやすい場といえます。
一方、共感性の高い凡人は、人との対話が得意で人の気持ちに寄り添えるという側面を活かし、高い共感度が求められるマーケティングや地場に根をおろした仕事で才能が開花しやすい。
自分の才能の正体を知り、武器を持つ──。
その上で、成果を出すためには、自分に内在する「ストッパー」の存在に気づくことです。
ほとんどの人が、子どもの頃からの教育の過程で、行動を止めるリミッターを身に付け、“自分の中の天才”を殺してしまっています。
自身の才能を尖らせるには、そのストッパーは何かに気づき、いち早くそれを取り除くことです。
では、そのストッパーの外し方のヒントを提示したいと思います。

1、秀才のストッパーとは

まず、秀才の場合です。
結局のところ、天才のアイデアは再現性が低く、事業を拡大させるフェーズになると天才は既にそのアイデアに飽きて別のことをやっていたり、あるいは、事業拡大や組織マネジメントといった仕組み化が苦手だったりします。
こうなると、俄然、秀才の出番です。
事業KPIやCVR、生産性プロセスなどの経営理論を駆使して、事業を拡大させられるという武器を存分に発揮するのです。
ただ、この時邪魔になるのが、“嫉妬”というストッパーの存在です。
(写真:stevanovicigor/iStock)
自身は優秀であることに自覚的でプライドの高い秀才は、時に、人の心を顧みない天才に対して、牙をむく“サイレントキラー”になる場合があります。
たとえば、社長を追い出すため、新規事業がやりづらくなる「管理」を導入する。派閥を形成するなどして社内政治に走る、といった具合です。
秀才は嫉妬に狂うと、得意とするサイエンスを悪用するケースは多々あるのです。
よって、秀才は自身の嫉妬というネガティブな感情を乗り越えることが、正しく自分の武器を使うためのストッパーになります。

2、天才のストッパー

天才は創造性のカタマリですから、常に新しいプランやアイデアを考えることに余念がありません。
つまり、天才は「飽きの中では生きてはいけない生き物」です。
言い換えると、物事や自分の今の状態に飽きた瞬間に、天才は天才ではなくなり、天才から降格します。
そもそも天才が飽きる理由は、「自分なりの勝ちパターン」を確立してしまい、その手法を繰り返すうちに、パターンが見えてきてしまうからです。
幼いときから孤立しがちだった天才は、心のどこかで凡才に好かれたい、大衆に愛されたいと思っています。
(写真:takasuu/iStock)
だからこそ、天才は時に大衆に愛される“勝ちパターン”を踏襲する時があります。
しかし、天才は再現性で勝負した段階で天才ではなくなってしまいます。
だからこそ、創造性を活かしたい人はときに「凡人に好かれたい」というストッパーを外す必要があります。
そして自らが創造した勝ちパターンというコンフォートゾーンから抜け出し、新たな勝ちパターンを作りにいくことで、自らの天才性を発揮することができるのです。

how とwhatを同時に動かすな

もっとも、新しい挑戦をする時、これまでとはまったく違う突飛なチャレンジをすると大失敗する可能性があります。
そこで、私がよく言っているのが、「whatとhow を同時に動かすな」ということです。これは事業戦略でも、キャリアでも同じです。
(写真:Stephane Noiret/iStock)
そもそも、新しいチャレンジをするには、「why(なぜやるか)」「What(何をやるか)」「how(どうやるか)」を考える必要がありますが、このwhatとhowを同時に更新しようとすると、失敗するリスクは急激に高まります。
たとえば、あるドキュメンタリー映画監督が、これまで政治モノばかりを扱っていたのに対し、今度はミレニアル世代の生態を描くドキュメンタリーを撮るという場合。挑戦は「What(何をやるか)」を変えただけなので、すでにある“勝ちパターン”を応用することができます。
しかし、その監督が、ミレニアル世代の生態をドキュメンタリーではなく、ドラマ形式で撮るといったら話は別です。
「whatとhow を同時に動かす」ことになり、失敗するリスクが増大します。
したがって、人が自分を飽きさせない新しい挑戦をし続けるためには、常に「what」と「how」のどちらか1つだけを変えるようにするほうが賢明だといえます。
また、天才は人に興味がないという弱点があるのと、なおかつ、幼少の時から孤独な生活を送ってきた傾向があるので、「人を見る目がない」という弱点があります。
スティーブ・ジョブズはペプシコーラの社長だったジョン・スカリーを「「このまま一生砂糖水を売り続けたいのか、それとも私と一緒に世界を変えたいのか」と口説き、苦境のアップルに招聘した。しかし、スカリーは経営方針の違いからジョブスを追い出した。(写真:AP/アフロ)
よって、天才はこうした自分の弱点を自覚し、たとえば会社を大きくするフェーズでは人事採用は、再現性や共感力の高い秀才や凡人に任せる、といった権限移譲が重要です。
自分は何でも出来ると思いこむこともまた、天才が才能を開花させられないストッパーになってしまうのです。

3、 凡人のストッパーとは?

凡人の最大の強みは、人に共感する力を持っている、ということです。
一方で、前述した通り、「みんなが持っている」「みんなが使っている」といった流行に流されやすい側面を持ち合わせています。
特にそれが凶と出るのが、プレゼンなど人を説得するシーンです。
秀才に憧れてしまった凡人は、自分を大きく見せようとするあまり、KPIやガバナンス、ベストプラクティスといった流行りの経営用語や格好付けた概念を、使いたがる傾向にあります。
しかし、これはとんだ逆効果です。
(写真:annatodica/iStock)
とってつけたような「他人から借りた言葉」は人からすぐに見破られ、軽薄な印象を与えてしまうからです。
もともと共感性が高い凡人は、人からの共感をも引き出しやすいという優位性を持っています。
だからこそ、「ありのまま」の「自らの言葉」を語るべきです。
特に目指してほしいのは、人々の共感を最大化させる「ストーリー」を用意することです。
では、人々の共感を呼ぶストーリーとは何でしょうか?
それは、その物語の中に、アップダウンがあるということです。たとえば『24時間テレビ』のチャリティマラソンをイメージしてください。
これまで、どちらかと言えばテレビの世界で虐げられてきた人が、練習を重ね、悪天候ニモマケズ、人々の声援を得て、マラソンを走り切ることでヒーローになってゆく──。
こうした起伏に富むストーリーが、人々の共感を呼びます。
ですから、凡人は自らの挫折経験や失敗経験を、恥じることなく白状することです。そして、それでも私はこれをやり遂げたというような、波瀾万丈のストーリーを披露するのです。
(写真:Artur/iStock)
ましてや今は、SNSなどを介し、誰もが情報を発信できる時代です。
こうしたツールを駆使して、自分が自分の言葉で情報を発信することが、多くの仲間の共感を得ることに繋がり、才能を開花させる近道になるのではないでしょうか。
また、凡人の中には、あまりに共感性が高いため、誰が天才かを見極め、その才能を信じる力を持っている「共感の神」のような人が存在します。
(写真:joshblake/iStock)
共感の神はいわば人間関係の天才であり、天才をサポートすることが出来ます。
たとえば、天才が、面倒くさいからという理由で避けがちな「根回し」を買って出るなどし、天才にとってなくてはならない「右腕」になることも可能なのです。
このように、ここまで、各人がそれぞれの才能に気づき、才能を活かす方法について解説してきました。
最後に読者の皆様に強調しておきたいのは、繰り返しになりますが、「どの人の中にも“天才”はいる」ということです。反対に言えば、特定の誰か一人を指して、天才・秀才・凡人ということではありません。
ただし、それが開花しないのは、その人の可能性を阻害するものが存在することが多々ある、ということです。
もちろん、そうした“ストッパー”の存在の中には、前述したような自分に内在するもの、つまり、コントロール可能なものもありますが、たとえば、法や所属する会社の制約、家族の事情など、自分ではコントロール出来ない要素も多々あります。
それでも、人は自分に配られたカードで勝負するしかありません。
何はコントロールでき、何はコントロール不能なのかを見極め、自分の中にある“天才”を開放させる挑戦をし続けてもらいたいと思います。
(取材・執筆:佐藤留美、図版:『天才を殺す凡人』より引用、撮影:竹井俊春、図版デザイン:九喜洋介、バナーデザイン:星野美緒)