第2のニセコは生まれるか。皆川賢太郎のスキー産業拡大戦略

2018/12/13
*前編はこちら

ポテンシャルのある日本の雪山

――国内のウインター産業ではニセコが活況です。「外国みたいだ」という声など賛否両論ありますが、ニセコのような事例を作っていくのも全日本スキー連盟(SAJ)が成長していくための一手でしょうか。そもそも連盟がそこまで産業に関わるものなのかを含め、どう考えていますか。
皆川 2つの言い方をすると、1つはニセコの一例って成功の部分と、光と影があってうまくいかなかったこともあるんですよね。でも、あそこで今からそれを正すのはちょっと現実的ではないので。
例えば今、ニセコと倶知安町には500社くらいできているんですけど、10年前くらいはたぶん3桁も絶対に行かないというか、30社くらいしか登記されていませんでした。それだけ会社が増えたということは、税収が増えているということも言えます。
ただ一方で、うわものはつくってもらっても、部屋とかの売買は海外でやられたりもするんですよね。だから自分たちの土地のようで、土地ではないような経済の仕組みになっています。他のところはどちらかというと、その反省を踏まえてやっていきたいですね。
日本にポテンシャルのある雪山は、まだまだいっぱいあるので。長野県でいうと白馬もそうですし、野沢温泉もそうです。新潟でいえば妙高高原、湯沢町もそうでしょう。あと、青森もそうですね。いいところがいっぱいあるので、そういったところが変貌していくことはあり得ると思います。
2点目は、スキー連盟がそこまでの守備範囲をするかという話です。観光も含めて、日本って団体を作るのがすごく好きじゃないですか。それはそれですごくいいことだとは思うんですけど、それを全部縦で割っていくと、結局、「おらの町が」っていう話になっちゃうので。
今って人やものを増やす時代ではないし、団体を増やしていく時代ではないので、どうやって連携して水平展開していくんだという、お互いの情報を横串でどうデザインするのかが大事だと思っています。
「この国のウインター産業ではどこが統括ですか?」っていうと、現状としてはスキー連盟だと思います。そういったところは強化とはひもづいてないように思われるかもしれないですけど、それはニワトリと卵の話なので、スキー連盟としての役割もあると思いますね。
――そもそもですが、なんでニセコに人が集まるようになったのですか。
ニセコがあのようなことになったのは約15年前で、戦略的ではなく、能動的に起こったことなんです。
イギリス人とオーストラリア人が当時、ニセコ町の人と交換留学みたいなことをやっていたんですよ。ニセコ出身の女の子を留学で迎え入れた人たちが、今後は逆にニセコに行くわけです。そのときに、「なんてポテンシャルがある土地なんだろうか」って思った2人がいて、結果としてその人たちが発起人となって、ニセコの町にどんどん人が来るようになったっていう極めて昔話みたいな話なんです。
彼らがやったのは単純にすごく小さなことで、ガイドラインに英語のものを作ろうとか、雪質がすごくいいからそれを英語版にして海外の方や友だちに知ってもらおうとしました。
彼らが来て最初の6年くらいは、ニセコを好きな人たちだけがいる町だったんですよ。そこから行政が上下水道の整備をやったりすると、資本を入れたい人たちも現れてきて、結果として日本人が持つ土地が一つもなくなっちゃうくらいのレベルになりました。
最初のスタートアップのところはあまりスピード感がなかったけど、言葉とか情報がある程度統制されてきたところに、一気に海外の投資が入っていったっていうのが背景ですね。
逆にいうと今、あれを成功事例として、戦略的に「他のところでも」となり、ものすごく水面下で動いています。

ウインター産業の再定義

――バブルのときにスキーは流行し、気づけばブームは終わっていました。一方で今、ニセコにはインバウンドを中心に人が集まっています。こうした事象をどう見ていますか。
僕は海外に小学校から行っているので、「なんで日本はこんなにダメになっちゃったのかな」って子どもながらに思っていました。
20代後半から、「この国のウインター産業を再生したい」というのがそもそもの考え方としてあって、その視点でいろいろ海外を見るようになり、うちの国はすごくポテンシャルがあるんだなっていうことを理解していました。(ニセコは)必然的な今の流れなのかなと思いますね。
バブルのときにスキー産業は肥大して、昔は流行っていたけど、気づけばダサいものに変わっていました。それは国内の話で、ニセコができてインバウンドの人たちがわざわざ海外から来るようになりました。
「なんでわざわざスキーとスノーボードをするんだ?」みたいなところから、ニセコみたいなものができると「カッコいい」に徐々に変わりつつあって、「行きたい」にまた変わっているんですね。別に新幹線にちょっと乗ればスキー場なんていくらでもあるのに、「ニセコに行きたい」って日本人はなる。でも、それは大事なことだと思っています。
つまり僕ら自身、(ウインター産業の)再定義みたいなものができていないと思いますね。日本で『私をスキーに連れてって』も大事だったけど、そもそも本質的に我々は恵まれていて、四季が12カ月あるうちの(ウインタースポーツは)3カ月しか味わえないものだから、それを感じるのは豊かであるということの定義ができていないので、やっていきたいと思いますね。
そうすると日本の中でもその時間を有効に、豊かに使いたいという人たちが出てくると思うから、十分にやっていける業界だと思います。

五輪に向けて加速する中国

――ウインター産業を拡大させるには、国外の取り込みも不可欠ですよね。「スキー検定を外国に広げたい」という話がありましたが、国家としてウインター産業を推進している中国に皆川さんは10年前から通っているとSNSで見ました。彼らはスキー検定に興味を持っていますか。
当然、持っていますね。僕は韓国も中国もASEANにも行き、ヨーロッパとアメリカには20年以上いました。この10年くらいで中国やアジア圏に結構行くようになり、彼らの進歩にすごいスピードを感じています。
ただ一方で、日本と中国の街づくりが違うように、日本ってスピードはそんなに速くないけど、堅実にものを作っているじゃないですか。中国って「これを作りましょう」「何々をしましょう」っていったときのスピード感たるや、マンパワーも含めて圧倒的なものがある。
僕らが彼らと違うのは、歴史背景やアカデミックなものも含めて、蓄積していった信頼、根拠みたいなものが存在している。中国の方たちは、お金で何とかできることはすごく速いけど、一方で教育や人材育成みたいなところはそれほど感じられません。速いスピードなだけにね。
そこに僕らが呼び水として情報と知識を与えていきながら、一方で中国の人たちも含めてスキー、スノーボードが滑れるようになった方たちに、我々の雪資源の中に来ていただきたいというのはありますね。
――中国政府は2022年の北京五輪を盛り上げるプラス、ビジネスとしてもうまみがあるから、ウインタースポーツ産業に対して総額で2020年に6000億人民元、2025年に1兆人民元という巨額の投資を計画しているのですか。
100パーセント、そう言えると思いますね。当然我々も同じだと思うんですけど、彼らも単純にオリンピック自体を打ち上げ花火で終わらせたいとは思ってないわけで。本来はオリンピックがあった後のレガシーによって自分たちの産業を育てていくとか、日本の場合だとインフラ整備をすることが、一番のレガシーかもしれないです。
中国はどちらかというと貧富の差がすごく激しいので、地方に対しての産業を生んでいきたいと思っていると思います。割と中国って都市型なので、うちの国もそうかもしれないですけど、観光産業っていうところも見据えた上で投資をしているとは思います。
――アジアでは2018年に平昌五輪が行われ、2022年には北京五輪があります。今は日本のウインター産業にとってもチャンスですか。
一番ありがたいと思っているのは、アジア圏で平昌が終わって、次は2020年の夏に東京があって、そのあと北京がある。すごくいいサイクルだと僕は思っています。
プラス、今はインバウンドの人たちは3000万人くらいで、中国人が全体の4割くらい。つまりインバウンドを戦略的に攻めようと思うと、必然的にかなりいい時期に入っていると思いますね。

ウインター産業拡大の3本柱

――北京五輪までの4年間で、「各種目の役割をしっかり実情に合ったものにする」と話している記事を読みました。具体的に教えてください。
これは競争社会の話になってくるんですけど、どの種目でどんな成果を出していくのかはすごく大事です。例えばアルペンスキーで金メダリストを出すって、(難易度的に)サッカーのワールドカップで日本代表が優勝するようなものですけど、他の種目は比較的競技人口が少ないので、割と確度が高いと思うんですね。
それは簡単だということではなくて、例えば日本ではジャンプスキーやスノーボードなど、結果を出してメディアに取り上げていただけるものは徹底してやっていく。各種目に対するアプローチを、基盤整備とレンジをしっかり分析していかないといけないということです。
極端な話をいうと、スキージャンプで優勝した選手たちが何名か出ても、スキーマーケットにはインパクトがないんですね。残念ながら、そういうもので。でも有名人として認知していただけるので、協会にとってはスポンサードのところや、協賛が集まるという最大のメリットはあります。
一方で産業を大きくするといったときには、その彼らではなかなか難しい。そうすると、その産業に近い種目の方たちがもっと頑張らなければいけなくなる。一方では、彼らではない切り口も必要になってくるかもしれない。そういうことをやっていきたいです。
それと現状として、「スキーはマーケットが大きいです」という話をしましたが、一方で興行が一つもないんですよ。他の競技はある程度、興行で成り立っていますよね。野球はまさにそうだと思います。
僕らとしては選手たちに投資した分、興行化していきたいという考え方も一方であります。「やるスポーツ」でもあり、「見るスポーツ」でもある。そして、本当にゼロ地点の「レジャー」っていうところもある。この3本柱をちゃんと作りたいなと思いますね。
――興行となると、アリーナ的なものがあったほうがいいですか。
確実にあったほうがいいと思いますね。これはあくまで主観ですけど、基本的に僕らの種目で持っているスタジアムって、やっぱりジャンプ台になるんですね。他の種目、例えばアルペンスキーをやるときって、ほぼ1個の丸々のスキー場を貸し切るレベルになるんです。そうなるとアリーナというか、スタジアム的感覚ではなくなるんですよね。
ヨーロッパみたいに、僕らが出ていた試合みたいに観客が10万人来てくれる文化があるんだったらそれでも全然できるけど、こと日本に関しては現状、そこまでの文化がないので。
だから今の日本で受け入れてもらえる種目で興行化できそうなところでいうと、ジャンプ台でできる何かになるかなとは思っています。例えばジャンプスキーももちろんですけど、スノーボードやスキーのBIG AIRの大会とか。あれも十分ジャンプ台でできる要素になってくるので。
とにかく興行にはアリーナ、もしくはスタジアムがないと絶対的に(収益的な)数字が成り立たないので、作っていきたいですね。
――現実的に作る可能性はありますか。
この4年の間には確実にやると思います。でも、残念ながら都市型ではないんですよね。
札幌はもちろん都市型ですけど、例えば東京ドームの中にBIG AIRのジャンプ台を作るというのはなかなか難しいし、そもそも東京ドームはそれ用にできてないので。インパクトはあるけど、結果として継続するレベルの収益事業化ができるかというと、できないと僕は思っているので。やっぱりジャンプ台になるだろうなとは思いますね。

表と裏のミッション

――ビジネス界では当たり前でしょうが、スポーツの協会や連盟でも自分たちで稼ごうというところが増えてきましたね。
物事って球体だと思っているので。表面と裏面があって、それをどちらもやらないと、結果として生存できないと思うので。
「私たちは競技団体だ」っていって、「金メダルを取ることが最大目標なんだ」っていっていると、それって球体でいったら表面の本当に先端のほうの話なので。本当は裏にものすごくやるべきミッションがあるんですけど、それを見ないようにしてきちゃったというところがあるとは思いますね。
――皆川さんはスキー連盟の仕事に何割くらいの時間を使っていますか。
8割以上ですね。でも、自己投資だと思っていて。これをやることが、結果として自分の仕事にも生きてくると思っているので。
――モチベーションとしては何が大きいですか。
マーケティングでいえば、現状を把握できるようにというところです。例えば少なくとも、(ウインター産業の顧客には)700万人弱はいるわけです。でも今、誰も把握していないんですよ。「700万人くらい」って言っているだけの話だから。マーケティングに使いたいときに自分たちの産業を誰もちゃんと定義できていないので、それは現状としてやりたいことですね。
それができてくると、世界中の人たちが欲しているものがわかってくる。そうしたら初めて、戦略として矢を放っていけるようになると思います。
そうすると結果として、700万人が1000万になるかもしれないし、3000万になるかもしれない。そうすると、「1兆円規模ぐらいの産業価値があります」と、必然的に表向きに出せるようになってくる。
それで初めて、「皆さん、スキー、スノーボードをどう思いますか?」となっていけば、一番いいなと思っています。
(撮影:是枝右恭)
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